【南北朝の終焉とその後の火種編】第三十四段 斯波家の内紛
【南北朝の終焉とその後の火種編】第三十四段 斯波家の内紛
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畠山家だけではない。もう一つの管領家、斯波家にも似たような跡目争いが起きている。しかもこちらは、宗全と勝元という二人の実力者を、それぞれ別の陣営に引き込むことになった。今回はこの経緯を書いておこうと思う。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
三管領の一つ、斯波家の当主・義健、後継なきまま早世いたし、養子・義敏、家督を継ぎ候えども、重臣どもと対立し、義政の怒りを買いて家督を追われ候。代わって家督を継ぎしは、義廉と申す者~~~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
三管領の1つ、斯波家の当主・義健が跡継ぎのないまま早世し、養子の義敏が家督を継ぎましたが、重臣たちと対立して義政の怒りを買い、家督を追われてしまいました。代わって家督を継いだのが、義廉という人物です。
ところが義敏は間もなく赦免され、義政は家督を再び義敏に与えるという決定を下しました。これに義廉が怒り、義理の父である山名宗全を頼って反撃し、再び家督の座を得ました。この家督の行ったり来たりは、義政の意向が定まらないという点で、畠山家の一件とまったく同じ構図だと感じました。
こうして、義敏には細川勝元、義廉には山名宗全という、幕府内の二大実力者がそれぞれ後ろ盾になって、畠山家の争いと合わさり、事態は幕府全体を二分するような様相を呈し始めています。
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畠山家といい、この斯波家といい、家督の争いというのはどうも似た形を取るものらしい。実子か養子か、廃嫡か復権か――そして、それに乗じて力をつけようとする者が必ず現れる。二つの家の争いが、こうして一つの大きな流れに合流していく様を見ていると、まるで小さな川が集まって大きな川になっていくようだと、我は思う。




