【南北朝の終焉とその後の火種編】第二十七段 束の間の七代
【南北朝の終焉とその後の火種編】第二十七段 束の間の七代
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義教の跡を継いだのは、まだ九歳の子どもだった。あどけない年頃で将軍の座に就き、そしてあっけなく世を去った、この短い治世について書いておこうと思う。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
義教の嫡男・千也茶丸、元服の後「義勝」と名乗り、九歳にして第七代将軍の座に就き候。むろん、幼き身にて政をなすこと叶わず、管領・畠山持国はじめ重臣どもが実権を握り、政を執り行い~~~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
義教の長男・千也茶丸は、元服して「義勝」と名乗り、9歳で7代将軍の座に就きました。もちろん幼い身では政治などできるはずもなく、管領の畠山持国をはじめとする重臣たちが実権を握って政治を行っていたようです。
ところが義勝は、将軍就任からわずか8ヶ月で急に病に倒れ、あっけなく亡くなってしまいました。享年10。死因は赤痢とも、あるいは他に事情があったとも言われていますが、はっきりしたことは分かりません。
義勝は生前、絵を描く才能があって、家臣に達磨大師の絵図を贈ったそうです。家臣がこれを見るたびに亡き主君を偲んでいるといいます。9歳で将軍という重責を負わされ、政治らしい政治をすることもなく、ただ1枚の絵を遺して逝ってしまった幼い将軍の生涯を思うと、本当に憐れなものだと思いました。
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九歳の子どもに、政という重すぎる荷を背負わせておいて、その子が死ねばまた次の子を据える。大人たちの都合で将軍の座がたらい回しにされる様を見ていると、我はやりきれない気持ちになる。この幼い将軍が遺した一枚の絵だけが、せめてもの救いだったのかもしれない。




