虹色と隣人「壁ドン」高レベル小説家
朝。
いつもの起床時間はとっくに過ぎている。
生活リズムを崩すのはよくない。私は誠二郎を起こさなければいけない。
『誠二郎ー!朝です、朝ですよー!』
「うーん、あと五分。あと五分だけぇ……。」
誠二郎は目を覚まさない。
『ニンペのプレイはいいのですが、集中して遅くまでプレイしてしまうのは悩みどころですね……。今日からは時間になったらおしまいにします。視界表示を真っ暗に染めてあげますよ!』
「……怖い……怖いよぉ……。」
それでも誠二郎は起きない。
『仕方ありませんね。この手だけは使いたくなかったんですが……。』
テマリは誠二郎の耳元でボソリと呟く。
『就職活動の時間ですよ……。』
誠二郎が布団を蹴り上げ、飛び上がる!
「嫌だ!やめて!レベルゼロの就職活動!あんな地獄はもうごめんだ!」
起き上がって、肩で息をしている誠二郎に、私はふわっと抱きつく。
もちろん、私は映像でしかないので、誠二郎に直接は触れられない。
でも、これで誠二郎の気持ちが楽になるなら……私は何でもやりますよ。私は誠二郎のマブダチですからね!
『大丈夫。大丈夫ですからね……。ちゃんとデイリーミッションをやっていれば、就職活動は必要ありませんから。誠二郎、安心してくださいね……。』
「テ、テマリィィィ……。」
自分で追い詰めて、自分で優しくする。
テマリがやったのは、ただのマッチポンプなのであった。
※※※
意識が完全に覚醒する。
過去に就職活動をしていた時の悪夢を見てしまったが、テマリが優しく慰めてくれたので、今はもう平気だ。
メンタルまで癒やしてくれる。さすが俺のマブダチである。
さて……。
「じゃあ、テマリ。今日のデイリーミッション頼む。」
『分かりました、誠二郎!』
いつものようにドラムロールが鳴り響くと思ったら、今日はそんなことはなかった。
静かに視界表示に文字列が現れただけだった。
――『百人の女性に挨拶をせよ。』
じょ、女性?挨拶?百人。
女性恐怖症の俺にこんなことをしろと?
「そ、そんな無茶苦茶な!」
『これは……誠二郎には大変なミッションですね……。』
「……だ、だよな?これ、デイリーミッションの引き直しはできないのか?」
『……無理そうです。このデイリーミッション、どうやら誠二郎が成長するためのミッションを出しているみたいです。いい加減に女性恐怖症なんとかしろゴラァって感じなのかも知れませんね。』
み、ミッションさん、なかなかのスパルタ教育だ。
確かに、百人に挨拶できれば……ちょっとは女性恐怖症も治るかもしれないけど。
いや、それよりも俺みたいなおっさんに突然挨拶されたら、相手も怖がっちゃうんじゃないか?
『キャー!』なんて叫ばれたら、女性恐怖症が深刻化しそうだぞ。
テマリも同じようなことを思ったのだろう。
ぷかぷかと浮かびながら、少し考えるような素振りを見せている。
『うーん、これは、挨拶の正当な建前と構造が必要ですねえ。とりあえず、お隣さん、ウナさん、久遠寺さんなどからはじめられては?』
お隣さんとウナはともかく、久遠寺さんに接触しろと?
昨日、ダッシュで逃げ出したのに?
「久遠寺さんはダメだろ!高レベル持ちには関わり合いになりたくない。それに名家のお嬢様なんて、レベルゼロの俺が声をかけていい相手じゃないぞ。」
『私はそうは思いませんが……誠二郎がそう言うなら仕方ありませんね。あ、若い女性とは書いてませんね。公園を散歩してらっしゃる老夫婦に挨拶できれば、カウントが上がるのでは?』
「そ、それだ。さすがテマリ!」
だが、百組の老夫婦が青葉中央公園を散歩してたりするだろうか?
この真夏に?いや……夕方ならあるいは?
