【南北朝の終焉とその後の火種編】第十一段 合一の日
【南北朝の終焉とその後の火種編】第十一段 合一の日
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ついにその日が来た。長かった。我が死んでからでも四十年、下界全体で見れば六十年近くも続いた争いに、ようやく区切りがついたわけだ。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
明徳三年閏十月五日、南朝の後亀山天皇、三種の神器を携え、京の内裏へ渡御なされ候。北朝の後小松天皇へ神器を譲り渡し、「譲国の儀」を執り行われ候由に候。~~~~~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
明徳三年閏十月五日、南朝の後亀山天皇が三種の神器を持って京の内裏に入り、北朝の後小松天皇に神器を譲り渡す「譲国の儀」が行われました。これで六十年近く分かれていた南北両朝が、ようやく一つになったわけです。
この和議は義満の周到な働きかけによるものですが、その下準備を最初に担っていたのは、実はあの楠木正儀だったそうです。正儀は和議の実現を見ることなく亡くなりましたが、彼が蒔いた種がついに実を結んだのを見て、少し胸が詰まる思いがしました。
ただ、この和議には一つ気になる約束が含まれています。今後、皇位は南朝・北朝が交互に出す、という取り決めです。こんな約束が、この先いつまで守られるものか、正直今から怪しいものだと思っています。
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正儀の顔を思い出す。あの男が最後まで諦めなかった和議が、こうして形になった。もっとも、あの男自身はそれを見届けることなく世を去ったのだから、皮肉と言えば皮肉な話だ。人の営みというのは、たった一代では終わらぬものらしい。
それにしても、我が最後に書いた南北朝合一の和議の中に含まれていた「今後は南朝・北朝から交互に天皇を出す」という約束、あれがどうにも胸に引っかかる。約束というのは、結んだ時の熱意がそのまま続くとは限らない。この先、この約束がどうなっていくのか、我は見届けねばなるまい。
束の間の平和が訪れた室町の世を、少しのんびりした調子で書きたいと思う。
もっとも、我の勘が正しければ、この平和もそう長くは続かぬだろうが。




