【10】
シャーリーが、まさに炎の魔法を放たんとした時である。
階上から飛び込んで来た刃が杖をはじき飛ばした。
「クレイグ!」
胸騒ぎを覚えて駆けつけたレンリエである。
彼女はこの地下に続く階段を覗き込んだ瞬間、すぐさま異変を察知し、反射的に行動していた。階段を一足飛び、アクロバティックな動きでシャーリーの魔法を防いだ。杖を打ち払った事で魔法はいったん消失する。だが、レンリエは警戒を解く事なく、瀕死のクレイグとバドンを庇うように位置取った。
「シャーリーさん、これはどういう事ですか?」
レンリエは剣を向けたまま、シャーリーをにらみ付ける。
冒険者は薄汚い稼業である。
裏切り、反目、だまし合い……そんなものは日常茶飯事であるし、バドン、シャーリーと四人パーティーを組む以前には、レンリエもそうした酷い仕打ちを幾度も経験した。レンリエにはクレイグという絶対的なパートナーが存在するが、冒険者の繋がり方としてそれは珍しい。冒険者とは本来、お互いを信用も信頼もしないものだ。
だが、一年である。
四人でパーティーを組むようになってから、一年。
信用したい、信頼したい。そうした気持ちが十分あった。
同業者ではなく、仲間。そんな風に呼べると良かったのに――。
レンリエは束の間、感傷を抱く。だが、それもすぐに消し去った。
駆け出しながら、冒険者らしく。敵は、敵。刃を向ける以上、情はもう必要ない。
「……レンリエ」
かすれた、クレイグの声。
足元に広がった血だまりには、レンリエも気付いている。クレイグほどの男が身を起こす事もできないのだから、相当なダメージを負っているのは間違いない。本当は彼の方を振り返り、傷の具合を確かめたい。レンリエはそうしたい気持ちを必死に抑えながら、シャーリーから絶対に目を離さないようにしていた。
他でもないクレイグに教えられてきた。
従うべきは自身の感情ではなく、冒険者としての判断である。
「そいつ、は……【楽園の子供たち】だった……」
クレイグは最後の力を振り絞るように、端的な情報をレンリエに伝えた。
レンリエは警戒心をさらに最大まで高めていく。
数年前から裏社会でちらほら噂で聞くようになった【楽園の子供たち】の名前。噂の内容はよくあるものだ。魔王の信奉者の生き残りが十年以上の時を経て、いよいよ組織立った動きを開始した。その目的は復讐と復興であり、手段を選ばない危険な考えに染まっている。自分達を【楽園の子供たち】と自称するものの、どれくらいの人数や規模、資金力を持つかは一切不明である。
そうした噂ならば、魔王が倒された直後から幾つあった。
事実として、残党は時々討伐されるし、廃王国で研究されていた技術が悪用された事件も頻発している。現在の世相では、根も葉もない噂が生まれる下地は十分にあるのだ。だから、最初に【楽園の子供たち】の名前が出て来た時も、よくあるタチの悪い噂と見過ごされていた。
信憑性が高まったのは、つい最近の事だ。
そして、そのために勇者の剣は再び必要とされている。
「シャーリーさん。あなたは最初から敵だったんですね?」
間合いを一歩詰めながら、レンリエは低い声で問いかける。
一方で、シャーリーは後ろに退がりながら答えた。
「敵か味方か、なんて。単純な対立構造だけで考えるなんて賢くない。だって、レンリエちゃん。私はあなたのことは敵とも味方とも思っていない」
「どうして? わたしには、あなたを斬る理由が十分にあるけれど?」
「私の狙いは勇者の仲間であったクレイグだけですよ。だから本当は、バドンさんのことも殺めたくはなかった。もちろん、レンリエちゃんのことも傷つけたくない」
そう云いながら微笑むシャーリー。これまで一年間共に過ごす中で見てきた笑顔である。
レンリエは燃えるような怒りを覚え、一気に間合いを詰めた。シャーリーの杖は離れた場所に転がったままだ。足元にナイフが見えるものの、拾わせる余裕は与えない。剣士や盗賊に比べ、魔法使いの戦闘力は圧倒的に高いけれど、魔法さえ使わせなければ立場は逆転する。
躊躇はしない。後悔はしない。
シャーリーの心臓を狙い、レンリエは剣を突き出した。
「残念」
必殺の一撃が決まるかと思われた瞬間、レンリエは突然目の前ではじけた閃光に吹き飛ばされた。何が起こったのか、咄嗟の事で受け身も取れない。踊り場から階段に落ち、段差をゴロゴロと転がる。石壁に背中をしたたかに打ち付けた所でようやく止まった。しばらく息ができず、苦悶の表情で身体を震わせるしかなかった。
「最初から、敵。裏切りは、計画の内。ならば、手の内をすべて見せるわけがない」
シャーリーは歌うように云いながら、右手をひらひら振った。
右手の薬指にある指輪に、魔力の輝きが灯っていた。その指輪は彼女が普段からしているものだ。亡き母の形見であり、魔法の道具ではないとパーティーの面々には説明されていた。
「魔法使いならば、触媒は複数用意しておくのが当然ですからね」
シャーリーは動けなくなったレンリエには、もう目もくれなかった。
ゆっくりと杖とナイフを拾い上げる。
「……ま、待って」
「いいえ、待ちません。ここまでですよ」
痛みに耐えながら起き上がろうとするレンリエ。血を流し、倒れ伏したままのクレイグとバドン。三人に聞こえるように、シャーリーは「さようなら、みなさん」と告げた。
「楽しく、苦しく、甘く、苦々しい一年でした。みなさんはどうぞ天国でも地獄でも好きな方に行かれてください。私たちの信仰では、そもそも別の世界に旅立つという事が過ちですから。私は二度とみなさんにお目にかかることはないでしょう。この地に留まり、死を永遠とする。そのために、ようやくここまでたどり着いた」
最後の方、シャーリーは自らに言い聞かせるような調子だった。
「さあ、おしまいにしましょうか」
再び、杖やナイフをクレイグに向けるものかと思われた。だが、シャーリーはそうしない。ナイフを鞘に収め、杖を肩に担ぐ。代わりに、懐から金貨を一枚取り出した。
階段の下で、レンリエがそれに気づいて青ざめる。
彼女の脳裏によぎったのは、クレイグの竜に関する言葉だった。
『コインを一枚落とせば、すぐに飛んでくるという噂だぞ』
シャーリーは金貨を指先で撫でている。
仇敵に、まさに刃を突き立てるかのごとく、愉悦の笑みを浮かべていた。
「アンデットになる事は許しません。完全に、完璧に、微塵に、ボロボロに死になさい」
シャーリーは死刑宣告を下し、金貨を放り投げた。
高々とキラキラ舞い上がった金貨に視線が吸い寄せられ、束の間、レンリエは時間が止まったような錯覚を覚えた。笑い声だけを残し、シャーリーは一足先に地下通路から抜け出していく。金貨が床に落ちるまでのわずかな時間に、この場を離れるつもりなのだ。
レンリエだけが最悪の状況に気付いている。クレイグもバドンも意識を失う寸前で、もはや何が起きているかも理解できていない。レンリエは身体の痛みを無視し、階段を這うように登ろうとした。必死に手を伸ばし、落ちて来る金貨を受け止めようとした。
だが、届かない。
金貨は石の床に落ち、硬質な音を響かせ――。
次の瞬間、世界が崩れ落ちるような竜の怒声が響き渡った。
【余談】
主人公、そろそろ出て来てほしい。




