【南北朝の終焉とその後の火種編】第二十三段 万人恐怖
【南北朝の終焉とその後の火種編】第二十三段 万人恐怖
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籤で選ばれたあの義教、当初はなかなか堅実な政をしていたのだが、これがどんどん様子がおかしくなっていった。ついには下界の者どもが、口をつぐんで震え上がる有様になったというのだから、穏やかではない。だが、それより我の目を引いたのは、あの籤の裏に潜んでいた、もう一つの企みだった。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
義教、将軍就任の当初は、明との商いを再び開き、政の仕組みを整うるなど、手堅き治世を敷き候えども、次第にその気風、様変わりいたし~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
義教は将軍就任の当初、明との貿易を再び開いたり、政治の仕組みを整えたりと、堅実な政治をしていましたが、だんだんと様子が変わっていきました。
以前、あの籤引きの一件について、重臣たちの目配せから、すでに決まっていた人選を体裁だけ籤に仮託したものだろうと見立てたことを書きました。今回、義教が就任後すぐに明との貿易を再開した様子を見て、私はようやくその企みの正体に思い当たりました。
あの義持は、先代のとき、明との貿易を自分の誇りだけを理由に断ち切りました。これによって、堺・博多をはじめとする商人たち、そしてその貿易で潤うはずだった公家や寺社の一部も、大きな損失を被ることになりました。こういう人たちにとって、義持の路線を引き継ぐ将軍が立つことは、まさに死活問題だったのです。
私が見るところ、籤で選ばれた4人の候補のうち、義円(後の義教)こそ、貿易再開に最も前向きな人物だと、あらかじめ商人や貿易で利益を得る者たちの間で目されていたのではないかと思います。籤という体裁の裏で、実は「明との貿易を再び開こう」とする者たちの意向が、静かに働いていたのではないかと思えます。
ただ、貿易再開の功績に隠れて、義教のもう一つの顔が、次第に露わになっていきました。守護大名の跡継ぎ問題に容赦なく口を出し、気に入らない家臣を次々と粛清し、しまいには比叡山延暦寺を焼き討ちにするところまで行ってしまいました。永享7年(1435年)には、些細な噂話をした商人1人を、口止めのために処刑したそうです。
こういう様子を見て、公家の一人である伏見宮貞成親王という人が、日記に「万人恐怖、言うなかれ、言うなかれ」――誰もが恐怖に震え、ものも言えない――と、2回繰り返して書き記しています。この一言が、当時の様子を何よりも的確に言い表していると思いました。
身分の上下を問わず、些細な失敗で流罪や死罪を命じられた者は、200人を超えたとも聞いています。貿易の利益のために担ぎ上げられた将軍が、今やその治世は恐怖によって成り立つものになってしまっています。
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籤の裏にあったのは神意などではなく、商人たちの生々しい損得勘定だったとみうけられた。そう思うと、あの評議の場の重臣どもの目配せにも、また違った意味が見えてくる。だが、その商人たちが担ぎ上げた将軍が、まさかこれほどまでに人を恐れさせる治世を敷くことになろうとは、彼らも予想していなかったのではないか。誰かの利益のために担がれた者が、担いだ側の手にも負えなくなっていく。恐ろしい話だと我は思う。




