虹色と彩葉の抱擁
六畳一間の我が自室。
壁はティッシュ並みの厚さだが、俺の安らぎの地だ。
隣に住む、出歯亀小説家の雨宮も、用事とやらで今はいない。
角部屋のここは騒ぎ放題なのだ。
「ニンペ♪ニンペ♪ニンペ♪」
ニンペでリズムを刻み、畳の上にあるちゃぶ台にノートパソコンを置き、それを開く。
明日には八十万のゲーミングPCが届くのだ。
今までの相棒だったこいつでニンペをプレイすることは、もうないかもしれない。
相棒……今日までありがとうな……。俺は先に進むよ。最後に……今日だけは付き合ってくれ……。
そして、ノートパソコンで、ニンペを起動したその時だった。
『あれ?誠二郎、今日デイリーミッションやりましたっけ?』
ぷかぷかと天井近くに浮いているテマリから、そんな声がかかる。
彼女のTシャツに書いてある文字は『迂闊なり!』だった。
「ん……?あれ……?クウデリの件でいろいろあったけど……あれ、デイリーじゃなかったかも……。」
いや、違う。デイリーじゃない。俺、今日デイリーミッション受けてない。
「し、しまったぁぁぁ!」
やってしまった。朝にデイリーをもらっておけば、クウデリでの何かがデイリーになったかもしれなかったのに。
いや、待てよ……?今の俺が、そんなに慌てる必要あるか?
だってクウデリから、月に一千万入るようになったんだぞ?
で、でもそれはゲーマーとしての矜持に反する。デイリーミッションなどという、使命が課せられているのだ。この矜持を破れば、何か大切なものを失う気がする。
ど、どうしよう。
うんうんと悩んでいると、テマリがしれっとした様子で伝えてくる。
『誠二郎は月一千万、もらえませんよ?』
「え!?なんで!?」
『当たり前じゃないですか!あれは私の会社です!私はマブダチをヒモにするつもりはありませんよ!』
確かに俺の貢献度は、ゼロに等しい。俺はサーバールームで『カタカタカタ、ターン!』してただけだし。
俺もマブダチのヒモになるつもりはない。たとえ、雨宮のヒモになったとしても、マブダチのヒモにはならない。
やはり俺は、デイリーミッションからの報酬で生きていくしかないのか。
テマリは、顔をほころばせて言う。
『私は誠二郎とデイリーミッションをこなしていくのが好きなのです!ゲームみたいで楽しいじゃないですか!誠二郎も成長しますし!』
その、テマリの純粋な楽しみへの欲求に、俺は胸を打たれる。
これぞ理想のマブダチである。
自信がある。なにもせずに月一千万入るようになったら、絶対に、俺はしょうもない人間になると。
「分かったよ……確かにテマリの言うとおりだ。俺はダメなやつだな。」
『誠二郎はダメなやつではありません!今はちょっと心が疲れてるだけです!大丈夫ですよ。株式会社テマリセージローで稼いだお金は、私と誠二郎の未来のために使いますから。マブダチ夢貯金です……!』
「か、株式会社テマリセージローだと!?」
そんな名前の会社なのか。安直すぎる。適当感が否めない。
いや、それよりも。テマリは未来を考えて貯金してくれてるのか。マブダチ夢貯金。なんて心に来るいい響きなんだ。
『でもたまには、ちょこっとおこづかいあげますからね!一緒にガチャガチャでもやりましょう!』
それを38歳のオッサンに言うか?……ガチャガチャ好きだけど……。
まあいい。
「……よし!俺の金は俺で稼がないとな!テマリ、今日のデイリーミッション頼む!」
『さすが、誠二郎です!今日のデイリーミッションは……』
ドゥルルルルル……パンパカパーン!
視界表示に文字が現れる。
――『久遠寺彩葉に稽古をつけよ。』
…………なにこれ。
しょ、正気なのか?いったい、どうしろと?
俺が彩葉に稽古をつけるだと?ボコボコにされて来いの間違いなのでは?
また俺は入院するのか?入院確定か?
