寝起きとHND
パチリ。
そんな擬音が聞こえそうなほどに、唐突にグローリアが目を開ける。
一人で寝ることができないと言う体質持ちだとは言え、それ以外は普通だ。そんなグローリアの寝起きは比較的良い方に分類される。
月夜などは、起きてから最低でも十分はうつらうつらとしていることが多い。
目覚めたグローリアは自分の手の中で寝息を立てているロリアーネの存在に気付く。
はて、何故ロリアーネと抱き合いながら寝ているのだろうか?
そう考えて、すぐに昨夜のことを思いだす。ちょうどいいところにロリアーネがいたから抱き枕代わりにして寝たのだった。
グローリアが寝た後もロリアーネは長い間騒いでいたのだが、ほんの一時間ほど前に騒ぎ疲れたのか眠ってしまった。移動中は周囲を警戒していたので、まともに睡眠できていなかったというのも要因の一つではあるのだろう。
それにしても、敵地と言い切っていたところでこんなにぐっすり眠れるとは……以外にロリアーネは豪胆なのかもしれない。
ロリアーネの背に回していた手を放して、ゴロリと寝返りを打って仰向けに寝転がる。
「あ、起きたね」
目の前には見慣れぬ少女の顔があった。
その顔が邪魔になって、天井を見ることができない。
位置的に、少女はグローリアの上に覆いかぶさるようにしているらしい。
「……誰だ?」
寝起きのグローリアはそれしかいうことはできない。
相手が殺気を持っていたり、敵意を抱いていたら、こんなにのんびりすることはできないだろう。
だが、目の前の少女からは敵意が感じられない。
感じられるのは純粋な好奇心のみ。
そんな相手に対して、殺意など向けることはできなかった。
それに、横ではロリアーネが寝ているのだ。無理に殺気で起こすこともないだろう。
「……とりあえず、退いてくれんか? 起き上がれない」
「あ、そうだね」
少女はグローリアに言われてようやく気付いたという様子で、すぐに離れる。
離れたことによって、少女の全身を見ることができるようになる。
少女は、少しサイズの合っていない鼠色のツナギを着ている。灰色の髪はポニーテールにまとめており、頭には遮光ゴーグルのようなレンズが真っ黒に染められているゴーグルを着けている。頬には付着した汚れを拭ったからなのか、黒い滲んだような跡がある。両手には真っ黒の厚手の手袋、腰に巻いてあるポーチには溢れるほど工具が入れられているのか、様々な工具が顔を出していた。
見た目だけで年齢を判断するなら、十歳と言うところか。
「……朝から何の用だ? お前がだれかは知らんが、人が寝ているところに入ってくるんじゃねぇよ」
「豪胆だね。普通はもっと慌てふためくと思うのだけれど?」
「慌ててどうにかなるならそうするさ。それに、お前からは殺意どころか敵意も感じん。警戒するだけ徒労と言うものだろう」
「……あなた面白いね。気に入ったよ」
「そりゃ、どうも。ともかく……名乗れよ。テメェはお前の名すら知らないんだが?」
「あぁ、まだ名乗ってなかったね。私は鳶。一応、このギルドのトップってことになるよ」
「あぁ……となると、お前が工場長か。テメェたちの依頼主の」
「そうね。私があなたたちを呼びつけた張本人」
目の前の少女は工場長を名乗った。
このギルドの工場長の成り方を考えるとするのならば、目の前の少女には少しだけ早いような気もする。
だが、少女から微かに漂ってきた匂いでその疑問は氷解した。
少女からは鉄や油の匂いと、ほんの少しの土の匂いがする。と言うことは、この少女の見た目年齢と実年齢は随分と違うのだろう。
それならば、工場長をしているのも納得がいくと言うものだ。
「それで、《機甲の花園》の工場長殿がこんな朝っぱらから何の用だ? まだ日が昇ってから間もない。……いや、昇ってすらいないのか? どちらにしても、尋ねるには早すぎる時間ではないのか?」
外はまだ空が白んできたばかり。
普段のグローリアであれば確実に起きていないような時間だ。昨日は疲労から早く寝入ってしまったので、その分早く起きてしまったのだろう。
こんな時間から、人を訪ねる理由がグローリアには思い浮かばなかった。
