【南北朝の終焉とその後の火種編】第十六段 言葉の乱れその一
【南北朝の終焉とその後の火種編】第十六段 言葉の乱れその一
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さて、少し肩の力を抜いて、これは篁様への報告というより、我自身の愚痴として書いておきたい。
近頃、下界の言葉遣いを見ていて、いささか複雑な心境になる。生きていた頃の我は、雅な言葉遣いというものにいくらかこだわりを持っていた。ところが下界を見張るようになってから、時代が下るにつれて言葉がどんどん変わっていくのを目の当たりにすることになった。
武家の世が長く続くと、これまで公家の間で重んじられてきた言い回しはだんだんと廃れ、もっと武骨で直截な物言いが幅を利かせるようになる。合戦や政の場での指図が、簡潔で無駄のない言葉を好むようになるのは道理だろうが、それが日々の何気ない会話にまで及んでいるのを見ると、我のような生前の人間からすれば、いささか味気なく感じてしまう。
生前、我は『徒然草』の中で「今様の事どもの珍しきを言ひ広め、もてなすこそ、また、うたてけれ」――つまり、当世風の物珍しい言い回しをやたらと広めて、もてはやすのはみっともないことだ、というような意味のことを書いた覚えがある。今の下界を見ていても、この気持ちは何一つ変わらない。新しい言葉を面白がって使いたがる性分は、いつの世の人間にも共通するものらしい。
とはいえ、言葉というのは生き物のようなもので、我がどれだけ苦言を呈したところで、時代と共に変わっていくのを止めることはできまい。それが分かっているからこそ、余計にもどかしいのだが。




