錬金術師
ぼんやりと残っている脇の椅子に座って片付けているチスパを眺めていると、奥からウルヴァーンが顔を出した。
「すごい音したけど、だいじょう……」
入ってきたウルヴァーンは壁に空いた大穴を見てフリーズしてしまった。
ウルヴァーンもどちらかと言うと、リテラエよりの人間だ。グローリアよりもその壁の惨状がどれほどひどいものなのかをはっきりと自覚できているのだろう。
数秒の後復活したウルヴァーンはグローリアの横に来て、耳打ちしてくる。
「アレどういうこと?」
「あそこで片付けしている森生種の女いるだろ?」
「あ? ……あぁ、いるな」
「あいつが音速で飛び込んできて、壁ぶち破った」
「ぶっ!」
「その結果がこの惨状だ」
「どういうこと!? 全く一つも理解できないんだけど!?」
あぁ。この状況はウルヴァーンの処理領域を吹き飛ばすには足りることだったらしい。
それでも言葉を発せているだけマシだ。
未だに現実を受け入れられていないリテラエに至っては、空ろな表情でブツブツと何事かを呟きながら床に延々と人差し指で丸を描き続けている。
正直、狂気の沙汰だろう。
「ていうか、音速で壁ぶち破った人間が平然と片付けに勤しんでいるってどういう現状だよ! ウチの壁ってそんなに柔い材質使ってたっけ!?」
「一応それなりに強固な木材を使っていた気がするがな」
「それをぶち破って無傷かよ! あの女人外か!?」
「まぁ、ギルドのトップなんて全員多かれ少なかれ人外みたいなもんだろ。今更過ぎるな」
勝手にうなずいているグローリアを他所にウルヴァーンはあんぐりと口を開いて唖然としている。
そこまで驚くようなことなのだろうか? よくわからんな。
ここで、驚いているウルヴァーンの気持ちをよくわからないと断じているあたり、例に洩れずグローリアもおかしいようだ。
「邪魔するで……って、取り込み中やったか?」
開けっ放しになっていた入口の扉の横に立って、その扉をノックしながら皮肉気な表情を浮かべている男がいる。
黒縁の眼鏡に赤錆色の髪。顔立ちは非常に整っているが、顔の中央で顔を上下に分断するような傷が一直線に入っている。その傷だけが少しだけ浮いていた。
「取り込んではいるが、いつものことだ。気にするほどの事ではないな。お前は何のようなんだ? スペンサー・ブランチャート」
「フルネームで呼ぶなや、グローリア・アザール。ワイが来たのは色々と面白い情報を手に入れたから共有しようやと思うてな」
「そうかよ。なら、そっちの馬鹿には触れないで入ってこい」
「馬鹿ってウチのこと!?」
破片を片付けているチスパが即座に反応する。
結構大きめな破片を拾っていて、それが床に落下したせいでまた新たな傷が創られている。
その落下音を聞いただけでリテラエの喉から奇妙な音が鳴っている。
「お前以外に誰がいるんだ? 他に当てがあるなら聞かせてもらいたいものだが」
「それは……ごめんなさい」
「謝るぐらいなら口を開くな。黙ってそこを片付けておけ」
「はぁい……」
チスパは悲しそうな表情になりながら破片を一ヶ所に集める業務に戻る。
あれに関しては非の打ちどころがないほどにチスパの自業自得なので、同情の余地はない。
そんなグローリアとチスパの会話を聞きながら、グローリアの前までやってきたスペンサーの顔には苦笑が浮かんでいる。
椅子に座るとすぐに口を開く。
「アレ、誰や? お前んとこの同盟ギルドのやつか?」
「一応、《天空》の団長ってことになっているな」
「へぇ……アレがのぅ。それで、あいつは何であんなことをしてるんや? 一ギルドの団長職を任せられるやつがするような仕事でもないやろ」
「良いんだよ、アレは。完全にあの馬鹿の自業自得だからな」
「何やったんや?」
「音速で突っ込んできて壁ぶち破りやがった」
「こりゃまた……」
スペンサーは苦笑の色を深める。
グローリアの言う同情の余地はないという言葉が真実だと思ったのだろう。
さっきから何気なく会話している、この顔に一本傷の入った男はチスパと同じく、《セレーノ》と同盟を組んでいるギルドのトップである。
そのギルド名は《悪鬼と妖精》。《セレーノ》と同じように雑多にいろいろなジャンルの依頼に取り組んでいるギルドだ。メンバーの特徴は、皆等しくスペンサーのことが好きと言うことだ。女は文字通りの意味で。男は惚れ込んでいるという意味で。なので、ギルド内の絆は《セレーノ》などよりも深く、硬いだろう。
《悪鬼と妖精》と違って、《セレーノ》のメンバーは相互に信頼し合っているという訳ではなく、皆等しくグローリアに重荷を預けているだけだから。
「それで? 伝えたい情報ってのは? 大体検討はついちゃいるんだがな」
「そか? なら話が早くて助かるわ。……うちで手に入れた情報ってのは北と東の同盟のことやな。グローリアが言おうと思ってたんもこれでええんか?」
「あぁ。それについて、ウチと同盟結んでいるギルドたちと話そうかと思ってたんだよ。だから、リテラエに呼ばせようかと思ってたら、あの馬鹿が突っ込んできやがってな?」
グローリアが親指で背後のチスパを指す。
