久遠寺彩葉①
<久遠寺彩葉視点>
私が有馬さまと会ったのは、本当に偶然だった。
久遠寺家の娘。周りの人たちはその肩書きで私を見て、私にそうあるよう求めてくる。
もちろん、無理やりではない。だが、その目を見れば分かるのだ。彼らが私に何を期待しているのか。
私にはやりたいことが何もなかった。なので、その期待に応えるために剣技を磨いた。ダンジョンにも頻繁に赴き、夢中で刀を振るった。いつの間にか、強くなることが私の生きがいになっていた。
刀を振るうことは好きだ。それさえやっていれば、求められる役割を果たせる。
私はそんな日々を何も考えずに、ただただ送っていた。
気づいたら、私のレベルは7となっていた。私に向けられる期待は、さらに高まった。
私はどうでもよかった。
青葉中央公園にて、自分の愛刀である『綾取』と同じ重さ、同じ重心を持つ木刀を腰に差し、林で移動訓練をしていたときだった。
つなぎを着た一人の男が、黒い子猫をケージに詰めているのを見かけた。
私はそれを、猫への虐待だと勘違いしてしまった。
猫が好きだった。自由気まま。しがらみもない。それを望むわけではないが、ずっと寝ていても文句を言われない。
そんな猫に危害を加えようとしている男がいる。
許せなかった。
私は頭に血が上った。
木刀を握り、死なないように手加減をしつつ、男に斬りかかった。子猫を救出しなければいけない。
信じられなかった。
男は、完全な死角から放った私の攻撃を避けたのだ。
……この男はかなりの高レベルだ。
レベル6。もしくは私と同じレベル7。
侮った。初撃で制圧できなかったのは痛い。
気を引き締め直す。子猫のケージに当たらないよう、目まぐるしく位置を変えながら、さまざまな角度から男に斬りかかった。高速全方位攻撃は、私が学んできた綾取神刀術の特徴だ。
だが、男はそれも避けた。
思わず熱くなる。顔面への突きという、相手を殺しかねない攻撃を繰り出してしまう。
し、しまっ……!
こんなところで殺人者になるわけにはいかない。
久遠寺彩葉は間違えてはいけないのだ。私に期待する人たちのために。
杞憂だった。
男は紙一重で、その渾身の突きさえかわす。だが、重心を崩したようで、転びそうになっている。
……今だ!
木刀を振り上げる。
木刀を振り下ろそうとした相手の男は、背中をこちらに向けて丸まっていた。
子猫を必死で守ろうと、そのケージをお腹に抱え込んで。
私は間違えた。彼と出会ったときから、間違えていたのだ。
私は必死に謝った。思い込みで、子猫を飼い主の元に戻してやろうとしていた彼を殺しかけたのだ。人生で初めて、土下座までした。
彼を見て驚いた。彼はおそらく、かなりの低レベル。積み重ねた年月が容姿にそのまま現れている。その態度からも、長く生きた高レベル者という風格はない。顔立ちも……その……普通だった。
だが、忘れてはいけない。
彼は低レベルなはずなのに、レベル7という高レベルの私の攻撃をすべて避けたのだ。
それでも、聞いたことがあった。レベルシステムがなかった遠い遠い過去には、人の力だけで事象記述式を行使する『事象記述操作』の使い手が存在したという。
……彼がそうなのかもしれない。レベルの恩恵なしに、自らの修練のみで高みに上ろうとする者。
私は知りたかった。レベルの恩恵なしで強くなる方法を。それが分かれば……私は、さらに強くなれるかもしれない。
まずは、礼を尽くさなければいけない。人間関係の構築は、自己紹介から始まる。
「…………先ほどはまことに申し訳ございませんでした。…………聖藍学園3年の久遠寺彩葉と申します。」
完全な自己紹介のはずだった。
彼も名乗ってくれると思った。だけど、それは違った。
「で、では、俺はこの子を飼い主に返してやりたいので!先ほどのことは気にされなくて結構ですので!」
そう言うと、彼はくるりと背を向け、走り去る。
「…………ま、待って。…………せ、せめてお名前を。」
駆けていく彼の足は遅く、私が本気になれば、数秒で追いつけるものだった。
彼はあんな身体能力で、私の斬撃を避け続けたということだ。
明らかに、私とは強さの方向性が違う。
もし、彼に教えを請うことができれば……。
胸が高鳴った。
※※※
その日から、私は彼のことを知るため、学園が終わった後は青葉中央公園へと通い続けた。
その公園を一望できる近場の高層マンションに、一室を借りた。こういうときにレベルが高いといい。信用度が抜群なので、即日入居が可能だったりするのだ。
レベル7は目も耳もいい。私は借りた部屋から、青葉中央公園の観察を続けた。彼があそこにやってくれば、すぐに分かるはず。見逃さないよう、ひたすら目を凝らした。
ほどなく、その機会が訪れた。彼の隣には綺麗な女の人がいた。身なりにはあまり気を使っていなさそうだが、すらっとしていて端正な顔立ち。見た目の若さには不釣り合いな、周囲を意に介さない自然体。間違いない、高レベル者だ。
少しだけ、心がモヤモヤしたのを覚えている。
すぐに向かい、有馬さまたちの様子をうかがう。二人は、通りがかりの老夫婦や子供たちに挨拶をしながら、散歩をしているようだった。……挨拶運動かな?
