【南北朝の終焉とその後の火種編】第三十三段 畠山家の内紛
【南北朝の終焉とその後の火種編】第三十三段 畠山家の内紛
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管領を務める名門・畠山家に、厄介な内輪揉めが起きている。しかもこれが、大きな争いの発端になった。今回はこの経緯を書いておこうと思う。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
管領家の一つ、畠山家の当主・持国、実子なきゆえ、かねてより弟・持富を後継と定め候えども、後に実子・義就生まれ候ことにて、心変わりし、持富を廃し義就を後継に据え~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
管領家の1つ、畠山家の当主・持国は、実の子がいなかったので、以前から弟の持富を後継者と決めていましたが、後になって実子の義就が生まれたことで気が変わり、持富を退けて義就を後継者にしてしまいました。持富は間もなく失意のうちに世を去りました。
こういう心変わりが畠山家の中に大きな不満を招き、持富の長男である弥三郎を担ぐ一派が、これに反発しました。弥三郎は細川勝元の庇護を受けて、一時は持国を隠居に追い込む勢いを見せましたが、間もなく病を得て世を去りました。将軍・義政から「政久」の名を賜った後のことです。
弥三郎(政久)が亡くなった後は、その弟にあたる政長が跡目を継いで、なおも義就との争いを続けました。こうして畠山家は義就派と政長派に分かれて、20年近くも家督を巡る争いを繰り返しています。当主の座が義就に決まったかと思えばまた政長に移り、義政の意向すら二転三転して、どちらの側につくべきかも定まらない有様です。
こういう争いは単なる一族のお家騒動にとどまらず、細川勝元・山名宗全という幕府内の二大勢力もこれに加担していて、事態はますます大きくなっています。義政自身、政治の決断において腰が据わらない性分ですが、この畠山家の争いにも、その優柔不断さがそのまま映し出されているように、私には見えます。
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一つの家の跡目争いが、父から子へ、そして兄から弟へと、世代を跨いでなお尾を引き、周りを巻き込んでどんどん大きくなっていく様を見ていると、火種というのは案外、こういう地味な内輪揉めから生まれるものなのかもしれない。