それに、グローリアと鳶はまだ交流も何もしていない。そんな相手の寝込みを襲うメリットもないだろう。
最悪の場合、敵対行動とみなされて殺される可能性だって低いわけではないのだから。
グローリアの考えが的外れだとでもいうように、鳶は笑う。
「ただ、あなたの顔を見たかっただけだね。どんな人なのかを、ね。そうしたら、女の子を抱きしめながら眠っているのだもん。驚いたよ」
「テメェは、お前がテメェのすぐ横にいることに驚いたがな」
「それはごめんなさいね? 近くで見たかったものだからね」
「そんな軽い言葉でテメェの寝込みを襲うのか。にしても、別にあんな距離にいる必要はないだろう」
「あはは。それは、趣味ってことでね」
「そうかよ」
軽く話しただけだからまだよくわからんが、グローリアは鳶のことがあまり嫌いでもない。
寧ろ、こんな短時間しか接していないのに、この女のことが気に入っている。
工場長でなければ、《セレーノ》に勧誘していたところだ。
「それじゃ、目的も果たしたところだから帰るね。また、朝食の場ででも会えるといいね」
「お前が昨日みたいに出てこないなんてことがなければ会えるだろうよ」
「あはは。それもそうだね。なら、ご飯までは工房に向かわないようにしよう。工房に行っちゃうと時間が過ぎるのが早いし、熱中しちゃうからね」
「そうしてくれ」
「また後でね。グローリアくん」
「あぁ」
手を軽く振りながら、鳶は部屋を出て行った。
その後ろ姿を見てから、数秒経ってグローリアは一つのことに思い至る。
「テメェは……名乗ったか?」
名乗っていないのに名を知られていた。
少しばかり驚くが、それほどの事でもないだろう。
依頼するにあたって、多少は相手のギルドの内情を調べるのは当然のことだ。
《セレーノ》は機密性の高いギルドではあるが、団長であるグローリアの名を調べるぐらいのことは容易いだろう。
「……ま、いいか」
機密保持のことなどグローリアの担当じゃない。そう言う面倒なことは大体がリテラエの仕事と三人で決めたのだ。
グローリアがするべきは、力で面倒事を薙ぎ払うこと。
それ以外はリテラエとプリスが何とかする。……と言っても、大概働くのはリテラエ一人なのだが。
面倒な考えを脇に放って、これから何をしようかとグローリアは考える。
寝直そうにも、そんな気分ではない。
もうこれ以上無為なことを考えるのもごめんだ。
かと言って、有益なことを考えるのも馬鹿らしい。と言うより御免だ。
グローリアはグローリアのしたいことをする。グローリアのしたいことに《セレーノ》の利益となるように行動するという項目は存在しない。
グローリアの行動を受けたリテラエがどうにかこうにかすればいいのだ。
やはり、グローリアの考えることではない。
「なら……昨日の続きでもするか」
グローリアは昨日から着っぱなしだったノースリーブの黒シャツを脱ぐ。
いつもグローリアはノースリーブのシャツを着ているが、きちんと毎日替えている。
純粋に、シャツにそでがついていると煩わしいと言うか、動きが阻害されているような気分になるのだ。
だから、ノースリーブの服以外基本的に着ない。
幸いなことに、グローリアたち《セレーノ》の本拠がある地域はそれが許される程度には年間を通して温暖な気候だった。
正確に言えば、四季の違いが薄く、夏はさして暑くならず、冬もそれほど寒くはならないと言った程度なのだが。それでも、夏は三十度を超えることはあるし、冬は氷点下に達することもある。
……要するに、グローリアが大丈夫だと思っているだけなのだが。
毎年、冬の季節となると、昔はリテラエが、今は月夜がグローリアに無理やりにでも防寒具を着させようとし、それをグローリアが拒むと言う光景が毎年恒例として行われている。
そして、ただでさえ出不精なグローリアは防寒具を着させられるということで、冬はさらに出不精になるのだ。
グローリアは膝を曲げたり、肩を回したりと軽いストレッチのようなことをする。
起床直後で体は凝り固まっている。
そんな時に急に体を動かしはじめたら、怪我をすること請け合いだ。
