虹色と彩葉の『あーん』
入院中の俺に課さられた、本日のデイリーミッション。
――『女性に「あーん」をしてもらい、食べ物を口にせよ。』
本気か?どうすれば?どうすればいい?
まてよ……?俺は今、体を動かせない。
なら、看護師さんが『あーん』してくれるかもしれない。
『誠二郎、看護師には女性の方が多いですが、男性もいますよ。』
そのとおりだ。もし、俺に『あーん』してくれる看護師が男性だったら、今日のデイリーは失敗になってしまう。
『それにですよ?これは食べさせてもらう時に「あーん」と言ってもらう必要がありそうです。このレベル至上主義社会で、レベルゼロの誠二郎にそんなことをしてくれる方はいらっしゃいますでしょうか?』
正論すぎて、ぐうの音も出ない。
……どうしよう。
その時だった。
コンコンコン。
病室のドアがノックされた。
俺がどうぞと言うと、白い引き戸が開かれる。
そこに立っていたのは、聖藍の制服を着た久遠寺彩葉だった。
※※※
彼女がなんで?幽閉されてるとかさっき聞いたばかりなんだけど。
「…………有馬さま、中に入ってもよろしいでしょうか?」
「あ、ああ……どうぞ。」
そう答えると、久遠寺さんは引き戸を閉じ、ベッドサイドまでゆっくりと歩いてくる。流れるような移動だ。剣術の達人の動きだ。
重心にブレが一切ない。
……あれ?なんで俺がそんなことがわかるんだ?
久遠寺さんが口を開く。
「…………有馬さま、私を助けてくださり、本当にありがとうございました。」
そう言うと、彼女は深く頭を下げた。
わざわざお礼に来てくれたのか。低レベルの俺に義理を尽くしてくれるなんて、やっぱり彼女はレベルに対するこだわりがあまりないようだ。そこらのイソギンチャク……いや、腰巾着とは違うということだ。
「ははは。大事がなくて良かったよ。怪我の方は……もう大丈夫なんだよね?」
「…………はい。私は……その……レベル7ありますので、怪我の方はすぐに治りました。」
「それは良かった。頑張って抱えて逃げ回った甲斐があったな。ははは……。」
彼女は俺の様子を見て、悲しそうに眉をゆがめる。
「…………ですが、私のせいで有馬さまがこんな……お体の方は大丈夫なのですか?」
どうやら責任を感じているようだ。
ふむ……俺は未来ある子供を助けたに過ぎない。それは大人の義務だと思っている。だけど、それで彼女が罪悪感を感じたら意味がない。
「検査では何の問題もないって言われたから、大丈夫。今は体が動かないけど、疲労と筋肉痛のせいだって言われたし、たぶん明日には動けるようになるんじゃないかな。だから久遠寺さんが気にする必要はないよ。」
テマリもそう言ってたしな。
久遠寺さんのあまり表情を出さない顔が、少しだけ柔らかくなる。
「…………有馬さま、私に何かできることはありませんか?有馬さまは私の恩人です。何かあなたのお役に立ちたいです。」
やってもらいたいこと……あるにはあるんだけどなあ。
もちろん、デイリーミッションの『あーん』だ。
だけど……こんな少女に、レベル7の久遠寺彩葉に俺が頼んでいいことなのだろうか?絵面がヤバいことにならないか?
