↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
17/37

【南北朝の終焉とその後の火種編】第十七段 義満身罷る

【南北朝の終焉とその後の火種編】第十七段 義満身罷る


-------------------

あれほどの権勢を誇った義満にも、ついに終わりの時が来た。しかもその最期、そして死後の顛末が、なんとも義満らしいと言うべきか、皮肉と言うべきか、実に考えさせられる話だった。

________________________________________

篁様へ申し上げ候。

此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。

応永十五年、義満、我が子・義嗣を、親王の儀に準じて元服させ候。この振る舞い、下界にては、義満、ゆくゆくは義嗣を皇位に就け、自らは「治天の君」たらんとの企てにあらずやと、密かに囁かれ~~~~~~~~~

________________________________________

現代語訳

篁様、報告します。

今回見たことを書いておきます。

応永15年(1408年)、義満は息子の義嗣を、まるで皇族のような格式で元服させました。この振る舞いを見て、下界では「義満はゆくゆく義嗣を天皇の位に就けて、自分は『天皇の父』として君臨するつもりなのでは」と、こっそり噂されていたそうです。

ところが、その2日後に義満は突然病に倒れました。一時は持ち直したかに見えましたが、間もなく病状が悪化し、5月6日にとうとう亡くなりました。享年51。

その死の3日後、朝廷から義満に「太上天皇」の尊号を贈ろうという話が出たのですが、当の将軍職を継いだ義持と、管領の斯波義将が、これをきっぱり辞退したそうです。

生前あれほどの権勢を振るって、皇位にすら手をかけようとしていた男が遺した尊号を、他ならぬ自分の息子が退けてしまう。人の世の栄華のはかなさを、これほどはっきり示す出来事もそうそうないだろうと思いました。

________________________________________

死してなお欲しかったであろう「太上天皇」の号を、実の子に拒まれるとは。義満ほどの男でも、死んでしまえば後のことは誰にも分からぬものらしい。生前、あれほど公家にも武家にも顔の利いた男の望みでさえ、こうもあっさり退けられるのだから、権勢というのはつくづく、生きている間だけのものなのだろう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。