【南北朝の終焉とその後の火種編】第七段 楠木正儀の和平
【南北朝の終焉とその後の火種編】第七段 楠木正儀の和平
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大宰府が落ちた後の南朝方、さぞ荒れているだろうと思って見ていたんだが、その中に一人、最後まで和睦の道を模索し続けていた男がいた。楠木正儀という。あの楠木正成の三男というから、血筋からすれば南朝きっての忠臣であってしかるべきなんだが、この男の生き様は、我が思っていたよりずっと複雑だった。
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篁様へ申し上げ候。
南朝方の武将、楠木正儀なる者について見届け候仔細、書き記し候。
正儀は、かの楠木正成の子にて、南朝の武を支うる重き家柄に生まれし者~~~~~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
南朝方の武将、楠木正儀について見たことを書いておきます。
正儀は、あの楠木正成の息子で、南朝の軍事を支える重要な家柄の生まれです。でも、この人はいたずらに戦を長引かせることを望まず、以前から北朝・幕府側との和睦を望んで、何度もこっそり使者を送っていたそうです。
正儀の言い分は「南朝も北朝も、結局同じ帝の血筋じゃないか。いつまでも殺し合って何の得があるんだ」というもので、これは筋の通った話だと、見ていて思いました。
ただ、南朝の内部では、和睦を唱える正儀の言葉が「弱腰だ」とか「裏切り者だ」とまで言われてしまって……。そうやって正儀の和平の望みは、何度も潰されてしまったわけです。見ていて本当に悔しい思いがしました。
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正直なところを言えば、我はこの正儀という男に少なからず肩入れしてしまう。理を尽くして和を説く者が、身内からこそ疎まれるというのは、いつの世も変わらぬ構図なのかもしれない。生きていた頃の我なら、こういう男の生き様を見て「あはれなり」の一言で片付けていただろう。だが、こうして見張る身になってみると、その「あはれ」の中身がどれほど重いものか、ようやく分かってきた気がする。




