虹色と刀の少女
窓から入ってくる朝日が眩しい。
俺はゆっくりとコーヒーをすすっていた。六畳一間の優雅なモーニングコーヒータイムである。
インスタントだけど。
『誠二郎!誠二郎!』
「なんだね……テマリくん?」
『誠二郎、なんか感じ変わってません?』
「ふっふっふ。心の余裕ってやつかな。お金の心配もしなくていいし、就職活動もする必要がない。最高ではないか我が立場は!」
『むふふふ……。テマリは誠二郎が幸せそうで嬉しいです!マブダチ冥利に尽きますね!』
そういうテマリは今日は、「無職」と大きく漢字で書かれた、黒いTシャツを着ている。
無職とかやめてほしい、嫌でも自分の立場を思い知らされるではないか。
『では、今日はデイリーミッション、お休みします?連続達成ボーナスとかもあるかもしれませんよ?』
「連続達成ボーナスだと?なんだそれは!」
『よくスマホゲームにあるじゃないですか。何日連続ログインボーナスとか。ああいうのです!』
「なるほど……ありうるな?」
だが、テマリは勘違いしている。
俺にはデイリーミッションを休むという選択肢はない。
ゲーマーとして、デイリーミッションなどという名を冠するものを放置するのは、矜持に反する。
それに、謎の多いデイリーミッションだ。一度サボったら、次は出てこないなんてことも考えられる。
そうなったら、俺の三万円がなくなってしまう。
就職活動、しなきゃダメじゃないか。
「テマリは……デイリーミッションについてはよく知らないんだよな?」
『……知らないことはないのですが。今の誠二郎にお伝えできることはほとんどありませんね。クミヒモとの取り決めもありますから。ですがマブダチとして約束しましょう!デイリーミッションは誠二郎のためになると!』
テマリは俺を虹色の瞳で真っ直ぐ見つめ、珍しく真剣な顔でそう言った。
やはり、デイリーミッションを休むなんて選択肢はないな。
マブダチのテマリが俺に嘘をつくなんて考えられないし、何より三万円という就職活動免除の大特典がついてくるのだ。稼げるときに稼いでおくべきだ。
よし、今日もやるぞ。
「テマリ、デイリーミッションを始めてくれ。」
『はい、誠二郎!本日のデイリーミッションは……』
ドゥルルルルル……。
ドラムロールがはじまる。
パンパカパーン!
ファンファーレが脳の中に鳴り響く。
そして、俺の網膜に文字列が投影される。
――『青葉中央公園で迷い猫を探せ。』
また、青葉中央公園か。近くて助かる。
報酬は……三万円と身体補修か。いつも通りだな。だが、それでいい。
俺は座っていた畳から立ち上がる。
また少し体が軽くなっている気がする。
『昨夜も、テマリシステムが身体補修を行いましたからね。これからもデイリーミッションを続ければ、誠二郎の体はどんどん軽くなっていきますよ!』
うーむ。体をどんどん軽くして、テマリは俺に何をさせたいのだろう。
『健康はお金では買えませんからね!』
健康……ひょっとして、スゴくなったってワケじゃなくて、老化や運動不足で俺の体がボロボロだっただけ?
※※※
青葉中央公園。
俺はツナギを着て立っていた。以前、研修で配送業務をしていたときに自費で購入したものだ。
公園には藪が多い。猫を探す。そのためには、草木の中を這いずり回ることになる。
だから、できるだけ汚れてもいい。さらには、枝や葉で肌を切らないよう、この服を選んだ。
だが、今は初夏。この格好では暑すぎて、炎天下の行動は無理だ。
早朝である今のうちに、探してしまうべきだろう。
俺はテマリへと話しかける。シャツに書かれている「無職」という文字が心に痛い。
「迷い猫の場所のヒントとかないのか?猫一匹を探すにはこの公園、広すぎだろ。」
『誠二郎、ご安心を!あなたにはこのマブダチのテマリがいます!視界表示、猫アイコンが表示されてますよね?そちらに猫ちゃんはいます!』
意識すると、可愛らしい猫のイラストがついた矢印が視界表示に現れた。
「おお……これなら見つけられそうだ。さすがテマリだ!愛してるぞ!」
『でへへへ。照れますね!頑張って探しましょう!あ、探すのはこの子猫です。写真を視界表示しますね!』
写真に写っていたのは、小さな黒猫だ。これは……厄介だぞ。こんな小さな猫が藪の陰に隠れていたら、テマリのアシストなしでは絶対に見つからないだろう。
いや、アシストありでも。俺の身体能力では、子猫を捕まえるなんて無理なんじゃないか?こんな虫取り網ひとつで、なんとかなるのか?
