久遠寺彩葉④
<久遠寺彩葉視点>
結論から言うと、すべてが私の勘違いだった。
私はレベル8の全力斬撃を、そのヒト型に繰り出した。
完全に不意を突いたつもりだったのに、容易に避けられてしまう。
こんな不意打ち攻撃を避けられるということは……やはり、相手は遥かに格上だ。私との力量差は大きい。
全力で木の幹を蹴り、勢いをつけて、頭上からの斬り下ろしを仕掛けようとした瞬間だった。
相手の顔がこちらを向く。
今の私は、刀を振り上げており、全身が隙だらけだ。
手が伸びる。そして、私に触れた。
ヒト型が、どんな攻撃をしてくるか分からない。だが、生半可なものではないはずだ。次の瞬間には私は命を失っているだろう。
誠二郎さま……何のお役にも立てず……申し訳ありませんでした。
何故か、ヒト型に、ぎゅっと優しく体を抱きしめられる。
そして私は気づく。その匂いに。
「……え?誠二郎さまの匂い……?」
刀を振り上げたまま固まる。
「彩葉、俺だ!誠二郎だ!落ち着け!」
私が人型害獣だと思ったものは、誠二郎さまが自らを偽装した姿だった。
極度の緊張から解放される。
どうやら私の精神も限界だったらしい。なりふり構わず誠二郎さまの胸板にすがりつき、泣きじゃくった。まるで子供のように。
誠二郎さまはそれを優しく受け入れてくれた。
…………。
その後の私は、少しおかしかったような気がする。
幼児退行というのかもしれない。実に未熟者である。
いろいろな屁理屈をこねては、誠二郎さまとの二人きりの一枚を撮ってもらった。
偽装を解いた誠二郎さまにお姫様抱っこしてもらい、落ちないように身をぴったりと寄せて、写真も撮った。
満足した直後、今はそれどころではないことに気づく。
早くアリ型を駆除しなければならない。
招集フェロモンを放出されないうちに。
我を取り戻した私は、誠二郎さまとすぐにアリ型の駆除に取りかかった。
幸い、アリ型に襲われたのは雨宮さんだけだった。彼女はレベル6なので、アリ型から自分の身を守れる。
襲われたのが子供や低レベルの人じゃなくて、本当によかった。
招集フェロモンによる即日フラッドは、なんとか阻止できた。
すべては、誠二郎さまからいただけた、正確なアリ型の数と位置の情報のおかげだ。
あの情報がなければ、間に合わなかっただろう。
…………。
今回の件で分かったこと。それは私が極めて未熟者であるということだった。
なんとか……なんとかしなければいけない。
※※※
レベルゼロの誠二郎さまは、表に出るわけにはいかない。
害獣対策局への経緯の説明は、すべて私が行った。
結果、数日中にフラッドが発生するだろうとのことで、青葉中央公園は封鎖された。
困った。
これでは、誠二郎さまとあの公園で偶然出会える機会がなくなってしまう。
以前借りた、青葉中央公園を見下ろせる高層マンションの一室。
そこで私は座禅を始め、心を無にする。
だが、どうしても誠二郎さまのアパートを見てしまう。そんな自分に気づく。そう。この部屋からは誠二郎さまのアパートも見えるのだ。素晴らしい部屋である。
いや、そうじゃない。今は座禅に集中するんだ。誠二郎さまのアパートは逃げない。
心頭滅却だ。
心拍、血流、心の揺らぎ。それらを感じながら、足を結跏趺坐の形に組み、今ここにある自分に集中する。
…………。
どれくらいの時間が経っただろうか。内側へ向けていた意識を元に戻す。
ふと、誠二郎さまのアパートに目をやると、その階下の住人が、荷物を運び出していた。荷物にはタンスやテーブルまで含まれている。引っ越し……だろうか?