ただ、そこまで親密には見えなかった。出会ってすぐの、気の合う相手。そんな印象だ。
私はホッとする。……なぜ?
※※※
次は早朝だった。
なぜか彼は背中に天使の羽をつけていた。他の人から奇異な視線を向けられて、恥ずかしそうにしながら公園内を歩いていた。
周囲には誰もいない。今しかない。私は彼に偶然を装って接触した。
「…………おはようございます。」
「お、おはよう?」
彼が挨拶を返してくれた。なんだか分からないが、嬉しい。
少しの間、和やかに話せたと思う。彼の名前も聞けた。
有馬誠二郎さまというらしい。レベルゼロ。レベルの恩恵を受けずにあの動き。やはりただ者ではない。
もっといろいろな話をしようとしたときだった。私の友人が近づき、彼に「低レベル」などと言って、中傷を繰り返した。
私はこういうときにいつも出遅れる。気分を害されたのだろう。有馬さまは私たちを置いて、さっさと行ってしまった。せっかく彼の強さの秘密を知れたかもしれないのに……。
思わず眉を寄せ、友人たちに軽い威圧を放ってしまう。
低レベル差別はよくない。
※※※
その夜にあったことは忘れられない。
虹色を全身にまとい、私のもとへ駆けつけてくれた有馬さまは、本当に綺麗で……頼もしかった。
頼もしい……?そんな感情は久しぶりだ。
害獣に襲われ、左手を骨折し、右肩から出血し、戦う力のなくなった私を救出してくれた。彼がいなかったら、私は間違いなく死んでいた。
この日、有馬さまは命の恩人となった。
レベル7の治癒能力のおかげで、怪我自体は数時間もあれば治った。だが、有馬さまは入院されてしまった。
私のせいだ。私が弱かったせいだ。
※※※
事件の後、私はお父さまとお母さまに軟禁された。
私のような18歳の女が夜に外出した罰だった。
お二人の言うことももっともだったので、素直に従った。
だが、有馬さまが目を覚まされたと聞いて、いても立ってもいられなくなった。
お父さまとお母さまに、恩人へのお見舞いをしたいと言った。
それでも、外出を許してくれなかった。
私は、両親の目の前で幽閉されていた部屋の壁を紙みじんにした。
二人の顔は真っ青になっていた。
命の恩人に見舞いもしないなどという不義は許されない。二人とも何を考えているのだろうか。
※※※
有馬さまは体が痛くて動けずにいた。
だけど、大怪我などではなく、筋肉痛と疲労の蓄積とのことだった。
有馬さまの病室で、雨宮栞さんと会った。
公園で有馬さまと並んで歩いていた彼女。二人はやはり、かなり気安い関係に見えた。
雨宮さんが来てすぐのこと。有馬さまが突拍子もないことを口にした。
雨宮さんに、プリンを「あーん」と言いながら食べさせてほしいと言ったのだ。
なぜ、という気持ちはあった。だが、彼女はニコニコしながら、有馬さまのその頼みを快諾した。
なんだかモヤモヤとした気分になった。このまま放置してはいけないと思ってしまった。
そこで、有馬さまへのご恩返しという言い訳をつくり、「あーん」をするという役目を雨宮さんに譲ってもらった。
彼女は私の方をニヤニヤと見つめながら、あっさり承知してくれた。
顔が熱くなる。なんで私は……こんなことを?自分のことなのに、よく分からない。
だが、一度引き受けた以上、最後までやり遂げる。それが久遠寺家の者としての責務だ。
「…………あーん。」
有馬さまが口を開ける。そこにプリンを流し込む。
それだけで、なんだか幸せな気持ちになった。
※※※
有馬さまが退院される日にも、病院へと顔を出した。
両親は私が病院に行くのを阻止するのを諦めたようだ。
その代わりに、分家の娘であり、私の友人でもある鷹宮千景・一ノ瀬紫苑・八神澪の三人を連れていく条件を飲まされた。
公園で有馬さまを中傷した三人だ。三人とも、典型的なレベル至上主義者だ。
私は、また有馬さまに失礼を働かないかと、心配でならなかった。有馬さまは恩人だ。失礼がないよう、しっかりと言い含めた。
それでも、彼女たちは有馬さまを「低レベル」呼ばわりした。
あれだけ言ったのに!
堪えきれず、三人へと威圧を放ってしまった。
私が本当に怒っているのを感じ取ったのだろう、三人は、顔を青ざめさせて帰っていった。
私の威圧は対象を絞れない。全方位へと広がってしまう。有馬さまにも直撃したはずだ。
だけど有馬さまは、平然としていた。
やっぱりだ。有馬さまには何か秘密がある。
知りたい。有馬さまのことをもっと知りたい。その強さの秘密も。有馬さまご自身のことも。
だけど…………有馬さまは時々、何もない空間を見つめることがある。
そのときは、私が見たことのないような楽しそうな顔をしていた。
知りたい。有馬さまが見ているものは何なのか?
そして可能ならば。
私を見るときも、あの笑みを浮かべてほしい。
そう、強く思ったのだった。
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