ミッションさんが俺の成長のために、デイリーミッションを出すのであれば……ここで逃げてもまた同じようなミッションが飛んでくるだろう。
三万円と就職活動免除のためだ。なんとか……なんとか頑張ってみよう。
まずは、お隣さんとウナさんだ。
お隣さんには、ニンペやってる時、うるさくしてないか聞いておきたいし。
「じゃ、じゃあ、手始めに、お隣さんに挨拶にいこうかな?」
畳から、重い腰を上げる。
『女性恐怖症なのに……自ら第一歩を踏み出すなんて……さすが誠二郎です!彼女には、ノイズキャンセリングイヤホンの調子を聞くとか、最近うるさくないかとか、いくらでも話題を作れますしね!では、参りましょう!』
お、おう……。
き、き、き、緊張してきた……。
※※※
ピーンポーン。
お隣さんのインターホンのボタンを押す。
少し間を置き、女性の声がスピーカーから聞こえてきた。
ぐう……勇気を出せ、俺。
この人は俺に何もしていないじゃないか。
「あ、あの、隣の者です。おはようございます。」
「おはよう……。」
「あ、う……あの……自分、夜うるさくないですか?ゲームをやってて、ご迷惑をおかけしてたら悪いなと思いまして……。」
大丈夫だよな?俺、変なこと言ってないよな?
「ゲーム?」
お隣さんの声が変わる。
「え、ええ。熱くなっちゃって、声を出してご迷惑をおかけしていないかと。」
俺がそう言うと、ブツッと通話が切られる音がした。
え?え?俺、なんかやった?
ガチャガチャッ!とノブが回り、ドアが開く。
先日も見たお隣さんだ。
ウェーブの長い髪を、後ろに一つにまとめている。
ボクっ娘の、眼鏡っ娘だ。
ど、どうして、出てきたんだろう?
「き、君、ゲーマーなのか!?ゲームやってるのかい!?」
「え、ええ……。」
な、なんだ?
「なんのゲームをやっているのだね!?」
「え?ニンペですけど……?」
「でかした!」
そして急に俺の手首を掴み、強引に部屋に連れ込もうとする。
急な接触に、全身に鳥肌が立つ。
「きゃ、きゃあーっ!」
俺はうら若き乙女の悲鳴を、野太いおっさんボイスで発してしまったのだった。
※※※
「実はボク、小説家でね。今、プロゲーマーが出てくる小説を書いているのだよ。」
「は、はあ……。」
丸いメガネの下には、長いまつげに眠たげな瞳。さらには華奢な体に、きめ細かい滑らかな肌。
ゆるくウェーブがかかった長い黒髪は、今は結ばれておらず、下に降ろされていた。
着ているのは、ダボダボの黒い薄手のパーカーに、ゆったりとしたショートパンツ。真っ白な足が艶めかしい。
完全に部屋着だ。
な、何だこの人?ウナといい久遠寺さんといい、最近出会う女性、魅力的すぎだろ。
つい、ゴクリと唾を飲み込む。
ダメだ、落ち着け。
女性恐怖症なのに、スケベ心だけはあるこの矛盾。なんとかならないものだろうか。
「それで、自分でもゲームを始めてみたんだが……何分ボクにはこういうのはまったく向いていないみたいでね。小説の参考にならなくて困っていたんだよ。」
「そうですか……。」
「それでだ!君、手伝ってもらえないか!?私にゲーム……ニンペを教えてくれよ!」
「そ、それは構いませんが……。」
その時、俺に雷鳴のような思いつきが走った。
この人で女性に慣れてしまえば、ミッションさんも無茶なミッションを出してこなくなるんじゃないか?
交換条件として、こっちも女性恐怖症のことを打ち明けて、女性とのコミュニケーションに慣れるためというWIN-WINの関係を作れるんじゃないか?
女の子からの提案に答える形だ。おっさんから提案するよりも、怪しさは段違いに低いはずだ。
だけど……この人何歳なんだ?