「さて、まずは……っと」
垂直に棍を立てると、その上に片腕で逆立ちする。飛び乗ったというのに、不安定な棍は微動だにしない。グローリアの体幹が並はずれて優れているということの証左だった。
そして、そのまま片腕で腕立て伏せをする。
あまり筋肉をつけすぎても動きが阻害されるが、全くなくていいという訳でもない。
グローリアの異能で生成される武器は重さや長さを指定できない。
生成される武器は全てその武器として最適な大きさを取っている。故に、重い武器は重く。軽い武器は軽い状態で生み出されるのだ。
そこから手入れをすれば、ちょうどいいサイズにすることもできなくはないが、極限状態の戦闘中にそんなことはできない。
だからこそ、どんな武器でも最低限両腕で振るえば問題ない程度まで鍛える必要があるのだ。
どれだけ技術を持っていても、動ける体があっても、その武器自体を扱える技量がなければ何の意味もない。猫に小判と言うものだ。
そんな理由があるから、どれだけ面倒でも毎日の鍛錬をグローリアは行うのだ。
……まぁ、十年以上も続ければ、面倒とすら思わなくなる。ただの日課だ。
たまに手を入れ替えながら、三十分ほど腕立てをする。
棍の上から降りたグローリアの上半身には汗が玉のように滲んできている。
その汗をぬぐうこともせずに、棍を手に持ち、両目で正面だけを見据える。
目の前には当然のごとく何もいない。
だが、グローリアにだけは見えている。グローリアが考えられるレベルでの最強の仮想敵が。
仮想敵のレベルは、最低でも《四黒》レベル。
そのレベルの敵が目の前にいると考えながら、目を閉じて呼吸を整え、静かに仮想敵を見据える。
十分もすれば、集中は極限まで高まっている。
ゆるりと目を開けると、昨日と同じ流れるように、舞うように攻撃を繋げる。
端から見たら、昨日とは何一つ変わらない連撃。
だが、見るものが見れば、その動きが昨日とは比べ物にならないほどに洗練されているのが見て取れただろう。
重心のブレは取り除かれ、棍を振るう腕にはならがある。
昨日の動きを連撃と評するのなら、今のグローリアの動きは連舞。
連ねられるただの攻撃には舞のような美しさが自然と宿っていた。
「ん……んぅ?」
眠っていたロリアーネが眠りから目覚めた。
《セレーノ》の本拠にある自室以外でこれほど眠れたのは久しぶりだった。
文字通り寝落ちたロリアーネ。
まだ覚醒しきっていない目でグローリアの連舞を見ると、すぐに頭に靄のようにかかっていた眠気がどこかへと消し飛んだ。
それほどまでに、グローリアが棍を用いてつなげる連舞は美しかった。
そして、棍を振るうグローリアも美しかった。
「……すごい」
それ以外の言葉が出てこなかった。
舞うように棍を振るう。その時に舞い散る汗もきらめきを帯びているようだった。
窓から朝日が入り込み、その光を浴びながら動き続けるグローリアの姿は神々しさすら感じさせる。
確かに、この連舞を見ていると、昨日の動きは精細を欠いているように見える。
昨日はあれほど完璧だと思えた連撃もこれに比べると、見ていられないだろうと思うほどだ。
ロリアーネが見ていたのはほんの十分ほどだろう。
最後に棍を大上段から振り下ろすと、グローリアは息を大きく吐く。
上半身は汗でびっしょりになってしまっている。やはり、動く前にシャツを脱いだのは正解だったようだ。
問題は眼帯か。
グローリアの付けている眼帯は革製なのだが、汗が染みこんで重くなっている。
換えなくては気持ちが悪くて仕方ないだろう。
換えは持ってきていたかなと、周囲を見回したときに、ロリアーネが起きているということに気付いた。
ロリアーネは放心してしまっているようにボーっとしている。
「おーい。ロリアーネ? 起きてんのか? それとも、目ぇ開けたまま寝てんのか?」
ロリアーネの前で手をぶんぶんと振ってみるが、反応はない。
しかし、起きてはいるようでたまに瞬きをしているし、息もしている。
なら、問題ないかとグローリアは部屋を見回す。眼帯どころか、カバンらしきものすら見当たらなかった。