私はすぐに立ち上がった。
誠二郎さまの階下の部屋を借りる。
これは……そう。
強者になるためには、強者の近くにいなければならない。
ティッシュ壁で有名な青葉荘で、誠二郎さまのお声を聞きたかったわけではない。
これは私が強くなるために必要なことなのだ。
※※※
交渉はすぐにまとまった。
誠二郎さまの階下の部屋へ、即日入居である。
部屋に足を踏み入れる。
だが、さすがに雨宮さんの隣室ほどは音が通らないようだ。
ここは私のレベル8の能力の出番だ。
集中し、耳を澄ます。
雨宮さんの言うとおりだ。誠二郎さまの声を捉えられる。
……どうやら誠二郎さまは独り言が多い方のようだ。楽しげな誠二郎さまの声だ。
心が少しだけ締め付けられる。
だが、これで誠二郎さまの生活を感じ取れれば……何か強くなるきっかけがつかめるかもしれない。
ここでも私は座禅を組み、耳に届く声だけに意識を向ける。
これは遊びではない。私の修行なのだ。
やがて、雨宮さんの声も混じり始めた。誠二郎さまがプレイするニンペというゲームを見に来たようだ。
ニンペ……。私もそれをやれば強くなれるだろうか?
マウスとキーボードの音だけが聞こえる。静かな時間が流れる。
何時間経っただろうか。
再び雨宮さんの声がする。
『おい、有馬……。これで世界一なのか……?プレイ人口一億人以上のニンペで、有馬が世界一なのか……?』
世界一?
ニンペというゲームで、誠二郎さまは世界一なのか。
本当に、そのあたりに私が強くなるヒントがあるのではなかろうか。
私は上階の会話を聞き取るため、さらに全神経を集中させる。
そして、聞き捨てならない言葉が耳に飛び込んできた。
『ボクはキミに恋をしているのかもしれない!そうか……!これがあの有名な恋か!よし、これから、ボクといっしょに暮らそう!同棲しようじゃないか!』
頭が真っ白になった。
『いや、同棲なんて生ぬるいな!わかったぞ!有馬、ボクと結婚しようではないか!』
気づいたら刀を抜いていた。
そして二人の気配をつかみ、彼らに当たらないよう、部屋の片隅の天井へと振るっていた。
カヒュ!ヒュ!ヒュ!ヒュ!
ゆっくりと、落ちはじめる天井の一角。
私はその天井の穴に飛び込み、誠二郎さまの部屋へ降り立った。
自分が何をやっているのか、まったく理解できなかった。
※※※
誠二郎さまの部屋。
私は床に膝をつき、頭を下げていた。誠二郎さまへの三回目の土下座だ。
私が土下座をしたのは人生で三回のみ。つまり、そのすべてを誠二郎さまに捧げていることになる。
やはり未熟だ。私は未熟すぎる。
すぐに我を失って過激な行動に出てしまう。
誠二郎さまは私の愚行を許してくれる。でも、自分で自分を許せない。
どうすれば誠二郎さまにお詫びができるだろう。
何か、彼に差し出せるものはないだろうか?土下座しながら、そんなことを考えていたときだった。
「なあ、みんなでうな重食べにいかない?」
誠二郎さまの声は、いつも通りだった。
突然、自室の床を切り抜かれてこの態度。
これぞ究極の平常心……。誠二郎さまはさすがである。
私とは大違いだ。私は……私は自分が恥ずかしい。
※※※
誠二郎さまが連れていってくれたのは、「田所うなぎ店」という老舗の店だ。
何回かここのうなぎは食べたことがある。
家に届けられたものを食べたので、店に来るのは初めてだが。
雨宮さんと二人、テーブルを挟んで座る。
彼女の提案で、二人だけで話すためだ。「女同士の話し合い」と雨宮さんは言っていた。
雨宮さんは、単刀直入だった。
「彩葉くん……キミ、有馬のことが好きなのかね?」
好き……。好きってなんだろう?