手元の虫取り網を見て、途方に暮れる。
そんなときだった。
俺の隣でぷかぷかと浮かんでいるテマリが、視線をそらしながら、飼い主の話を持ち出した。
『この子猫の飼い主は、小さな女の子でしたねー。悲しそうにシクシクと泣いてましたよ?心配ですねー。』
小さな子が探している……だと?泣いていた?悲しそうに?
…………。
そんなの見つけ出してやるしかないじゃないか。きっとソファの上で膝を抱えて座っているに違いない。小さな体を丸めて、目に涙を浮かべながら。子猫の名前を何度もつぶやきながら。
俺は公園の藪の中を見つめる。この先にその猫がいるのだ。
「テマリ、俺は探し出す。俺は子猫を探し出すぞ!」
『それでこそ私のマブダチの誠二郎です。愛してますよ!』
俺はテマリの声援を背に、うっそうと生い茂った草をかき分け、ゆっくりとその中へと入っていったのだった。
※※※
子猫を見つけるのに時間はかからなかった。
草木をかき分け、ライトを手に、視界表示の矢印の方向へ進む。
ライトの光を反射する、光る二つの目。よし、見つけた。
視界表示にも、目標まで5mと表示されている。間違いない。
『誠二郎。今の誠二郎なら捕まえられます。予測逃走経路はこちらになります。』
視界表示に現れる緑のライン。
やるぞ。
集中する。視界が広くなる。点ではない。面で見るんだ。ニンペと同じだ。
ジリジリと子猫ににじりよる。
一歩、一歩と子猫に近づいたそのときだった。子猫が走り出す。
だが、その行動は遅かった。
俺の虫取り網は、テマリが引いた逃亡予測ラインをなぞるように振るわれていた。
そして……子猫は網の中へと収まった。
急いで子猫に駆け寄り、顔を引っかかれながらも、肩からかけていたペット用のケージへとしまう。
やった、やったぞ。これでソファの上で膝を抱えて泣く子供はいなくなるんだ。
そのときだった。
『誠二郎!!!右35度、仰角40度、右袈裟!』
いつになく真剣な、テマリの声が響く。
ニンペで培ったコンビネーションが良かったのだろう。
その声に体が反射的に反応した。虫取り網の柄を右方向に払いながら、後方へと飛ぶ。
ガン!
虫取り網の柄がへし折られる。
木刀?木刀で襲われているのか?
俺を襲う相手の動きは速い。白い影はすでに視線の先にはいなかった。
『左15度、地面ギリギリです!』
俺は急いで、その場でジャンプをした。足元を木刀らしきものが通過していく。
ようやく、俺を襲っている相手が視認できた。女の子だ。
黒髪ロングの女の子。身長はそんなに高くない。着ているのは……聖藍学園の制服か。
『誠二郎!この場所は不利です!相手は高レベルの襲撃者です!藪からの離脱を推奨!右10、仰角80!』
ほとんど直上じゃないか。なんて身体能力だ。
ガン!
体をひるがえし、木を盾にしてその攻撃を防ぐ。
くそ。こんなの当たったら打撲じゃ済まないぞ。骨折確定だ。下手したら死ぬ。
俺は相手の動きをなんとか視界にとらえつつ、テマリのアシストに従い、体を右に左に上に下にと動かしながら、明るい茂みの外へと後退していく。
こんな動き、身体補修前の俺では無理だった。デイリーミッション様々だ。
『誠二郎!顔面に突きが来ます!』
つ、突きだと。
慌てて首を左に倒す。
シュ!
木刀が俺の右頬をかすめていく。こ、殺す気か。
焦って首を倒した勢いで、体の重心が揺らぐ。
まずい。
ヴォン!