……でも、そんなことを愚痴っていても仕方ない。
とりあえず、外に出てみよう。
彩葉との遭遇率はかなり高めなのだ。特に青葉中央公園に行くと、だいたい遭遇する。
おそらく林の中でトレーニングをしているのだろう。俺が彩葉に襲われた時も、そんな感じだったみたいだし。
あーあ、これからはニンペざんまいの予定だったのにな。
そんなことを考えながら、ドアノブを回す。
ガチャ。
ドアを開いたところで見たものは……。
土下座する久遠寺彩葉なのだった。
彩葉は、俺を見上げ、真摯な眼差しを向けてくる。
「…………有馬さま、私に……私に稽古をつけてください。」
※※※
「わかった、わかったから。話聞くから土下座はやめてくれ!」
慌てて、彼女の土下座をやめさせる。ご近所さんに見られたら通報されてしまう。
だが、彩葉の方から稽古をお願いしてくるとは、好都合だ。
好都合……だよな?
だけど、彩葉の魂胆が分からない。明らかに自分より弱いレベル0の俺に、何の教えを乞うているのだろう。
「彩葉に、俺が教えられることなんてあるの?」
彩葉はその澄んだ瞳で俺を見つめてくる。
彼女は今日も聖藍の制服だ。艶やかな黒髪とすらりと伸びた手足が、俺には眩しすぎる。
「…………確かに正面から向き合っての試合でしたら、レベルの高い私が勝つでしょう。ですが……有馬さまのそのレベルに頼らない強さ。その本当の強さを、私は知りたいのです。」
「俺、強くないぞ。逃げ足は早いかもしれないけど。」
それに、その逃げ足もテマリのアシストあってのものだ。俺一人では何もできない。
『誠二郎、それは違います。確かに私が予測し、推測したアシストをしたりすることもあります。ですが、私のアシストのほとんどは、誠二郎が無意識に気づいていることを私が顕在化しているだけです。』
そ、そうなのか?俺って強かったりするのか?
『まあ、その「小さな声」に気づくのが難しいんですけどね。ですので、誠二郎が弱いということはありません。これはクミヒモシステムのレベルの恩恵を受けない部分です。誠二郎は誇ってください。』
それ……なんだか面白そうだな。
俺も『小さな声』ってやつを聞きたくなってきたぞ。
「…………有馬さまが弱いなどと、そんなことはないと思いますが。それでは、私の攻撃を避けてくださるだけで結構です。もちろん、お礼なら何でもします。有馬さまの望まれるものを。」
そう言うと、彩葉は胸元で握った両手に力を込め、俺から視線をそらす。やめろ、勘違いするだろ。おっさんにそれは効く。
「分かったよ。俺もちょっと興味が出てきたことがあるし。でも……どこか人目のつかないところでお願いできないか?クミヒモ神会の人たちに狙われるのは、嫌すぎるし。」
彩葉は俺の言葉を不思議そうに考え込んだ後、ハッと目を見開く。
その理由に気づいてくれたようだ。
「…………こ、これは失礼しました。有馬さまのご都合も考えずに。」
彼女はしばらく視線を落とした後、名案を得たように顔を上げる。
「…………では、私の家の道場ではいかがでしょうか?人払いを行いますので、誰にも見られることはありません。」
く、久遠寺のお屋敷に?あんまり気乗りはしないけど……仕方ないか。
デイリーミッション達成のため。三万円のためだ。
俺は彩葉の呼んだタクシーに乗り込む。
そしてそのまま、久遠寺のお屋敷へと連れて行かれたのだった。
※※※
久遠寺家には数分で到着した。駅チカ、公園チカ、ちょっと高台の閑静な高級住宅街。
タクシーから降り、目の前にそびえ立つ屋敷を見る。
ここが久遠寺のお屋敷かあ……。
木造の平屋建て。日本庭園があり、池には錦鯉が泳いでいる。
まさに、武家屋敷といった感じのたたずまいだ。
実に風情があっていい。
彩葉が俺を連れて門をくぐると、慌てて使用人らしき女性が駆けつけてくる。
「お、お嬢様、何を!?こんな低レベルの人間を敷地内に入れるなど!」
どこも、俺への対応は同じだ。
でも俺は、マブダチのテマリシステムが入ってるんだよ。同じ尺度で測らないでほしい。
彩葉の目がつり上がる。
「…………この方は有馬さまです。私に今から稽古をつけてくださるのです。それよりも……有馬さまのことを悪く言ったことを謝罪しなさい!」
「で、ですが、こんな低レベルに!」
「…………私は謝罪しなさいと言いましたよ?」
彩葉から信じられないような重い空気が伝わってくる。これが高レベルの威圧というやつだろうか?
使用人は何も言えなくなり、その場で膝をつく。
興味深くその様子を観察していると、彩葉はくるっとこちらへ振り向いた。
「…………やはり有馬さまには、これも効果がないのですね。お見事です。道場はあちらになります。」
これ?さっきの重い空気のことかな?
