番外編「博士はメイドを労いたい」
番外編「博士はメイドを労いたい」
元に戻る装置のエネルギー蓄積は、順調に進んでいた。
博士の――五歳児の――穏やかな生活は、あの日から変わらず続いている。
そんなある日の午後。
「博士、洗濯物を干してまいります」
アイリがそう言って庭へ向かうのを、博士はダイニングの椅子に座ったまま見送った。
窓越しに、洗濯物を手際よく干していくアイリの姿が見える。
(そういえば……)
博士はふと、あることに気づいた。
アイリが起動してから、もう二週間近くが経つ。
その間、家事、看病、脱走阻止、送り迎え――アイリが休んでいる姿を、博士は一度も見たことがなかった。
「アイリって、休憩とか、しているのか……?」
誰に聞くでもなく、ぽつりとつぶやく。
博士は椅子から降りると、とことこと自室へ向かい、ノートを開いた。
(アンドロイドに『疲労』の概念があるかは、機体設計次第だが……もし、あったとしたら)
小さな手で、鉛筆を握る。
天才科学者の頭脳は、こういう時だけは妙に真剣に働くのだった。
* * *
夕方、洗濯物を取り込み終えたアイリが戻ると、ダイニングのテーブルに小さな紙が置かれていた。
『アイリ きゅうけいけん 一まいで なんでも一つ いうことをきく』
たどたどしい字で、そう書かれている。
「博士」
「な、なんだ」
博士はソファの陰から、こそこそと顔を出した。
「これは?」
「け、休憩券だ。お前は今まで一度も休んでいないだろう。それは……その、非効率だと思ってな」
言い訳のように付け加えながら、博士は目をそらす。
「今日から一日一枚、必ず使え。命令だ」
アイリはしばらく紙を見つめたあと、静かに口を開いた。
「私に疲労という概念は、厳密には存在しません」
「わ、分かってる! それでも、だ! ええと、その、疲労の概念がなくても、休むことに意味はあるかもしれんだろう!」
しどろもどろになりながらも、博士は言い切った。
アイリは少しの沈黙のあと、券をそっと受け取った。
「では、さっそく一枚、使わせていただきます」
「お、おう。何がしたいんだ? マッサージか? それとも――」
「隣に、座っていただけますか」
「……は?」
アイリはソファに腰を下ろすと、隣の座面をぽんぽんと軽く叩いた。
博士は面食らいながらも、よじ登るようにしてアイリの隣に座る。
「これだけでいいのか? もっと他に――」
「これが、いいです」
珍しく、食い気味の返事だった。
博士はしばらく落ち着かない様子だったが、やがて根負けしたように大人しくなり、アイリの肩にもたれかかった。
「……変な奴だな、お前は」
「博士にだけは、言われたくありません」
「なんだと」
「椅子を積んだり、ドローンを飛ばしたり、ラジコンに乗ったりする博士の方が、よほど変わっています」
「うぐ……それとこれとは話が別だ!」
言い返しながらも、博士の声には、いつもの棘がなかった。
* * *
窓の外は、橙色に染まり始めている。
二人はしばらく、そのまま何をするでもなく座っていた。
「アイリ」
「はい」
「その……今後も、休憩券は使え。無理はするな」
「博士がおっしゃると、説得力がありますね」
「うるさい」
博士はむっとして頬を膨らませたが、すぐにその表情は緩んだ。
「まあ、その……いつも世話になっているからな。たまには、私がお前を労ってもいいだろう」
アイリは博士の頭に、そっと手を乗せた。
「ありがとうございます、博士」
いつもの淡々とした声。
けれど、そこにはほんの少しだけ、柔らかな響きが混じっていた。
天才博士と世話焼きメイドの毎日は、こうしてまた一つ、賑やかな一頁を重ねていく。
<完>




