久遠寺彩葉③
誠二郎さまは、やはりただ者ではなかった。
夜の公園に害獣の気配を感じた私は、窓から飛び出した。
害獣は人を襲う。戦えない人間が遭遇したら、まず殺される。
急いで現場に駆けつけた私が見たものは。
誠二郎さまの戦いだった。
両手に揺らめく黒い光を纏う誠二郎さま。
その誠二郎さまに襲いかかる、三匹の害獣。
助けに……!
と思った直後には、終わっていた。
誠二郎さまは三匹の犬型を瞬時に葬った。
それも、跡形もなく。
すごい。すごすぎる。
害獣はナノマシンの群体である。銃のようなもので撃っても、すぐにその穴を埋める。なので対策としては、刀のようなもので体を切り離し、行動不能とするしかないのだ。
行動不能にした後の害獣の残骸も放置できない。ナノマシンは、自らが構成する害獣が行動不能となったと判断すると、機能を止め、空気へと拡散していくのだ。
拡散したナノマシンはまた別の場所に集まり、新たな害獣を生み出す。だから害獣を倒した後は、『消却器』という事象記述具での処理が必要となる。
つまり、私たち剣士にできることは、害獣を動けなくすることだけなのだ。
だけど、誠二郎さまは違った。
私のような高レベルの者は、ナノマシンの濃度をある程度感じ取れる。誠二郎さまが害獣を処理なさった後、そこにはナノマシンは存在しなかった。
彼は、害獣を倒す時、そのナノマシンごと消滅させている。
やはり、誠二郎さまの戦いは何かが違う。根本的な何かが。
ゆっくりと近づき、空を見上げている誠二郎さまに声をかける。
「…………誠二郎さまの害獣との戦闘、お見事でした。消却器もなしに害獣のナノマシンを不活性化させてしまうなんて…………もしや事象記述操作というものですか?」
私が見ていたことに気づいた誠二郎さまは、一瞬、固まった。
だが、私の服装を見て、寒そうだと思ったのだろう。
パジャマ姿で慌てて家を飛び出した私に、誠二郎さまはご自身が羽織っていたカーディガンを貸してくれた。
誠二郎さまは優しい。
高鳴る鼓動を抑え、それを受け取る。
小柄な私が着ると、大きすぎるカーディガン。まるで誠二郎さまに包まれているようだった。
その直後だった。
誠二郎さまは突然、地面にひれ伏した。土下座である。
「彩葉、お願いだ!今夜のこと、内緒にしててくれえ!手が光ってたとか、秘密にしてくれえええ!」
え…?え…?え…?い、いけない!
誠二郎さまに土下座なんてさせてはいけない!
「……せ、誠二郎さま、やめてください!土下座なんて、やめてください!言いません!言いませんから!」
誠二郎さまに言うなと言われたら、絶対に言わない。
そんなの当たり前のことなのに。土下座なんて必要ないのに。
誠二郎さまが顔を上げて、私を見る。
「俺たち、二人だけの秘密な?本当に、本当に頼むぞ?」
私と誠二郎さまだけの秘密。ほかに誰も知らない秘密。
「……ふ、二人だけの秘密……?誠二郎さまとふたりだけの……ふたりだけのひみつ……?ぜ、ぜ、ぜ、絶対に守りますゆえ!」
二人だけの秘密……なんて心浮き立つ言葉だろう。で、でも、どうしてこんなに心が揺れるのか?
……分かった。
私なら秘密を漏らさない。誠二郎さまが、信頼してくれているのが嬉しいのだ。きっとそうに違いない。
なら、この二人だけの秘密は絶対に守り抜かねばならない。たとえこの身が切り裂かれたとしても。
私はそう、心から誓った。
※※※
討伐の痕跡が残っていないため、害獣対策局に連絡を入れるわけにはいかない。
誠二郎さまは、何もない空間を見つめ、とても優しい顔をしている。
胸の奥に込み上げたものから逃れるように、思わず顔を背ける。
「…………それでは、今夜はこれで。カーディガン、お返しに参りますね。」
それだけ言い残し、私は、宵闇へと身を躍らせた。
木々の上を飛び移りながら家路を急ぐ。早く帰らないと、家のものに夜の外出がバレるかもしれない。そうなると面倒だ。
クンクンと、誠二郎さまからお借りしたカーディガンを嗅ぐ。ああ……誠二郎さまの匂いだ。心が安らぐ。
……そうだ。
明日は、カーディガンを返すという名目で誠二郎さまのご自宅へ行こう。
明日またお会いできる。そのことが、今から楽しみだった。
誠二郎さまが見つめていた何もない場所。
その時浮かべていた誠二郎さまの穏やかな笑顔。
それらから必死に意識をそらしながら、私は夜の闇を駆けた。
※※※
翌日のこと。
カーディガンを届けるという理由で、また誠二郎さまのご自宅へと向かった。
木造アパートの前で、私は雨宮さんに捕まった。
「い、彩葉くん!今日は、これを持って、有馬についていってくれたまえ!」
そう言って、彼女は何か黒いものを押しつけてきた。ボイスレコーダー?
