多感な・・・・・・
食事も終わり、今は月夜が食器を洗っている間に、座って茶を飲んでいた。
やはり、月夜が入れた茶は美味いなと、しみじみとグローリアが思っていると、プリスが何か物言いたげな視線をグローリアに向けてきている。
が、グローリアは頓着しないし、こちらから話を聞こうともしない。
話さないと言うのであれば、聞かない。
ただ、それだけだ。
「……ねぇ、ロア?」
「何だ」
「さっき、軽く月夜ちゃんにも聞いたんだけどさ、この娘は結局何なの? 団長であるグローリアの口から直接聞きたいな」
「……面倒臭いな」
プリスからの質問に対して、グローリアは本当に面倒だと言うような声を出す。
だが、一応説明はしなければいけないだろう。
チラリと少女に視線を向けると、少女は体を固くしてしまっている。
プリスが改めてグローリアに少女の存在についての問いかけを投げたことで、いろいろと不安がぶり返してしまったのだろう。
酷い顔色になってしまっている。
「さぁ、答えて?」
「そうだな……」
もうこれは答えなければ引かないだろう。
ならば、本当のことを言うだけだ。
「いつも通りだ。ちょっとばかし出会いは劇的であったし、今までのように楽に手に入れられたというわけでもないが、いつもと変わらん」
「ふぅん……」
グローリアの説明を聞いてもプリスは吐息を漏らすだけだ。
興味があるのか興味がないのかすら、いまいち読めない。
「ま、いいか。この娘が何だとしても私には関係ない。この娘は嫌いな匂いもしないから、どうでもいいよ」
そう言ったプリスはまた少女に近づいて、少女を後ろから抱きしめると、肩に鼻を押し付けてその匂いを嗅ぎ始める。
少女は改めて目を白黒させてしまっているが、グローリアはもうこの少女は大丈夫だろうと思っていた。いろいろな意味で。
グローリアが大丈夫だと言ってもリテラエは心配を拭えない。
だが、プリスがどうでもいいと言ったのなら、リテラエの心配の種も減ることだろう。
プリスは人の匂いを嗅ぐのが大好きだ。そして、その匂いからその人間の大体の性格を嗅ぎ分ける。
正確に言うのならば、性格を嗅ぎ分けるのではない。
ただ、匂いによってその人間が自分を害するか否かが大体わかるのだ。
嫌いな匂いでないと言うのなら、この少女が決定的に《セレーノ》やプリスに害を与えることもないだろう。
「……変な人たち」
「正しいな。《セレーノ》に所属している人間は大半が変人だ。がっかりしたか?」
皮肉げな笑みを少女に向ける。
少女は目を伏せって首をゆるゆると横に振った。
「いや、楽しそうだなって……そう、思ったわ」
「それは何より。これから住む家が、接する家族が楽しそうでなかったら拷問と変わらないだろうからな」
カカカと楽しげに、グローリアは乾いた笑いを漏らす。
その言葉に少しだけ少女は驚いていた。
少女とグローリアはまだ出会ってから一週間前後しか経っていない。少女の体感で行くと、もっと短い。
だと言うのに、この男は自分のことを家族と呼んだ。大して知りもしない自分のことを家族と呼んだ。
そのことが純粋に驚きの対象だったのだ。
そして、もう一つ感じたことがある。
この《セレーノ》とかいうギルドの所属している人間は全員どこかがおかしいと言うことだ。
端から見たら、普通の人間だ。グローリアも。プリスも。月夜も。
さっき街で買い物をしてきたときの反応から考えると、《セレーノ》はこの街に根付いていて、街の住人にも理解されているのだろう。
だが、一枚皮をむいてみると、全員がどこかが壊れている。どこかが明らかに歪んでいる。
そして、そのことに歪んだ人間たちは決定的に気付いていない。そのことによってより一層歪んでいるように見せているのだろう。
「フフッ……」
「あ? 何で笑ってやがる」
「何でもないわよ」
自分がこいつらのことを歪んでいるという資格があるのか? 今更ながらにその発想に至った。
自分はこの場にいる人間の中で一番歪んでいるというのに。
尖角種と言う種族は感情を爆発させて、それを制御できなくなった結果なる。だから、精神と言う意味ではこの場にいる人間の中で少女が一番歪んでいるのだ。
そんな自分が他人のことを歪んでいるなどと……何様だと言うのか。
少女は人知れずに自嘲的な笑みを深めている。
「旦那様。時間をかけてしまって申し訳ありません」
「いや、いい。お前が家事をしてくれてテメェは随分と助かっている。それに文句を言うほどテメェはクソではないさ」