そこで一つのことを思い出す。
「……そう言えば、荷物は月夜が持ってんだったな。抜かったか」
まぁ、無いものは気にしてもしょうがない。
とりあえず、部屋にある物で何とかするか。
机の引き出しとかをあさっていると、とりあえずタオルを見つけた。探していたものではないが、汗を拭くものはどちらにしろ必要だった。
タオルで体を拭きながら探すと、救急箱のようなものを見つける。
中を開けて確認すると、中には傷薬や飲み薬に紛れて純白の包帯があった。
「……次善案だが、これで我慢するか」
医療用の眼帯があれば最高だったのだが……そこまでは望むべくもないだろう。
眼帯を取り外し、右目の上から包帯を巻いていく。それをピンで留めれば、完了だ。
姿見で顔の眼帯代わりの包帯を確認する。
……うん。多少は変だが、問題ない。これの下を見られることに比べれば、取るに足らないようなことだ。
終わった後に、もう一度ロリアーネに視線を向けるが、ロリアーネはまだ放心している。
いい加減にこれ以上ぼっとされるのは鬱陶しい。
「起きなさい」
ロリアーネの目の前で柏手を打つ。
「……ハッ! あ、主。おはようございます」
「あぁ、おはよう。何放心してやがったんだ?」
「それは……」
言えない。
とてもではないが、グローリアの鮮やかな連舞が目に焼き付いて離れなかったなどとは。
ロリアーネは誤魔化すように、覆面の位置を直す。
「何でもないです。寝起きで頭が働いていなかっただけです」
「そうか。それなら良いんだ。……っと、もうこんな時間かよ」
壁に備え付けられている時計を見る。
鍛錬を始めた正確な時間は思い出せないが、軽く二時間以上はやっていたことだろう。
よく見れば、窓の外からは朝日がまぶしいぐらいに差し込んできている。
そんな朝日に目を細めながら、グローリアは呟く。
「……そろそろかな」
「? 何がですか?」
「黙って、入口の扉横に控えとけ。良いな?」
「はぁ……了解いたしました」
意味が解らないと言った様子のロリアーネ。だが、命令は命令と扉の横につく。
それと同時に入口の扉がノックされた。
びくりとロリアーネは背筋を震わせながら、存在感を希釈する。とっさに存在感を薄める癖は治したほうが良い気がする。
ノックした主は返答を待っていなかったのか、すぐにドアを開けて入ってくる。
「旦那様。もう朝です。お起きになって……」
礼と共に月夜が部屋に入ってくる。
頭を上げた月夜の視界に飛び込んできたのは上半身には何も纏わず、首にタオルをかけているだけの自分の主人の姿。
若干肌には汗がにじんでいて、その汗が朝日を反射してキラキラと輝いている。
鼻の奥から湧き上がってくるのは、湧き出て溢れて止まらなくなった情熱の塊。
これは無理だな。そう達観した月夜。目を離せばいいと理性ではわかっているのだが、本能がその理性を凌駕している。
「ロリアーネ。月夜の目を覆い隠せ。手で良いぞ」
「解りました」
そんな声と共に、月夜の視界が真っ黒になる。目を手で覆われたらしい。
そのおかげで鼻血が出そうになる感覚は止んだが、グローリアの輝く裸体と言う激レアな風景を見えなくなってしまったことが少しだけ残念だと思ってしまうのはしょうがないことだろう。
目を隠されるまで気づかなかったが、この部屋にはグローリア以外もいたらしい。
背後に感じる気配でわかる。……いや、背後にいるのになさすぎる存在感で気づく。
「ロリアーネですか? おはようございます」
「おはようございます。月夜さん」
「月夜、もう大丈夫か?」
「は、はい。お目汚し失礼いたしました。もう大丈夫です」
「そうか。ロリアーネもう退いていいぞ」
「かしこまりました」
眼前から手が退けられて光が急激に目に差し込んでくることで、少しの間視覚情報が入ってこなくなる。
だが、それも少しのこと。すぐに目が慣れて部屋の情報が目を通して入ってくる。
そこには未だ上半身を晒しているグローリアの姿。
「フェイントっ!」
今度は止めることが出来なかった。
朝っぱらから、グローリアが使っている客間は月夜の鼻血で真っ赤に染められたのだった。