雨宮さんは、その眼鏡の奥の瞳に涙をためて、私にすがりついてきた。
「いいかい?これは有馬を助けるためのものなんだ。あの会社はレベル至上主義者の集まりだからな!決してボクの興味本位のお願いじゃないからな!」
タクシーの扉が開く。
「ああ、なんてボクはついてないんだ!」
最後にそう言うと、彼女はタクシーに乗りこみ、どこかへ行ってしまった。
……一体、どういうことだ?
だけど、雨宮さんからの頼みだ。誠二郎さまに同行しなければ。
雨宮さんには、プリンの件で譲ってくれた恩もある。久遠寺家の者として、恩義は返さなければいけない。そう、これは私の任務だ。絶対に投げ出すわけにはいかない。
※※※
誠二郎さまの用心棒としてついていった先。
株式会社クウデリは典型的なレベル至上主義の会社だった。
誠二郎さまへの態度は許されるものではなかった。私は何度か我を失った。まったく、未熟者である。
ただ、それよりも私が気になったのは、やはり誠二郎さまが宙空へ向ける視線だった。
そこを見る時の楽しげな瞳。
胸元で組んだ両手に、無意識のうちに力がこもる。
……護衛として、誠二郎さまが何を気にかけているかを知る必要がある。その先に何があるのか、目を凝らす。
何もない。私には何も見えない。誠二郎さまが、大切にしているものが、私には分からない。
私の口が勝手に言葉を紡ぐ。
「…………誠二郎さまは、いつも、どなたを見てらっしゃるのですか?」
「…………その方を見ているとき、誠二郎さまはとても優しい顔をされています。私は羨ましいです。」
次々と漏れ出す、自分でも整理できない言葉。
「……誠二郎さま。い、いつか私にも、そういう笑顔を向けてほしいです。」
わ、わ、わ、私は何を言っているのだろう?
我ながら意味が分からない。
……い、いや。護衛対象である誠二郎さまをもっとよく知り、良好な関係を築くのも大切なことだ。
そうだ、そうに違いない。
これも、恩義に報いるための護衛任務なのだ。
※※※
次に誠二郎さまと会った時、私はまたやらかしてしまった。
それも今までで一番の失態だ。
青葉中央公園に害獣の気配を感じた私は、真夏の炎天下、外へと飛び出した。
とうとう昼間にまで害獣が現れた。
イヌ型は、フラッド以外では夜にしか現れない。
今度こそアリ型かもしれない。
アリ型は、即座にフラッドを引き起こす招集フェロモンを放つ。
即日フラッドだけは抑えなければならない。木から木へと飛び移りながら、全速力で害獣のもとへ向かう。
誠二郎さまから連絡があったのは、そんな最中だった。
『彩葉、また害獣が出たのか?』
「……さすがは誠二郎さまです。急に気配が現れたので、いま急行しているところです。」
このタイミングで連絡があるということは、誠二郎さまも害獣の出現を察知できるのだろうか?
『分かった、俺もすぐに行く。いいか?俺が到着するまで、被害が出ない限りは戦闘を開始するな。彩葉に何かあったら、俺が悲しいからな!』
私に何かがあったら悲しい?
「……わ、分かりました。誠二郎さまのお言葉通りに。」
誠二郎さまとの通話が切れる。
それから少し経っても、私の心臓はドクドクと高鳴っていた。おかしい。この程度の移動が原因とは思えない。
即日フラッドの可能性を前に緊張しているのだろうか。
害獣の気配がある辺りまでは、あと数十秒といったところだ。
誠二郎さまは今、どこまで来ているのだろうか?
…………。
……待って。外で待ち合わせして……合流して……?
それってまるで逢い引きみたいではないか!
思わず口角が上がる。
外で待ち合わせして……一緒に目的を果たす……初めての共同作業……。
なぜか、笑みがさらに深まる。
そんな浮かれた気持ちの私に、罰が当たったのかもしれない。
私は、木の上にいる何者かを見つけてしまった。
黒い装甲。カーボン繊維をよりあわせたような関節部。のっぺりとした顔。静かに佇むその姿は……資料で見たあの害獣そのものだった。
人類の討伐記録がない害獣。
何人もの高レベル者を葬り去ってきた害獣。
――――『災厄』と呼ばれた人型害獣だった。
絶望の中、私の頭に浮かんだのは、何もない空間へと微笑みかける誠二郎さまの姿。
……覚悟を決める。
あとで来る誠二郎さまのためにも。
こいつを放置するわけにはいかない。
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