「ありがとうございます。……それでは、これからどういたしましょうか?」
エプロンを取りながら、月夜が小首を傾げてグローリアに問うてくる。
その仕草は頭の上についている耳とも相まって、小動物のような雰囲気を醸し出している。ただでさえ可愛らしく小さい月夜はそんな仕草だけでほとんどの人間の心を打ち抜くことができる。
食事をとって栄養を取り入れたことで眠気がマッハになっているグローリアはそのほとんどに含まれないが。
軽い会話をしているだけだというのに、眠気に押されてグローリアの体が傾いでくる。
その体を月夜が慌てて支える。
「……っと、わりぃな。いい加減に限界らしい」
「無理もありません。旦那様はここ数日ろくに眠れておられないのですから」
「……気づいていたのか?」
「気づかないはずがありません。……それでは、今日はもう就寝いたしましょう」
「……まだ、いくつかやらなきゃいかんこともあるだろう」
「明日のことは明日考えればいいのです。それに、今旦那様が一番すべきことは休むことです。《セレーノ》には旦那様の代わりとなれる人はいないのですから」
「……そうだな。なら、素直に休むとしよう」
「はい。私もご一緒させていただきます」
揺らぐグローリアの体を月夜が支えながら、寝室に向かって歩く。
本格的にこのままにしておいたらグローリアは倒れてしまいそうだ。
グローリアが言ったように、月夜にはまだいくつかしなければいけないことがあるにはあったが、グローリアの身以上に優先せねばいけないことなど何一つない。
ならば、この場での最適解は、グローリアと共に眠ることだろう。
そう考えた月夜は全ての思考を放棄する。心のうちには、これからのことに対する期待でいっぱいだった。
「え? 今から寝るの?」
そんな月夜に背後から無粋な声がかかった。
顔だけを振り向かせつつ、鋭い視線と声をかけてきた相手である少女に向ける。
「そうですが……何か?」
「二人で?」
「他にどう見えるのですか? ……その程度の話ならまた後にしてください。今旦那様はお疲れなので、一刻も早く休息を取っていただかねばいけないのですから」
「それ……不味くない?」
「何がですか?」
「だから……その、男と女で寝るのは……ね?」
「……貴方は何を言いたいのですか?」
月夜は少女が何を言いたいのかが全く理解できない。
自分とグローリアが一緒に寝ることに何の問題があろうと言うのか?
だが、尖角種になったとは言っても少女は年頃の女。何気ない言葉を頭の中でピンク色に変換させるのは得意な年頃だった。
「ま、まだちょっと早いんじゃないかなぁ……。その……時間的にも年的にも……ゴニョゴニョ」
「何ですか? 聞こえないような小さい声で。私が旦那様と寝ることに何の問題が?」
「寝るっ!? い、いや……その……」
「……言いたいことがないのなら、邪魔しないでください。旦那様は今回の遠征中の間全く眠れてないのです。旦那様には早急な睡眠が必要なのですから」
「で、でも……」
まだ口ごもりつつ月夜を止めようとしてくる少女のことを無視して、月夜は寝室に向かおうとする。
だが、もう一度止められる。
止めたのは、他ならぬグローリアだった。
「あと……一つだけやることがあったわ」
「……旦那様。お言葉ですが、旦那様は何よりも先に寝ることが先決かと」
「これで最後だ。勘弁しろ。……おい、お前。名は何だ?」
「名前? 私の名前は……」
急に問いかけられた少女は驚いたような表情を一瞬するが、すぐに自分の名前を答えようと口を開いた。
だが、その開いた口は言葉を紡ぐこともないまま閉じられてしまう。
そして、顎に手をやり考え始めてしまう。
「早くしてください。貴方が答えないと旦那様が……」
「そう急かすな、月夜。まだ、大丈夫だ」
「……解りました」
「それで……名は?」
「…………わからない」
「わからない?」
「思い出そうとするのだけれど、思い出せない。どれだけ頭の中を精査してみても、名前が出てこない。それだけじゃない。こうなる前の事のほとんどが思い出せない……。大事だと思っていたことも。これだけは譲れないと思っていたことも。あることは、あったことは思い出せる。なのに……なのに。何も思い出せない! 何で……何で!」
少女は自分の中身が異常になってしまっているということにやっと気づいたという様子で、自分の頭をかきむしり始める。
