虹色と雨宮の怪しい献身
オロロロロロロ……。
誠二郎は便器に頭を突っ込んで、胃の内容物を戻していた。
「き、気持ち悪い。頭がクラクラする……。」
俺の隣でふわふわと浮かんでいるテマリが、心配そうな声を出す。
『困っちゃいましたね。食事をすべて吐いてしまっては、誠二郎の体が十分なエネルギーを受け取れません。』
テマリから意を決したような気配がした。
『誠二郎。』
彼女は眉をハの字にして、一拍置く。
そして再度、俺の意思を確かめるように問いかけた。
『常時全方位視野、まだ続けますか?辛くないですか?』
俺はその言葉に答える。
「だ、大丈夫。心配させてすまん。でもさ……なんか今、この能力を身に付けておかないといけない……そんな気がするんだ。だから、まだ続けるつもりだ。みっともないところを見せて、ごめんな。」
『何言ってるんですか!誠二郎がみっともないのはいつものことです!マブダチなのに、水臭いことを言わないでください!』
そうなの?俺、いつもみっともないところを見せてるの?
テマリの言葉は続く。
『でも、栄養素やエネルギーを取れないのは問題ですね……仕方ありません。彩葉さんは誠二郎的に頼みづらいと思うので、雨宮さんにお願いして、誠二郎を病院に連れて行ってもらいましょう。そして、点滴で栄養補給をしてもらうのです!』
「いや、数日ぐらいなら食事を取らなくても……」
『そうはいきません。これ以上はドクターストップです!いや、テマリーストップです!点滴での栄養補給と水分補給を拒絶するのなら、私はこれ以上誠二郎に協力しません!脱水症状になってしまいます!』
……確かに、吐くのと同時に水分も戻しちゃってるからな。数日間、食事を抜いただけで死にはしないが、水分を取れないのはヤバそうだ。
「分かったよ。テマリの言うとおりにする。」
テマリは俺の意思を尊重しつつ、俺の体を守るための提案をしてくれてるんだ。
これ以上わがままを言うわけにはいかない。
なら、俺にできることは一つだけだ。
畳に寝転びながら、大きく息を吸い込む。そして大声で叫んだ。
「あ、雨宮ー!!助けてー!!」
そしてすぐに隣室から返ってくる返答。
『有馬!?何があった!?』
ああ。ティッシュ壁の青葉荘。
ちょっと大きな声を出すだけで、隣人との意思疎通が可能な青葉荘。
ここに住んでいて良かった。
俺は久々にそう思った。
※※※
雨宮はすぐに駆けつけてきてくれた。
「あ、有馬!どうしたのかね!顔色が真っ青だぞ!」
雨宮は床に膝をつき、俺の顔をのぞき込みながら、スマホを取り出し救急車を呼ぼうとする。
「きゅ、救急車はダメだ。迷惑になる。の、乗り物酔いみたいな感じなだけだから……。悪いけど、病院に連れてってくれないか……?」
「乗り物酔いだと?」
雨宮はスマホを伏せ、俺の瞳孔をチェックしながら、いくつかの質問を投げかけてくる。
「ふむ……確かにキミの言うとおりのようだな。なぜこんなことになったのだね?」
「ニンペの修行……新しい修行をしてたら……こうなった……」
「なんだ?どんな修行だ?まあ、そのあたりはまた今度教えてくれたまえ。今はボクがなんとかしてやる。」
「雨宮がなんとか……できるのか?」
雨宮は不敵にニヤリと笑う。
「できるんだなこれが!有馬、お前はついてるぞ!なんと私は医師免許を持っている!キミに点滴してやることができるのだよ!」
マジで……?確かに、メガネかけてて頭良さそうだけど。
天井に近い所でフワフワと浮いていたテマリが、ハッと気づいたように手のひらを軽く叩く。
『誠二郎、私、彼女がレベル6になった理由が分かってしまいました!きっと、医師として、多くの人を救ったことが世界への貢献とみなされたのでしょう!クミヒモシステムのいいところですね!』
なるほど。レベルっていろんなことで上がるもんなんだな。
ちなみに今日の彼女のTシャツの文字は『酔いどれ』だ。ちょっと違うと思う。
「ふっふっふ!私もよく使う、すごく効く点滴があるからな。キミには特別にそれをあげよう!大丈夫だ、栄養満点だし、ヤバい薬物は入ってないから!」
そう言うと、雨宮はドタバタと自分の部屋へ戻っていき、ガシャガシャと点滴ホルダーと輸液パックを持ってきた。さらには、戻ってきた雨宮は、白衣を着ていた。
雨宮は白衣の袖をまくり、輸液パックを光にかざす。目だけは妙に生き生きとしている。
「ふっふっふ、雨宮先生に任せたまえ。ボクが有馬を気持ち良くしてやるからな……。」
そう言うと、点滴針を取り出し、コンコンと軽く叩き、空気を抜く動作をする。
「だ、大丈夫か?本当に大丈夫なんだよな?本当にヤバい薬とかじゃないんだよな!?」
「大丈夫だ。ボクが特注したスペシャルブレンドの栄養剤だ。このアマミヤブレンドを、有馬の中にドクドクと流し込んでやるから。」
言葉の選び方が卑猥すぎる。
「さあ、すべて私に身を任せたまえ。有馬の元気がないところも、すぐに私が元気にしてやるからな。刺すときはちょっと痛いかもしれないけど、すぐに終わるから。有馬は、天井のシミの数でも数えていてくれたまえ!」
わざとか?わざとなのか?
