大事なあの人は私にとって?
太陽が中天に輝き、地表をじりじりと炙っている。
徐々に気温が上昇していくことが体感としてわかるが、もうそろそろ夏なので、この暑さも新たな季節の息吹かと考えると、不快ではなくなった。
そんなことを複数の野菜を見比べながら、月夜は考えている。
「今日は旦那様には何を召し上がっていただこうかしら……」
頭の中に自分の大好きですべてを投げうてるほどに大事な主のことを思い浮かべると、その主は「肉」とだけシンプルに言ってきた。
たぶん、実際の主も同じことを考えていることであろう。
「メインがお肉料理なら、付け合せは何がいいのかしら。栄養が偏って、旦那様が体調を崩されても問題だし……」
あちらを立たせばこちらが立たず。
難しい案件ではあるが、グローリアのためだと思うと、欠片も辛くはない。
寧ろ、喜びで胸中が満たされていくのだから不思議だ。
こんな無二の主に使えることのできる自分はどれだけ幸せ者なのだろうか?
そんなことを考えながら幸せに浸っていると、隣からこちらを見ていた少女の表情に理解できないと言うような色が混じったことに気付いた。
その視線を誰が向けているのかと言うことは知っている。
なので、食材を見比べながら、その視線を送っている人間のほうを向かずに問いかける。
「何ですか? 気になることがあるのなら聞いてくれても構いませんよ。答えられる範囲でしか答えられませんが」
「……なら、一つだけ」
ひとつ間を置く。
「何であなたはそんなにあの男に対して全幅の信頼を置いているの?」
少女が下したグローリアに対する評価はどれだけ好意的なものにしたとしても、頭のおかしい人間だった。というか、それ以外にどう表現しろと言うのか。
あの言葉のお蔭で未だに少女が生きているというのは事実だが、それだって最悪よりは悪い方が幾分マシだったと言うだけだ。
ああならないのであれば、今すぐにでも少女は自殺することだろう。
だが、あの男は確実に実行する。
そのことが少女の中には確信としてあるので、死ぬことができないでいた。
少女はそんなことを考えているのがすぐにわかるほどにわかりやすい表情筋をしている。
チラリと覗き見た表情から心の内を読み取った月夜は少女を見ながら軽く微笑む。
笑みを見た少女は、怪訝な顔を月夜に向けた。
「……何? 私、何か笑えるようなこと言った?」
「いえいえ。目は口ほどに物を言うと言いますが……貴方の場合は表情を見ているだけで何を考えているのかわかるのでいいな、と思っただけです」
「そんなに顔に出てたの?」
「えぇ。とてもよくわかりました」
そんな馬鹿な。
そう考えたのであろう表情を作った後に、少女は自分の顔を両手で挟み込み、ムニムニと頬の形を変える。
そんな仕草が可愛らしく見えて、月夜は笑みを深める。
あぁ。この娘はきっと尖角種という珍しさがなかったとしても、自分の主は連れて帰ろうとしただろうな。そう月夜は思った。
「理由はそれだけでもないのですけれどね……」
「ふぇ?」
少女は両手で顔をムニムニとしつつ、そんな声を出す。
「どういうこと?」
「いえ……どうということもありません。忘れてください」
「そう言う思わせぶりな態度だと余計に気になるわ」
追及を逃れようとするが、少女は気になってしまったようで、逃がしてくれないようだ。
月夜としても、この過去を誰かに話す気はないので答える気はなかった。
過去を思い出してみると、今でもよく思い出せる。
自分自身がグローリアに対してツンケンとしていた時期のことは。
あの頃の自分が今の自分を見ることが出来たのなら、その自分はきっと今の自分のことを気でも触れたのではないかと思うことだろう。
それほどまでに過去の月夜はグローリアのことを警戒していた。
グローリアから出される料理は食べずに、自分で適当に料理とも呼べないような食事をとっていたこと。
徹底的にグローリアのことを敵視していた過去のことを。
その時代のことは月夜にとっては忘れたい過去であるので、もう墓の中まで持っていく勢いだ。
「と、言われましても。私はこのことを誰にも話す気はありません。旦那様に対する不敬となりえますからね」