うーんと考えてると、彩葉が付け加える。
「…………もちろん、ここの医療費や入院費は久遠寺家で払わせていただきます。それ以外でお願いします。」
むう……そうなるとやはり『あーん』しかないんだよなあ。
ちらりと久遠寺さんの顔を見る。
本当に綺麗な子だ。艶々の黒髪。上品な姫カットが、まさに大和撫子という雰囲気だ。すらりとした体つきで、肌も綺麗で、背筋もピンと伸び、立ち姿も美しい。まさに芸術品だ。
この子に傷が残らなくて本当に良かった。
彼女が真摯な顔で俺を見つめてくる。
「…………何でもいいのです。お願いします、命の恩人の有馬さまに何かさせてください。」
そう言うと、彼女の顔がうっすら赤らんだ。なぜ、ここで顔を赤らめる。
でも、俺が何か言うまで引き下がる気はなさそうだ。
そうだ。ゲーミングマシンと大きめのディスプレイをお願いするのはどうだろう?俺が欲しいものといったら今はそれぐらいだ。
『まるでヒモですね!でも私は賛成ですよ!早く新しい環境でニンペをプレイしたいですね!』
つい元気なテマリへと視線をやってしまう。
久遠寺さんもそれに気づき、俺の視線の方向へと目をやる。
「…………あの……そこに何かあるんでしょうか?」
「いや、何でもないよ?何もないでしょ?」
「…………すみません。とても優しい顔をされてたので。」
すごい観察力だ。
テマリから聞いた話によると、あの夜、彼女は4体の害獣をすでに倒していたらしい。それも最初の不意打ちで左手をやられてなかったら、おそらく全個体を処理できていただろうとのことだ。
やはりレベル7はすごい。そんな彼女にしてもらいたいこと……わからん。わからんぞぉ。
ピンと背筋を伸ばし、俺の返答を待つ久遠寺さん。
どうしたらいいか困り果てていた時のことだった。
コンコンコン、とドアがノックされる。
そして了承を待たずにガラガラガラッ!と開けて入ってきたのは、
雨宮だった。
※※※
「有馬、怪我したって?大丈夫なのか?」
今日の雨宮は、青いパーカーに灰色のスウェット姿だ。
眼鏡に、少しぼさっとしたロングヘアはいつも通り。
まさに深夜にコンビニに行く格好である。
「あ、雨宮?なんで俺が入院したってわかったんだ?」
「ふふふ。小説家ネットワークだよ。まあ、細かいことは気にしないでくれたまえ。それで?いつ頃退院できるんだ?」
雨宮は、俺の答えを待たずに、話し続ける。
「早く私に取材させて欲しいのだが。とっとと退院して、ボクにニンペを教えてくれたまえ。有馬がニンペをやってるところも見てみたいしな!」
雨宮は、実にマイペースである。
「明日には多分退院できると思うぞ?多分だけど。」
「そうか。それなら良かった!おや……キミは……?聖藍学園の子……?こんなかわいい子を病室に連れ込むなんて、有馬も隅に置けないな。取材していいか?」
人聞きが悪い事をいわないで欲しい。彼女は、お見舞いに来ているだけだ。
「ダメ!取材はダメだから!彼女は……その……。」
なんて説明したらいいんだろう。俺が助けたっていうのも変だよな。逃げ回ってただけだし。
久遠寺さんは、雨宮の突然の登場に少しだけ驚いた顔をしていたが、俺の代わりに事情を説明してくれた。
「…………有馬さまは、昨夜、害獣に襲われていた私を助けてくれたのです。彼は……私の命の恩人です。私のせいでこんな入院までさせてしまって……。お見舞いに来させてもらっています。」
命の恩人……彼女から見ればそうか。でも、本当に無事で良かった。
久遠寺さんの言葉に、雨宮が反応する。
「害獣?害獣が出たのか?そして有馬がこの子の危機を救ったと?有馬、ヒーローじゃないか!なあ……それも取材させてくれよ。もちろん報酬は払うから!」
俺にすがりついて来る雨宮。い、痛い、体を触らないで。激痛がはしるぅ。