自分が話題に上がっていると言うことを敏感に察したらしいチスパはピクッと反応していたが、さっきグローリアに黙っていろと言われた手前、口を開くことはない。
「あの馬鹿が片付け始めたあたりでお前が来たってわけだ。この調子で行くと、今日中に同盟ギルド全部そろうかもな」
「結果オーライやん? どうせ集めるつもりやったんやろ?」
「そりゃそうだ。うちにあるマジックメールの在庫だって無限ではない。あんな高いものを余らせておく余裕なんてうちにはないからな」
「……うちにもないわ」
「だから、使わずに済んだのならそれに越したことはない。だが、もう一つ問題もある」
「問題?」
グローリアが問題と言って眉間に皺を作ったのを見てスペンサーは首をひねる。
タイミングよく集めようと思っていた同盟ギルドがそろいそうだ。マジックメールを使う必要もなく、呼ぶと決めてからのラグも発生していない。
何も問題などない。寧ろ、幸運すぎるぐらいだろう。
それなのに、グローリアは何を問題だと言っているのだろうか?
解を求めるように首をひねっていると、グローリアが口を開く。
「チスパのやつが壁を突き破って来やがっただろ? お前は普通に入口から一般的な入り方をしたがな。ウチの同盟ギルドってやつはお前らを含めて色物が多くてな。またどこか壊されないかが心配なんだよ」
「色物て……失礼やなぁ」
「だが、事実だ。異論は?」
「ないわなぁ。ワイたちのギルドも大概変わっているしなぁ」
「……ハーレム王」
「それで呼ばんといてくれるか? 本格的にそれが二つ名で最近定着してきているみたいで嫌なんやねん。まだもう一つのほうがましやな」
「あっちはあっちで恥ずかしいとは思うがな」
「二つ名なんて恥ずかしくてなんぼやろ? 自分で決められるわけでもないんやし」
「それもそうか」
二つ名を自ら名乗るような奴は少ない。
わざわざ痛々しい名前で呼ばれて悦に入るなんて言うのは、一部の奇特な人間だけだ。
ギルドの長ともなると、それなりに名も売れ始める。
そうなってくると、その人間の性格や素行から様々な二つ名が広まるのだ。
誰が広めているかは定かではない。どこが発生源なのかもわからない。
それでも、周囲の人間や本名を知らない人間は漠然とその二つ名を使うようになる。
気に入るものだった場合はまだましだが、本当にひどいものをつけられることだってある。グローリアが聞いた中で一番ひどいと思ったのは、『種馬』だ。
誰がつけたのかもわからない分だけ、誰にあたればいいのかもわからない。
グローリアやスペンサーの二つ名はまだましな部類なのだ。
「終わったぁ!」
「お疲れ。茶でも飲むか?」
「欲しい!」
「そうか。ウルヴァーン。呆けてねぇで四人分の飲み物を用意してくれ」
「…………はっ」
グローリアに声を掛けられたことでやっとウルヴァーンの精神は現実に戻ってきたようだ。
頭を数度振ると、飲み物を取りに行った。
ウルヴァーンよりもリテラエのほうが茶を入れるのは上手いのだが、今のリテラエに任せるのは危険すぎる。
と言うか、純粋に話しかけたくない。
少しの後、ウルヴァーンが飲み物を運んできた。
持ってきたのは何のことはない冷えた麦茶だ。ありきたりなものらしくありきたりな味がする。
「こんなもんか」
「……文句は聞かねぇぞ」
「言う気もねぇよ。喉を潤せれば上々。本当にヤバい奴だと喉を抉りぬいていくからな」
グローリアは過去を思い出して苦笑を浮かべる。
アレは本当にひどかった。あのレベルの物を人間は生成できるのかと思った。
何の触媒も用いずに、特殊な手法も取らずに錬金術に近いことをしたあの女は今何処にいるのだろうか? 最近話をとんと聞かない。
物思いにふけっていると、好奇心を刺激されたのかチスパが口を開く。
「それって誰のこと?」
「『毒呪草』」
「……あの女の作ったもん飲んだんか!?」
名前を聞いただけだと言うのに、チスパは蒼い顔をして口をつぐむ。その横にいるスペンサーの顔色もいいものではない。
「そうだな。確か……スープとか言っていたか? 汁の色は真っ黒だったし、紫色の湯気がたってはいたが」
「それは……スープか?」
「完全に毒だよねぇ。それちゃんと飲んだの?」
「出された分はな」
「……どうなったん?」
「その後、一週間の記憶がない」
「…………」
「…………」
『毒呪草』は本当に意味の解らない女だった。
あの女の手によって生み出されるものは、有機物無機物食べれるもの食べれないもの問わずに人体を害するものとなる。
皮膚からしみこむとまでは行かないまでも、目や鼻に入ったら悶絶すること請け合いだ。
しかも、作ろうと思っているわけでもなく、勝手になってしまうと言うのが怖いところだ。
グローリアは『毒呪草』がシチューを作ろうとしているのをそばで見ていたのだが、あそこまで世の不条理と言うか、意味の解らなさを見たのは後にも先にもあれだけだ。
食材を切って、大きめの鍋に調味料などと一緒に入れる。
そこまでは至って普通で何の違いもなかった。
だが、煮詰めはじめると途端に異臭が周囲に満ち満ちて、ふたを開けてみると、原形をとどめていない何かになってしまうのだ。
あれも異能なのだろうか?