テマリが言う。
『あの威圧っぽいのは、クミヒモシステムがインストールされている人間にしか効かないんですよ。誠二郎にはクミヒモシステムの威圧は通用しません。超絶高性能なテマリシステムが入ってますからね!』
超絶高性能。ハイハイソウデスネー。
膝をつく使用人をちらりと見ると、彩葉はスタスタと歩いていく。
なんか機嫌悪そう。なんで?
彩葉に怒られていた久遠寺家の使用人が、絞り出すように声を上げる。
「あ、あなた!お嬢様に免じて、ここでは先ほどの発言を謝罪させていただきます!ですが、本当はこの敷地はあなたのような方が来ていい場所ではないのですよ!」
その言葉に少し離れた場所の彩葉がピタッと動きを止める。高レベルは地獄耳なのだ。もうこういうのはいいから、先に進めたいんだが。
使用人の人に声をかける。
「失礼。ですが、俺は久遠寺彩葉さんにここに呼ばれたのです。彼女の意志を差し置いて、あなたの言葉を優先する必要を感じられません。それでは。」
何も言えない使用人を尻目に、すぐに彩葉の方に向かう。
これ以上いざこざはごめんだ。
彩葉は何かを堪えるように唇を結んでいる。伏せた瞳の縁には、涙がたまっていた。
「…………有馬さま、申し訳ありません。いつも私のせいで、ひどいことを言われてばかり。」
ああ……彼女は責任を感じてるんだな。
取り巻きの件もあったもんな。
「彩葉、気にしないでいいよ。こんなの俺にとっては日常だから。いちいち気にしたりしないから。」
「…………ですが私が、私が気になるのです!有馬さまを悪く言われるのが……我慢ならないのです!私の命の恩人なのに!」
そう言って潤んだ瞳でこちらを見つめる彩葉。
俺の事を気遣ってくれてるんだな。優しい子だ。
でも、子供が悲しむのはダメだ。俺は大人として、おっさんとして、それをなんとかしてやる義務がある。
「だから、気にするなって。もし申し訳なく思うんだったらさ、もっと強くなって俺のこと守ってくれよ。俺みたいな低レベルな人間が生きやすくなるような、そんな社会を、久遠寺彩葉が作ってくれよ。それは多分、高レベルの人間にしかできないことだしな。」
そして、何でもないことのように笑ってみせる。
「…………有馬さま。」
顔を赤らめて見上げてくる彩葉。むむむ……そんな目で見ないで欲しい。道を外しそうになるではないか。
そこに、テマリの空気の読まない声が割り込んでくる。
『誠二郎!ジゴロです!タラシ誠二郎!甘いです!トロトロです!さすが私のマブダチの誠二郎です!ベッド!ベッドはどこですか!?ベッドをここにぃ!!』
そんなテマリの能天気な声を聞き、当初の目的を思い出す。
俺への低レベル差別なんてどうでもいいのだ。
「じゃあ、彩葉。はやく道場行こうぜ。稽古するんだろ?」
彩葉は涙を拭って答えた。
「…………はい!」
さてテマリが言ってた『小さな声』聞くぞ!
あと、三万円ゲットと、就職活動からの逃避のために。
※※※
「…………こちらをお使いください。」
渡されたのは木刀だった。彩葉は竹刀を手に取っている。
『これはよろしくありませんね。誠二郎、彩葉さんにも木刀を持つようお伝えください!』
え?木刀で叩かれたら、俺、死なない?
『死にそうな時は私が守りますから!それに、竹刀では彼女の訓練になりません。反りが入っていて、重心も真剣と似た木刀を使ってもらうべきです。たとえ怪我しても、夜に身体補修が入れば治ります。』
テマリは俺だけじゃなく、彩葉も成長させようとしているようだ。
彩葉はテマリにとって、どういう存在なのだろうか?
まあいい。俺も彩葉には強くなってほしいし。彩葉はワシが育てたって言いたいし。
「彩葉、木刀を使って。それじゃ、稽古にならんだろ?俺のことは大丈夫だから。」
「…………ですが。」
「大丈夫だから。まあ怪我したら、彩葉が看病してくれよ。な?」
「…………そこまでおっしゃるなら。」
慌てた様子で俺から目をそむけ、彩葉は木刀を手に取る。
『ジゴロ!タラシ!誠二郎のチャラ男!よ、色男!』
テマリがうるさすぎる。なんか変なこと言っただろうか?