「……だめです。有馬さまは、絶対安静なのです。」
そういうと久遠寺さんが、雨宮を俺から引き剥がしてくれる。
はあっ。はあっ。マジで痛かった、痛かったぞおぉ。
悶絶していた俺の様子に気付いたのか、雨宮が謝ってくる。
「きょ、興味深いことばかりで、つい興奮してしまった。有馬、ごめんな?許してくれたまえ。」
さすがの雨宮も、申し訳なさそうにしている。
……そうだ。雨宮って俺の女性恐怖症克服の協力者じゃないか。俺に『あーん』してもらおう。ひどい目に合わされたし。
チラリと彼女を見ると、雨宮は手にビニール袋を下げている。
「雨宮、その袋には何が入ってるんだ?」
「ん?これか?これはプリンだ。有馬への、お見舞いの品だな。」
お見舞いの品にプリン?それってありなのか?まあ、でも都合がいい。
「雨宮、例の女性恐怖症克服協力関連でさ、そのプリンを俺に食べさせてくれないか?俺、今、体を動かせなくて。」
なんか雨宮がマイペースすぎて、女性に見えなくなってきた。
正直、いろいろ頼みやすい。
俺の言葉に、雨宮は目を丸くする。
「有馬に?プリンを?ボクが?食べさせる?」
「ああ、嫌ならいいんだけどさ。できれば『あーん』って言いながらやってほしい。そしたら昨夜のことも全部話すからさ。」
昨夜の話を持ち出すと、雨宮の目がキラリと光る。
「いいだろう。ボクに任せたまえ。ボクも『あーん』なんて、やったことないからな。いい経験になるにちがいない。」
そう言うと、ガサガサと袋を漁り、プリンとスプーンを取り出す。
ペリッとプリンの蓋をめくり、スプーンを、プリンに突き刺す。
その時だった。
ぐいっと、久遠寺さんが、俺と雨宮の話に割り込んでくる。
「……わ、私ではダメでしょうか?プリンを口に運ぶくらいなら、私にもできると思うのです。」
久遠寺さんは、なぜかもじもじしている。
無理をしてでも、借りは早く返したいということか。まあ、聖藍学園の高レベルだもんな。あまり長い間、俺にかまっているわけにもいかないのだろう。
久遠寺さんのそんな様子を見て、雨宮はニヤーッと笑顔を浮かべている。
「ははーん。なるほど。なるほど。そうだよな、有馬はキミの命の恩人だったな。よろしい、有馬に『あーん』する権利をキミに譲渡しよう!」
そう言うと、雨宮は久遠寺さんにプリンとスプーンを握らせる。
相変わらず押しが強い。
久遠寺さんは少しの間、プリンとスプーンを見つめていたが、やがて意を決したように俺の方を見た。
「…………有馬さま、よろしいですか?」
「あ、ああ……。」
久遠寺家のご令嬢である彼女に、そんな事をさせて本当にいいのか?
だが、俺もデイリーをとっととこなしてしまいたい。もう、どうにでもなってしまえ。
久遠寺さんは緊張した面持ちで、スプーンをひとすくいし、俺の口へと運んでくる。
俺は口を開き、久遠寺さんが食べさせてくれるプリンを受け入れる。うん、甘くて美味しいけど、ただのコンビニプリンだな。
でも、これでは駄目だ。
「く、久遠寺さん?できれば、『あーん』と言いながら俺の口にプリンを押し込んでほしいんだけど。」
無言では、デイリー達成にならない。
俺の言葉に、さらに顔を赤くする久遠寺さん。まあ、そうだよな。レベルゼロのおっさんにそんなことをするのは屈辱だよな。気持ちは分かる。
「あの、無理にとは言わないけども……。」
「…………やります。この久遠寺彩葉。久遠寺家の名にかけて、一度やると言ったことはやり切ります。」
そして再度、スプーンでプリンをひとすくいする。
そして……。
「……あーん。」
そう言って、俺の口へとプリンを運んでくれた。
彼女が差し出してくれたプリンが、俺の口の中へと流れ込んできた。
……さっきより、甘い気がする。
な、なんだか滅茶苦茶ドキドキしてきたぞ。