あの女自身は自分に異能はないと笑っていたが、アレが異能でなくてなんだと言うのだ。呪いの類か? 今となっては知る由もない。
「そんな面するってことは、お前らも『毒呪草』にあったことはあるのか?」
グローリアの質問に二人はあからさまに嫌そうな表情を浮かべる。
辛い記憶を振り返るような、苦渋に満ちた表情だ。
「一度だけやな」
「ウチも一度だけ」
「どうだった? てか、会ったのか?」
「会えてない。それが幸運だったんじゃねぇのかと今思っとるわ。こっちは……ウチのメンバーが匂いだけで数人倒れたわ。その後はグローリアと同じやね。一週間ずっと寝込んでたわ。酷くうなされながら」
「ウチも直接は会ってない。編隊組んで荷物運んでた時にヤッバイ匂いを嗅いだってだけ。その匂いが『毒呪草』か否かはいまいちわからないねー」
「どうなった? その匂い嗅いだ奴は」
「墜落。全治二月ってところかな? そこまで高空を飛んでいたわけじゃなかったってのが救いだったみたい」
「……あの女は何処にいても面倒事の種しか引き起こさんな」
三人同時にため息をつく。
直接的にしろ間接的にしろ、『毒呪草』の迷惑をこうむった人間は多い。
神出鬼没にして、無差別に被害を周囲にまき散らしていく。
幸運が重なっているのか、寧ろそれこそが最大の不幸なのかはわからないが、あの女の行為によって死者が出たためしは一度としてない。
そうでなければ、確実に賞金首になっていたことだろう。それも、相当に高額の。
その程度にはあの女がかかわっているのではないかと言う事件は多いのだ。
「……あの女の思い出に浸るのはまた今度で良いか」
「今度でも御免やね……」
「本当に……ね」
「なえてる暇はねぇだろ。とりあえず、スペンサーにもさっき聞いたことだが……お前は何しにうちまで来たんだ、チスパ?」
「え? それは、グローリアの顔……」
「を見に、とか続けやがったら解体するぞ」
マジなトーンでグローリアは言う。
チスパの顔を大量の汗がだらだらと流れ落ちていく。先んじて潰された言葉を言うつもりだったのだろう。
解体するとまで言われて冗談を言えるほどチスパは豪胆ではなかった。
不承不承と言った体で口を開く。
「…………情報の共有しようかなぁって。ウチのギルドだけじゃ手に余る内容だったからね」
「と、なると《悪鬼と妖精》も《天空》も同じ内容でウチに来たってことか。その内容って言うのを聞かせてもらってもいいか? ウチも同盟ギルドと話し合いの場を持ちたいと思っていたところだ」
「ちょうどよかったみたいだね」
「そのタイミングの代償が壁だと言うのなら、安いのか高いのかわからんがな」
「…………本当にごめんなさい」
「テメェは怒っちゃいねぇよ。リテラエはどうかは知らんがな」
チラリとリテラエのほうに視線をおくってみると、丸を書く手も止めて横座りでぐったりと地面に手をついて項垂れている。
そんなリテラエをその辺にあった木片でウルヴァーンが突っついている。
『へんじが ない。りてらえは こころが おれて しまったようだ。』
そんなテキストがリテラエの上にポップしている。
無視してウルヴァーンはリテラエをつんつくしている。
まぁ、そのうちリテラエのほうは復活するだろう。あいつの打たれ強さ……というか立ち直りの速さは目を見張るものがあるからな。
……立ち直るとは言っても動けるようになるだけで、延々と引きずるが。
料理下手のことを錬金術師って言いますよね?