木刀が空気を切る音がする。駄目だ。避けられない。
子猫が入ったケージをかばうように、俺は背を向けて、地面に丸まる。あ、頭にだけは振り下ろさないでください。
…………。
…………。
…………。
体に木刀が当たった感覚はない。
それどころか、それが振り下ろされた音もしなかった。
「…………子猫をいじめていたわけではないのですか?」
後ろから聞こえてきたのは。
透き通るような、綺麗な女の子の声だった。
※※※
数分後。
俺は聖藍学園の制服を着る女の子に土下座をされていた。
彼女は制服から伸びる手足を直接地面につけ、額も地面にこすりつけている。
制服女子に土下座をさせるオッサン。周囲の人からの視線が痛い。痛すぎる。
「…………あなたが子猫をいじめているなんて……勘違いをしてしまいました。…………すぐに私を警察に突き出してください。」
なんとかこの状況から逃れようと、俺も声を出す。
「い、いや……俺も紛らわしかったかもしれないしさ……今回はおあいこということで……」
少女は顔を上げない。
「…………お気遣い感謝します。…………ですが、子供のために迷い猫を探していたお方に刀を振るってしまうなど……許されることではございません。…………極刑を。」
「きょ、極刑?」
朝の公園を歩く老若男女からの視線がさらに強くなる。
中には、同じ聖藍学園の制服を着た子たちも混じっている。
こ、この子は、肉体的に俺を殺そうとしただけでなく、次は社会的に俺を抹殺しようとしているのかな?
「い、いいから!もういいから!立って!君にそんなことをさせたら俺が悪者みたいに見えるだろ!?」
そんな情けないことを叫んでしまう俺。
彼女は初めて周りの視線に気づいたかのように、目を見開いて周囲を見回す。そして、ゆっくりと立ち上がった。
改めて彼女を見る。日本人形のように綺麗な女の子だった。
身長は高くない。150cmあるかないかだろう。つぶらな黒い瞳に、艷やかな長い黒髪。華奢な体をつつむ夏服からすらりと伸びた手足はしなやかで綺麗だった。
この美しさと体格で、先ほどの身体能力。
彼女は……相当な高レベルと見た。あまり関わらないほうがよさそうだ。
どうやってこの場から逃げだすか、必死に考えていると、彼女は深々と頭を下げた。
姿勢がいい。立ち居振る舞いが武士のような子だ。
女の子が口を開く。
「…………先ほどはまことに申し訳ございませんでした。…………聖藍学園3年の久遠寺彩葉と申します。」
……く、久遠寺だと?
あの、古くからの名家の久遠寺家か。
まずい。まずいぞ。俺はそんな名家のお嬢様に公衆の面前で土下座なんてさせてしまったのか。
決めた……。
すぐに逃げよう。「三十六計、逃げるに如かず」だ。
話を続けようとしている彼女にキッパリと言い放つ。
「で、では、俺はこの子を飼い主に返してやりたいので!先ほどのことは気にされなくて結構ですので!」
くるりと踵を返して走り出す。
「…………ま、待って。…………せ、せめてお名前を。」
名前なんてとんでもない。教えてたまるか。レベルゼロが高レベル持ちに関わっていいことなんて何もないのだ。
俺は彼女の制止を無視し、子猫のケージを大切に抱え、その場を走り去ったのだった。
君子危うきに近寄らず。
※※※
<久遠寺彩葉視点>
…………あの方は、一体?
彼は、私の斬撃を何回も凌いでみせた。それも武器も防具も持たずにだ。
間違いなく高レベル持ちと考え、途中から全力での攻撃に切り替えた。
それでも、私の攻撃は何度も何度も空振った。
茂みから、明るい場所に出て、彼の姿をしっかりと見たときは驚いた。
おそらく、あの方のレベルは高くない。
積み重ねた年齢が表面に現れている。容姿も……その……失礼だが……普通だ。高レベル者の持っている特徴はなかった。
だが、私の放つ斬撃を避けるあの動き。
普通の人間ができるものではない。
私のレベルは7。そのレベルに驕らず、鍛錬もしっかりと積み上げてきた自負があった。
高レベルの人材育成をうたう聖藍学園にも、戦闘という一面においては、私に並び立つ者はいない。
だが、彼は……私の攻撃のすべてを凌ぎきった。
そして、なによりも私を驚愕させたもの。
それは彼の持つ、未来予知のような状況判断能力だ。
彼は確実に、私が次に放ってくるであろう攻撃を予測し、対応する動作を選んでいた。
そんなことができる人間を、私は見たことがない。
こういうのを「先見の明」というのだろうか。彼はそれが突出していた。
知りたい。どうやっているのか知りたい。レベルの恩恵なしに、どうしたらそんなことができるのだろう?想像もつかない。
「…………すごい。…………教えてくれないかな?」
ギラギラと照りつける太陽の下、澄み渡る青空を見上げ、彩葉はつぶやいたのだった。
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