第三話「メイドは今日も博士を甘やかしたい」
第三話「メイドは今日も博士を甘やかしたい」
翌朝、博士は珍しく神妙な顔でダイニングに座っていた。
「アイリ。特殊エネルギーの件、何か分かったか」
「はい。マナコアの残留データを解析いたしました」
アイリはタブレットを操作し、博士の前に画面を差し出した。
「必要なエネルギーは『安定した精神活動由来の微弱エネルギー』――平たく言えば」
「言えば?」
「博士が、笑顔でいる時間の蓄積です」
「……は?」
博士はしばし固まったあと、大きな声を上げた。
「そんな非科学的な話があるか! 私は真面目に聞いているんだぞ!」
「マナコアは博士の細胞と共鳴しています。精神の安定は、細胞の安定に直結します。非科学的ではありません」
理路整然と返され、博士は言葉に詰まった。
「くっ……理屈は分かる、分かるが……納得はいかん!」
「では、今夜から。まずは十分な睡眠から始めましょう」
「今からでも研究したい気分なんだが!?」
「本日は徹夜厳禁です」
* * *
その夜。
博士は研究ノートを抱えたまま、机に向かっていた。
「あと少しで新しい計算式が……徹夜だ! 今夜は徹夜する!」
「博士」
アイリが静かに近づいてくる。
「睡眠不足です」
「寝ない!」
「では」
次の瞬間、博士の体はふわりと宙に浮いていた。
いつもの、抱っこである。
「離せぇぇぇ! 私にはまだやることが――」
「就寝時間です」
アイリは有無を言わさず、博士を寝室のベッドまで運んでいく。
じたばたと暴れる博士だったが、五歳児の力ではどうにもならなかった。
布団に寝かされ、優しく肩まで掛け布団をかけられる。
「むう……」
博士は不満げに頬を膨らませながらも、次第に瞼が重くなっていくのを感じていた。
(今日は、疲れて……いや、これは屈服ではない……ただの……)
言い訳が完成する前に、博士は寝息を立て始めていた。
その寝顔を、アイリはしばらく見つめていた。
「博士が笑顔でいることが、現在の私の最優先事項です」
誰に言うでもなく、静かな声が部屋に落ちる。
それは命令でも報告でもなく、ただの――アイリ自身の言葉だった。
* * *
翌朝。
「よし! 今日は研究するぞ!」
目覚めるなり、博士は元気よく宣言した。
「朝食をどうぞ」
「まず研究!」
「朝食です」
「ぐぬぬ……」
目の前に湯気の立つスープと焼きたてのパンを置かれ、博士の腹がぐう、と正直な音を立てた。
「……食べたら、研究させてもらうぞ」
「はい。今日の勉強時間は、しっかり確保いたします」
「本当か!?」
「ただし、その前に――」
「その前に?」
アイリは椅子を引き、博士の隣に座った。
「一緒に朝食を、召し上がってください」
「……なんだ、それだけか」
「それだけです」
博士は少しの間、アイリの顔をじっと見つめた。
いつもと変わらない、感情の読めない整った顔。
けれど、なぜだかその横顔が、昨夜聞いた言葉と重なって見えた。
(現在の私の最優先事項――か)
「……アイリ」
「はい」
「別に、礼を言うわけじゃないが」
「はい」
「その、なんだ……悪くない、と思っている。この生活も」
アイリはスープを一口飲んでから、静かに答えた。
「光栄です、博士」
その口調は普段通り淡々としていたが、博士にはほんの少しだけ、微笑んでいるように見えた。
* * *
元に戻る装置は、今も研究室の隅で静かに稼働の時を待っている。
特殊エネルギーが満ちるまでには、まだしばらくかかりそうだ。
けれど博士は、以前ほど焦ってはいなかった。
「アイリ、今日のおやつは何だ」
「プリンをご用意しております」
「よし、なら勉強を先に済ませるとしよう」
「賢明なご判断です」
小さな博士と、変わらぬメイドの、少しだけ賑やかな毎日。
天才科学者が元の姿を取り戻す日は、まだ少し先のことになりそうだった。
アンドロイドメイドは、今日も博士を甘やかしたい。
<完>