いや、彼女は、俺の娘でもおかしくないくらい年齢が離れているんだぞ。何を考えているんだ。
落ち着け。落ち着くんだ……。
『誠二郎!デイリーミッション達成です!おめでとうございます!』
テマリはぷかぷか浮きながら、俺のことをニヤニヤと見つめている。
くそー。面白がりやがって。
そういえば、もう一人、同じような顔をしてこちらを見つめている奴がいる。
雨宮だ。
彼女はスマホを取り出して、こちらをニヤニヤと観察しながら、ものすごい勢いで何かを入力している。小説用のネタだろうか。
くっ。こんなの、晒し者ではないか。
「…………あーん。」
久遠寺さんがそう言って、またプリンを差し出してくる。
「い、一回でいいから。」
だが、久遠寺さんは譲らない。
「…………いえ、最後までやり遂げます。必ず。あーん。」
そう言うと、ふたたびプリンを突き出してくる彼女。
俺は、それを受け入れざるを得なかった。
テマリと雨宮の顔は、ニヤニヤが止まらない。
雨宮なんて、鼻息がこちらまで聞こえてきそうだ。ノールックでスマホを超速入力しながら、すごく楽しそうな笑顔を浮かべている。なんて器用なんだ。なんて無駄なレベル補正なんだ。
……俺は今、辱めを受けている。
久遠寺さんが身を乗り出し、さらに俺に顔を近づけてくる。
透き通った瞳に、長いまつ毛。肌も毛穴すら見えない。これが高レベルの若者か……。
久遠寺さんは、真剣な顔をしてプリンを差し出してくる。
「……あーん。」
そう言いながら。
※※※
結局、丸々ひとつのプリンを久遠寺さんに『あーん』してもらってしまった。
「……で、では、私はこれで。」
久遠寺さんは、プリンが空になると、そそくさと帰ってしまった。
やはりレベルゼロおっさんへの『あーん』は、彼女には荷が重すぎたのだろうか。
だがこれで、本日の報酬はゲットだ。
三万円。三万円。
雨宮も座っていた椅子から立ち上がる。
「じゃあ、ボクもこれで帰らせてもらうよ。いや、いいものを見せてもらった。恥ずかしがる乙女というのは最高だな。」
そう言い放つと、雨宮は俺からの返答も聞かずに帰ってしまった。
実にマイペースである。
『誠二郎!モテモテじゃないですか!久遠寺さん、絶対に誠二郎に気がありますよ!』
テマリはニコニコと嬉しそうだ。
実は、俺もちょっとだけ、そうなんじゃないかと思ったりしたが……彼女は俺と二回りは年が離れている。そんなはずはない。
まあ、年齢以前に俺はレベルゼロだ。
このレベル至上社会で、レベルゼロの俺に、そんな好意を向けてくれる女性はいない。
いい。
俺にはテマリだけがいてくれれば、それでいい。
※※※
深夜の病棟。
今日のテマリは、誠二郎の頭を、慈しみを込めて撫でていた。
――…………。
――デイリーミッションによる報酬「身体補修」を行います。
――誠二郎に「診断」を実行。加齢と不摂生、ついでに本日ミッションを原因とする身体ダメージの修復をバックグラウンドで実行します。
――事象記述操作「消却」の定着を確認。誠二郎に、想定を大きく超える「消却」への適性を確認。固有事象記述操作「超消却」と命名。初現出の事象です。
――…………。
――…………。
――テマリ日記の記述を実行します。
※※※
<テマリ日記>
今日の誠二郎はモテモテでした!
彩葉さんに雨宮さん。
雨宮さんはよくわかりませんが、彩葉さんは間違いなく誠二郎に気がありますね!
出会って、こんな短期間で彩葉さんを落としてしまうなんて……。
誠二郎はジゴロです!スーパージゴロです!
それにしても『超消却』とは……ついにこの宇宙にも『超』の名を冠する事象記述操作が現れました!
さすがマブダチです!
私は誠二郎が誇らしいです!
【作者からのお願い】
面白かったら、下の「☆☆☆☆☆」から評価をいただけると嬉しいです。