「『不敬』なんて言葉が出たのなら、余計にその過去を掘り返したいけど……いいわ。ここであなたのことを敵に回してもメリットは薄いだろうし」
「その判断は間違っていないと思いますよ? 別に少し詮索されたぐらいで敵に成る気はありませんが、気分はよくありませんからね」
自然と冷ややかな声音になってしまっているのを月夜は自覚していた。
声から感情が分かったのか、少女は軽く肩を竦める。
その仕草は、つい先日の少女の惨状を知っている月夜としては安心できるようなものだった。まだ生きることに納得はしていないのだろうが、言葉や行動の端々に生気が見える。
生きる気になってくれたことは、嬉しい反面悲しくもある。
この娘がいなければ、ずっとあの家で自分の主と二人っきりで過ごすことが出来たというのに。
そんな風に考える自分のことを、嫉妬深いなぁと月夜は漠然と考える。
もちろん、月夜にとってはこの世の何よりも優先されるべきなのは自分の主なので、自分の一存で主に意見するようなことはないが。
「さっきの話はもう追求しないけどさ。あなたたちの信頼がよくわからないって考えは否定できるものでもないのよ。だから、わかりやすく説明してくれない?」
「わかりやすく……ですか」
「そ、わかりやすく。誰にでもわかりやすく」
「誰にでも……」
わかりやすくと言われても月夜は困ってしまう。
月夜の頭の中にあるのは、九割がグローリアに関すること。残りの一割がそれ以外なのだ。
自分の主人でもない他人の思考体型がどうなっているのかなんて興味がないし、今後興味がわいてくる気もしない。
そんな自分が他人に分かりやすく説明できるなんて、月夜には思えなかった。
だが、さっきできうる範囲で応えると言ったのも事実。
それに今後長く付き合うこととなるのだ。少しばかり借りを作っておいても損はないだろう。それ以上に、自分たちが面倒事を起こさなければ、自分の主の気を煩わさずにすむことだろう。
ならば、どう答えたものだろうか?
月夜にとってのグローリアと言うのは無二の主であり、絶対に替えの効かない存在。
それを一般人に当てはめるとしたら、一般人で、奴隷とかでもなんでもなかったころの自分に当てはめて考えるとしたら……。
「親、ですかね」
「親?」
「自分を生んで慈しんでくれる父や母を特別な理由もなしに信用できないと言う子供はいないでしょう?」
「ちょっと意味が解らないんだけれど」
「私はできる限りわかりやすくしたつもりなのですが……」
「もっとわかりやすく説明できないの? ねぇ」
少女は説明を求めてさらに問い詰めてくるが、月夜は努めてそんな少女の言葉を無視する。
理解できないと言うのであれば、これ以上説明することもないだろう。
それに、あれ以上に自分にとって主を指し示すうえで良い言葉はない。
なら、これ以上言葉を連ねても相互理解は深まらないだろうから、する意味はない。
月夜のこういう無駄を嫌う性格は、グローリアから移ったものだろう。
グローリアも無駄なことは……自分が無駄だと思うことは全くしたがらない。
主従の性格が似ると言うのは本当の事なのかもしれない。いや、むしろこれはペットは飼い主に似るといったほうが正しいのかもしれないが。
その後、月夜は想定通りに肉を中心とした食材を買い込んだ。
グローリアはそれほどまでに大食漢と言うわけでもなく、どちらかというと運動量に対して食事量が少ない方ではあるが、新たに家の住人になる少女は尖角種だと言うこともあり、大食らいだと言うことがわかっているので、いつもより多めに買い込んだ。
町の住人たちとは良好な人間関係を構築することができているおかげか、少女が新しい住人だと聞いたときには、皆一様に笑いながら歓迎してくれた。
食料品をおまけしてくれた店主などもいたほどだ。
その程度には、《セレーノ》は、グローリアたちはこの街に溶け込んでいる。
一通りの買い物も済んだということで月夜たちは家に帰ることにした。
もうそろそろお腹を空かせた主が起きる頃かと考えると、早足になってしまうのは致し方ないことだろう。
この時だけは、背後にいるであろう少女の存在は月夜の脳裏から完全に消えていた。
家の前につく。