そういえば、前にもこんな卑猥な言葉を、雨宮が口に出してたことがあった。たしか、彩葉がドアを紙みじんに破壊したときだっけ。
彩葉……か。
ふと視線を感じ、頭を横に倒す。
そこには、床にある扉から頭を半分だけ出してこちらを覗いている、目を虚ろにした彩葉と顔を真っ赤にした小春の姿があった。
なんでだ。出歯亀が増えた。
※※※
「はぁ!?おじさん、ゲームのやりすぎで酔っちゃったの?それで点滴!?バカなの!?アホなの!?」
俺に厳しい言葉をかけてくる小春。おじさん、悲しい。
だけど、『全方位視野』の特訓とは言えないし、おおむね事実だから、なんとも言えない。
だが、俺は言いたい。
覗きも不法侵入も犯罪であると。
「…………誠二郎さま、ご気分が悪いのですか?私が看病いたします。」
彩葉が気遣わしげにそう声をかけてくれる。
うん、彩葉は無罪だな。俺のこと心配してくれるし。でも、俺をバカとかアホとか言った小春は有罪。
これ、決定事項だから。
※※※
結局、俺の体調不良はゲームの操作感度を上げたからということで押し通した。
やめるわけにはいかないとも言い切った。
彩葉からは「…………少しゲームを休まれては?」などと提案されたりしたが、これは男の戦いなんだと押し通した。
「…………漢の戦いなら仕方ありませんね。」と、納得の様子も見せてくれた。
小春はただただ呆れていた。最後には「おじさんはダメダメだから仕方ないか」なんて、ダメ人間の烙印を押されてしまった。
雨宮は、俺がニンペで世界一だと知っている。そのため、この特訓にも口を挟まず、むしろそれを見守る気でいるようだった。
この努力が、それだけ身を削る価値があるものと考えてくれているのだろう。ある意味、テマリの次に俺のことを理解してくれているのは、雨宮かもしれない。
彩葉は俺のことを過大評価している節があるし、小春は俺のことを完全にダメ人間扱いだ。
ありのままの俺を見てくれる雨宮には感謝しかない。
その後、雨宮の点滴で復活した俺は、常時『全方位視野』のまま、ニンペをプレイし日常生活を送った。
もちろん何度も何度も吐いた。だけどやめなかった。
食事が取れない間は、雨宮には一日三回ほど点滴をしてもらっていた。
「有馬、今回はちょっと特殊な薬(酔い止め)をブレンドしたから。いつものお注射より気持ちよくなれるからな。お?もしかして注射が怖いのか?安心したまえ。先っちょだけだから。先っちょだけ刺すだけだから!」
そんな卑猥な物言いにも慣れてしまった。点滴のたびに俺の反応を細かく観察し、どこか楽しそうですらある。
さすが小説家。語彙が豊富である。もしかして雨宮はそっち系の小説も書いてるのではなかろうか?
結局、三日ほどの間、俺は雨宮の怪しげな点滴と、夜の身体補修のみで生き延びた。つらい日々だったが、少しずつ『全方位視野』に慣れていくのも感じていた。
そして四日目……。
俺は、とうとう『全方位視野』で体調を崩すことがなくなった。
使いこなすまではいかなくても、『全方位視野』という強力な能力を、ようやく体が受け入れてくれたのだった。
※※※
<Ninpex ランク1 アイリス視点>
「やっぱりですわ……。それでこそSageです……!」
私の予感は的中した。
Sageは明らかに以前より強くなって、戻ってきた。
一度はランク外に落ちていた彼も、今はもうランク5だ。
特に、四方八方から飛んでいくシュリケンのほぼ全てを、シールドのニンジュツである「キッコウ」で防いだのには驚いた。
視野角が異常である。
どうしたらそんなことができるのか、私には想像できない。
おそらく、何か新しいことを試したのだろう。そしてそれに慣れてきたというところか。
レベル8となり、以前より一段階強くなったと自負している私にも、彼はすでに食い付いてこれるようになっていた。
Sageが以前のままなら、レベル8となった今の私ならば、彼の寄せ集めチームを簡単に破ることができただろう。
だが、もうそれが簡単ではなくなっている。
一時期ほぼ100%だった、対Sage戦での勝率も下がってきていた。
さらには、Sageはまだこの詳細不明の新しいやり方に慣れていない。もし彼が取り入れた新しい何かに習熟してしまったら……また私は勝てなくなってしまうかもしれない。
自然と口角が上がる。勝ったり負けたり、そんなゲームができるのが、なんて楽しいことか。
Sageにがっかりされないためにも。私がもっと楽しむためにも。もっと、もっとだ。もっと、基礎を、基礎を磨き抜く!
「Sage……負けませんわ……!」
私は楽しくて仕方なかった。
※※※
『全方位視野』を使い、アイリスといい勝負ができるようになった頃のことだった。
俺は畳に横になりながら、天井付近でフワフワと浮いている、手毬の髪飾りをつけた白銀の髪と虹色の瞳を持つ少女をボーッと見ていた。
『誠二郎、やっぱり、私、美少女すぎちゃいますか?見とれちゃいますか!?』
確かに見とれていたかもしれない。
着ている服装が『怪しい液体』とかかれたロングTシャツ一枚でなければ。
そのときだった。
ウィィィーーーーンンン……ウィィィーーーーンンン……。
外に大きなサイレンが鳴り響く。
スマホや視界表示にも緊急警戒速報が表示される。
ピロンピロンピロンッ!ピロンピロンピロンッ!
部屋の外では警告のアナウンスが、大音量で流されている。
『青葉中央公園にて害獣のフラッドが発生しました!害獣と遭遇する危険があります!屋外へ出ないよう、建物内で待機してください!』
『繰り返します!』
『青葉中央公園にて害獣のフラッドが発生しました!害獣と遭遇する危険があります!屋外へ出ないよう、建物内で待機してください!』
この日、後世に名を刻むことになるフラッドが始まった。
『青葉フラッド』である。