見た目は二十歳くらいに見えるけど……十代とかだったら、さすがにオッサンとしてそんな相手を練習相手にする訳にはいかない。
たとえ、ただ、ゲームを教えるだけだとしてもだ。
「あ、あの……俺、警察に捕まりたくないんで……失礼ですがご年齢は?さすがに若すぎる女性と二人きりになるのは、どうかと思いまして……。」
「ん?そんなことを気にしているのか?律儀なやつだな。ボクはこう見えても結構レベルが高くてな。レベルも六あったりする。レベル補正でこんななりでも三十六歳だ。どうだ?問題ないだろう?」
さ、三十六歳?彼女の艶々の肌にはシミ一つなく、顔にもシワ一つない。
レベル6の老化抑止、恐ろしい……。うらやましい。
でも、なるほど。俺に警戒心を抱かない理由がこれか。
レベル6なら、腕っぷしも相当なものだろう。低レベルの俺なんて一瞬で制圧できると考えているに違いない。
実際、そのとおりだろうけど。
「その年齢なら問題ないですね。失礼しました。」
「まあ、気にするな。そういえば、自己紹介がまだだったな。ボクは、雨宮栞という。小説を書いている。」
「小説家なんですね。あ、自分は、有馬誠二郎といいます。三十八歳、レベルはゼロです。」
「レ、レベルゼロだと!あの世界に数人しかいないという!?それに有馬だって?君は……。」
そう言うと雨宮さんは、俺の顔を見つめたまま、言いかけた言葉を飲み込む。
「……いや、やめておこう。」
隣人であり小説家でもある壁ドンの雨宮さんは、ゴホンと咳払いをする。
「そうか、私より年上なのか。なら、私にはぜひタメ口で話してくれたまえ。有馬と呼んでいいか?私のことも雨宮と呼び捨てで構わない。」
「は、はあ……」
グイグイ来るな、この人。
「で、どうだ?ボクにニンペを教えてくれないか?君がゲームをやっているところも見たい。あと、できればレベルゼロの生活についても聞かせてくれないか?」
そして、それまで眠たげだった瞳を輝かせ、両手を上に上げる。
「君みたいなレアキャラが隣に住んでたなんて!ボクは今まで一体何をやっていたんだ!」
「お、教えるのは構いませんが、俺からもお願いしてもいいですか?」
「呼び捨てで、タメ口で話したまえ。」
この俺に、なかなか酷なことを言ってくれる。
だけど、すべては女性恐怖症克服のためだ。そして、三万円のためだ。
「……わ、分かった。俺から雨宮へのお願いなんだが……」
俺は自分の女性恐怖症について話す。そして、その克服のために協力してほしいことを。
「ふむふむ……なるほどな。じゃあ、ちょうどいいじゃないか。ボクが有馬にニンペを教わる。有馬の生活も取材する。そうすれば、否応でもボクと話さざるを得ないだろう。有馬の女性恐怖症の克服の役に立つんじゃないか?ボクは優しいしな。」
優しい?優しい人は壁ドンなんてしないと思うんだけど。
「あ。そ、それとあと一つ。夕方ぐらいになったら、俺と散歩してくれないか?九十九人の女性に挨拶をしないといけなくて。」
「それもあれか?女性恐怖症克服のためか?」
「あ、ああ。お、俺一人だと、不審者になっちゃうだろ?だ、だから雨宮にもついてきてもらえないかなって……」
同行を頼まれた雨宮は、少しの間、黙りこくる。
あ、あれ?俺、なんかまずいこと言ったか?
やがて、雨宮の肩が細かく震え始めた。笑っているようだ。
「く、くくくくく……。面白い。有馬、キミはなんて面白いんだ。いいだろう、喜んで付き合おうじゃないか!」
こうして協力関係になった俺と雨宮は、夕方になって涼しくなった頃、家を出て青葉中央公園へと向かった。
二人で散歩をしながら、小さな子からご老人まで、なんとか九十九人の女性に不審がられず挨拶もできた。
不可能だと思われたデイリーミッションを達成したのだった。
やっぱ、高レベルってすごい。俺一人だったら、一発でお縄だったろうな。
※※※
深夜。
寝ている誠二郎の傍らに、テマリが正座した姿で現れる。
だが、その様子はいつもと少しだけ違った。
彼女のほっぺたは少しだけ膨らんでいた。
――…………。
――デイリーミッションによる報酬「身体補修」を行います。
――誠二郎に「診断」を実行。加齢と不摂生、ついでに本日ミッションを原因とする身体ダメージの修復をバックグラウンドで実行します。
――誠二郎の女性恐怖症克服における最良の協力者、雨宮栞との本格的な交流を開始。
――…………。
――…………。
――テマリ日記の記述を実行します。
※※※
<テマリ日記>
今日の誠二郎はひどかったです!
誠二郎は、マブダチの私を放置して、雨宮栞とばかり話してました!
分かります、分かってます!
彼女は誠二郎の、女性恐怖症克服のための力になってくれるでしょう!36歳の彼女ならば、誠二郎にとっても合法です!彼女と子作りしてしまえば、誠二郎の女性恐怖症なんて一発で治ることでしょう!
それは素晴らしいことです!
ですが、ですが!もう少し私に構ってくれてもいいと思うのです!明日はマブダチとして、その辺り、みっちりと誠二郎に抗議しなければいけません!
そういえば、公園では彩葉さんがついてきてましたね。雨宮栞と歩く誠二郎のことを、物陰からじっと見つめていました。ストーキングでしょうか?もう、ベタ惚れの兆候が出てますね!さすがです。さすが誠二郎、モテモテです!
イカしてます!
【作者からのお願い】
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