まあいいさ。
「じゃあ、テマリ、アシスト頼む。俺も『小さな声』ってやつに耳を澄ますか。」
『分かりました、誠二郎。私たちのマブダチコンビのすごさを、彩葉さんに見せつけてやりましょう。』
俺と彩葉は木刀を構え、向かい合う。
※※※
テマリの声が響く。
『彩葉さんは古流綾取神刀術の使い手ですね。重心を維持するのに長けた剣術です。高速移動しながら、四方八方から攻撃が来るでしょう。お気をつけください。』
木刀を構える。剣の先に聖藍の制服を着た彩葉。
そして……その姿が消えた。
『右5度、地面すれすれ薙ぎ払い!!』
軽くジャンプし、その剣撃を避ける。
『すぐです!右15度、右袈裟!!』
手にした木刀でその剣撃を受け止める。
「ぐう!なんて衝撃だ!」
『誠二郎、木刀に強化を入れます!』
彩葉が目を見開く。俺は彼女の剣を滑らせ、剣先を地面に落とす。
『切り上げ!』
くうぅっ。
後ろに飛ぶ。
『左15横薙ぎ!首後部ねらいです!!』
くそっ、せめて一矢報いたい。
後ろから首へと払われる剣閃をしゃがみながら避け、そのまま彼女の左脇腹へ木刀を振るう。
手応えは……ない。だめか。
彩葉は上へ飛んで避けたようだ。
『右前方5仰角80!切り落とし!』
また真上かよ。
ガンっ!
慌てて身をひくと、彼女の木刀が地面に叩きつけられ、床にヒビがはいる。
マジかよ。なんて膂力だ。
その時だった。彩葉の攻撃が俺の股間へと向かうという声が聞こえた気がした。いや、そんな像が見えたような気がした。
股間だと。そこは……そこだけはヤメテ。
即座に体が動き始める。木刀を落とす。
テマリも叫ぶ。
『誠二郎、なんで!切り上げが来ます!股間です!誠二郎の、大切なところです!守って!守ってぇぇぇ!』
テマリの悲鳴が聞こえる中、彩葉が切り上げの動作に入る前、右肩から彩葉に全力の体当たりをした。
木刀を捨てるという、虚を突いた行動に気を取られたのか、彩葉は俺の体当たりを受け、後ろに押され、尻もちをつく。
ふう……なんとかなったか。
マジであぶなかった。俺の大切なものが潰されるところだった。
ホッとしたような様子のテマリが嬉しそうに声をかけてくる。
『誠二郎、今「小さな声」聞こえてましたね!?聞こえてましたね!?さすが私のマブダチです!』
股間だけは、大切な玉だけは守らなきゃ、そんな強烈な危機感が全身を駆け抜けたからな。
俺の『小さな声』も、それに応えてくれたのかもしれない。
彩葉は呆然とした顔で、まだ尻もちをついている。
さすがの彩葉も、レベルゼロに押し倒されて、ショックだったのかもしれない。
当然だ。彩葉は剣術に人生を捧げてるんだから。俺みたいなニワカとはちがうのだ。
「い、彩葉?だ、大丈夫か?」
俺が呼びかけても、彩葉は少しの間答えなかった。
そして、ゆっくりと立ち上がり……信じられないといった様子で、自分の手のひらを見つめる。
「…………あ、有馬さま、わ、私……レベルが上がったみたいです。」
え?レベルが上がった?レベル7の彩葉がレベルアップしたとなると……。
「…………レベル8になりました……有馬さまの……有馬さまのおかげです!」
そう言うと彩葉は俺に、がばっと抱きついてきた。
上品なシャンプーの香りと、少しだけ汗ばんだ、彩葉の柔らかくしなやかな体の温かさが伝わってくる。
レベル8の彩葉の突然の抱擁。俺が避けられるわけがないし、引き剥がすこともできない。
「…………やった!やりました!やりました!有馬さまのおかげです!有馬さま!有馬さま!有馬さま!有馬さま!有馬さま!」
レベルアップの喜びで我を失っている彩葉。
ジワジワと今何が起きているかを体が認識していく。
男としての俺は大喜びしている。
だけど……レベルゼロとして生きてきた俺の女性恐怖症な部分は、そうはいかなかった。
息を思い切り吸い込み……自分のものとは思えない声が、俺の喉から発せられた。
「き、き、き、きゃああああああああ!!!!!!!!」
久遠寺家の広い広い道場に、野太いおっさんの声が響き渡ったのだった。