錯乱してしまっているせいか、その体からはどす黒い気配が漏れ出ている。さっきリテラエに殺気を向けられたときに出してしまったものとは、量も密度も明らかに違う。
その錯乱っぷりは見ていて楽しいものではない。
だが、グローリアはそれが予想できていた。
種族が変わるなんて異常なことが起きたんだ。中身がまともなまま残っていると考える方がおかしいと言うものだ。今まで、そのことに気付かずに入れたのが奇跡なのだ。
少女は必死に思い出そうとしているが、それに付き合っている余裕はない。
眠気で今にも意識を手放してしまいそうなのだ。
ここで意識を手放したら、月夜に迷惑をかけることになる。そんなのは御免だ。
その意思の力だけで今立っているのだから。
「何故……何故!?」
「わかった。わかったから落ち着け。錯乱したって思い出せん」
「落ち着いていられないわよ! 何も……何も思い出せない!」
「……今焦ったところで思い出せるものでもないだろう」
「それでも……思い出さなくちゃ……」
「何に脅迫されているのかは知らんがな。焦ったって思考は空転するだけだ。それに……お前は尖角種になってからまだ時間が経っていない。まだ体が慣れておらず、昔のことを思い出せていないだけかもしれない」
そのグローリアの言葉に、少女は少しだけ落ち着きを取り戻したようだった。
今思い出せないのには、そう言う理由があるのかもしれない。
きっと、時間が経てば思い出すことができるはずだ。
そう自分自身に言い訳をしていることだろう。そうでもしなければ、精神の安定を保てないほどに酷い状況だったと言うのか。
少しばかり憐れに思うが、そんな少女の情感など斟酌していられない。
「……ま、名を思い出せないと言うのなら、それでもいいさ。そのうち思い出すだろ。だが、その間呼び名がないと言うのは少し不便だな。どうしたものか」
「…………なら、あなたがつけていいわよ」
「何故?」
「単純に、尖角種になった私を一番初めに見つけたのはあなたなんでしょ? なら、あなたが名付け親で良いかなって」
「そうか。ふむ……」
唐突に名付け親になれと言われても、困るものだ。
ただでさえグローリアにはネーミングセンスと言うものが存在しない。
そこに眠気が襲ってきているというのなら、頭に浮かんでくる名前など酷いものが倍プッシュだろう。
その酷い名前を破棄しつつ考えるが、まともに思考がまとまらない。
そこに隣にいた月夜から救いの言葉が掛けられた。
「旦那様。そこまで深く考えることもないのではないでしょうか?」
「……と言うと?」
「てきとうで良いのです。仮の名なのですから。本人だと言うことが識別で来て、適当であれば」
「なら、月夜が考えてくれ」
「……私で良いのですか?」
「疲れてて思考もまとまらんしな。……お前が嫌って言うなら考えるが、まともなものは期待するなよ?」
「……なら、月夜でもいいわよ」
「だってよ」
「わかりました」
本人とグローリアから許可をもらった月夜は少女の名前を考え始める。
だが、考えていたのもほんの数秒のこと。
すぐに顔を上げ、口を開いた。
「ユニコ……など如何でしょうか?」
「どんな理由?」
「簡単です。一本しか角を持っていない尖角種のことをユニコーンと呼びます。なので、その頭の三文字でユニコ、と」
「……悪くないんじゃないか?」
その名が与えられる本人に水を向けると、本人も悪くはないと思っているあろうことが表情から容易にうかがえた。
ならば、少女の名はこれで問題ないだろう。
「……なら、当面の間お前の名前はユニコだ。改めて、よろしくなユニコ」
「よろしくしてあげるわ」
「……それじゃ、テメェは限界なんで寝る。じゃあな、ユニコ」
「おやすみなさい。ユニコ」
「一応、言っておく。テメェが寝ている間はこの家から出るな。プリス、監視しておいてくれ」
「面倒臭い」
「一食分の恩義は払え」
「……わかったよ」
「中のものは好きにしていい。月夜が怒らない範囲でならな。それじゃ、お休み」
そう言って二人は部屋を後にした。
場に残されたのは少女――ユニコとプリスの二人だけ。
出るなと言われた手前、家から出られないし、特にすることもないユニコ。
そのユニコの匂いを嗅ぎ続けているプリス。
状況は混沌の一途をたどっているが、ふとユニコが思い出したかのように呟いた。
「二人で寝るって……」
そのことを考えただけで顔を真っ赤にしてしまったユニコのことを、匂いを嗅いでいたプリスはニヤニヤと笑いながら見ていたのだった。