尊敬はしている。恩義を返すため、尽くしたいという気持ちもある。
彼の強さを知るため、そばにいたいという気持ちもある。
だけど……好きという感情が私には分からない。
「…………わ、分かりません。ですが……近くにいたい。誠二郎さまのことを、もっと知りたいとは思います。」
自分の口から出た言葉に、思わず顔を赤らめてしまう。
……あ、あれ?これって好きってことなのではなかろうか?
「ふむ……。」
雨宮さんが困った顔をする。
「有馬は、あんなんだけど、まっとうな人間だ。学園生で年の離れたキミは、小春くんと同じように、有馬から見たら子供なのではないかい?」
雨宮さんの言うとおりだ。
薄々気づいてはいた。誠二郎さまが私に向ける眼差しは、彼が小春に向けるものと同じだということに。
一方、雨宮さんへの接し方は違う。対等な相手というか、弱みを見せられる相手というか……。
そしてもう一つ。誠二郎さまが何もない空間へ向ける瞳。それはどちらともまったく違う。そこには、信頼と親しみ、そして楽しみが乗っている。
「…………それは、気づいています。私は誠二郎さまから見たら、世話のかかる子供なのでしょう。扉を木っ端微塵にされても、床を四角くくり抜かれても、誠二郎さまは仕方なさそうに苦笑いをするだけです。」
もし私のこの感情が恋愛だとしても、誠二郎さまが私を選ぶことはないだろう。
胸の奥に痛みが走る。
「彩葉くん。諦めてはいけないよ?幸い、キミはレベル8などという高レベルだ。これから先も、時間はたっぷりある。10年後にはキミも28歳だ。これなら有馬も子供扱いはしてこないんじゃないか?」
確かにそのとおりだ。
だが私は、誠二郎さまのことを尊敬しているだけなのか、それとも恋愛的に好きなのか……それすら分からない。
「…………雨宮さん、私には私が分かりません。今は……ただ誠二郎さまのおそばにいられれば。ただ、それだけで……。」
私のその言葉に、雨宮さんは「はあ……」とため息をつく。
「ボクからしたら、彩葉くんの気持ちなんて丸わかりなんだがな。まあ、それは自分自身で気づいて、受け入れることか……。」
雨宮さんの言葉に、私は何も言えなかった。
「有馬は意外とモテるぞ?のんびりしていたら、他の女に取られてしまうかもな?キミもクウデリで後藤さんって子を見ただろう。あの子、たぶん有馬に惚れてるぞ。ボクみたいな興味本位で結婚してもいいと思うようなやつもいるくらいだしな。」
た、確かに、クウデリにいた後藤さんは誠二郎さまを慕っている気がする。
視線が常に彼に向いていたのを覚えている。
「それだけじゃないぞ?有馬ってさ、テマリってAIを作って、それをゲームのバディにしてるんだよ。彩葉くんはそいつと話したことあるか?」
「…………ないですね……。」
テマリ。そういえば、小春がそんなことを言っていたような。
「ボクもないんだがな。有馬とテマリの、ニンペの中でのコンビネーションは抜群だ。人馬一体とはまさにああいう関係のことを言うんだろうな。」
誠二郎さまの一番大切な存在が、自分がつくったAIであるテマリ?
そんなことがあり得るのだろうか?
「それにな、有馬は、恋愛そのものに幻滅してるように見えるんだよ。あいつ、女性恐怖症じゃないか。その理由も少し聞いたんだけど……それはもうひどいものだった。たぶん恋愛っぽい感じを出すのは、有馬にとっては地雷だと思う。」
そうだ。誠二郎さまは女性恐怖症だった。
私に対してあまりそういう反応がないのは、子供として見られているからということか。
…………なんだか悲しい。
「あと、時々あいつ、何もない空間を見てニヤついてるだろ?」
それだ。私に向けられたことのない笑顔。私に向けて欲しい笑顔。
「有馬にとって一番大切なのは、その視線の先にいるヤツだ。小説家のボクの勘がそう言っている。そして、おそらくその相手は……」
そ、その相手は……?
――――「テマリだ。」
雨宮さんは、そう言い切ったのだった。
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