血ヲ吸ウモノ
「まぁ……わかっていたことではありましたね」
ロリアーネは《機甲の花園》の本館の前で壁に体重を預け、腰の両脇に差している短剣の柄頭に手を置きながら、ハァと小さく息を吐き出す。
日は傾いて、もうじき夜になるだろう。
季節としては初夏と言うことになる、今でもこの格好では夜は寒いことだろう。
ローグ・ルークはもう自分の仕事に向かってしまったし、グローリアたちもそれぞれの部屋に入ったのでこの場にはロリアーネしかいない。
なぜ、ロリアーネはここに一人でいるのか?
簡単だ。一人一部屋と言ったのに、与えられた部屋は四部屋だけだったからだ。
グローリアに言われてからずっと気配を断っていたのが仇となったらしい。ロリアーネは存在ごと完全に忘れ去られてしまって、寝る部屋がないのだ。
もうこういうのはいつもの事なので、嘆く気にすらなれない。
今、ロリアーネが浮かべている表情は、まだ年が二桁にも達していないような少女がしていいような表情ではない。世界に対して何も期待していない、もう諦めきっている老人がするような自虐的な笑みだ。
「さて……何はともあれ、寝る場所を探しますか。宿を借りても……間違えて新しい人をいれられるのが精々でしょう。来ない可能性に賭けてもいいですが……リスキーすぎますね。止めましょう。となると、野宿が安定ですかね」
そこでもう一度ため息をつく。
「……九つで出てくる選択肢に野宿が混ざりますか。まぁ、しょうがないことですけど」
最悪、酒臭いことを我慢すれば《機甲の花園》の本館の端辺りで寝てもいいのかもしれない。
どうせ誰もロリアーネには気づかないのだ。どこで寝たとしても……ばれないと言うのなら、人の家に上がりこんで寝ることだってできる。
そのあたりの良識はとうの昔に捨てた。
良識などロリアーネが生きていくためには邪魔なものでしかなかったから。
そんなものを持っていては、このクソのように醜悪で汚い世界で生きていくことはできなかったから。
本格的に寝る場所を探そうと、背を預けていた壁から離れたところで声を掛けられる。
「……ん? ロリアーネか? 何でこんなところに……あぁ、理解した。言わなくていい」
ロリアーネが口を開いて理由を言う前にグローリアは察したように首を縦に振ることでロリアーネの言葉を遮った。
さっき案内された部屋が四つしかなかったことを思いだしたのだろう。
「お前、どうすんだ?」
「さぁ? 野宿でもします」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないですか? 風邪程度で腕を落としたりはしません。安心してください」
「いや、そうではなくてな」
「?」
主の心配事と言うのは、何か病に罹ることによって身体能力が落ちることではないのか?
そうだとばかり考えていたロリアーネは不思議そうに首をひねる。
ロリアーネの思考の中には、グローリアが自分の身を案じている可能性と言うのは欠片も入っていない。
もうロリアーネは自分の身を顧みることができないほどに歪んでしまっていた。
「……お前はまだ幼い子供だ。どれだけ、ガキ臭くなかろうと、な」
「? そうですが……それが?」
「わからねぇか……。ま、何だ。寝る場所がないなら、テメェの部屋にでも来るか?」
「良いのですか? 主」
「良いも悪いも……いや、これをお前に言うのは無駄か。一人って言うのは存外に寂しいものでな。お前がいるのなら助かる」
「それなら……わかりました。主の部屋にお邪魔させていただきます」
「おう。なら、こっちだ」
グローリアに与えられた部屋と言うのは、本館の中でも最上階の一番見晴らしのいい大きな部屋だった。
家財道具も結構な値段のしそうなものが置いてある。
広さも豪華さに負けないほどにあるので、ここに一人は寂しいことだろう。
ロリアーネは窓を開けて、外の景色を眺める。
ウィースにある建物は大体が二階建て、ないし平屋である。そのおかげか、三階から街を眺めると結構な遠くまで眺めることが出来た。
普通のロリアーネほどの年頃の子供であれば、この時に景観を眺めるのであろう。
だが、ロリアーネの感性は一般的とはとてもではないが言い難かった。
ロリアーネが見ていたのは街ではなく人。自分の主を害する可能性のある人間が周囲に潜んでいないか。それを確認していた。
そんなロリアーネの頭をグローリアがチョップする。
大した威力ではなかったが、集中が途切れる。
グローリアにロリアーネは非難のこもった視線を向ける。
「……何ですか、主」
「気ぃ張りすぎんな。張り詰めた糸は何気ないことで切れちまう。それが平時だったら問題ないが、戦闘中に切れたらどうすんだ? お前死ぬぞ?」
「お言葉ですが……ここはてき……」
「それ以上は言うなよ? どこに目があるとも耳があるともしれないんだからな」
危険なことを口走りそうになったロリアーネの頬をムニュウッと片手で両側から挟む込むことによって歪ませる。
滅多なことを口走るものではない。
まぁ……ロリアーネの心配も理解できないわけではないのだが。
と言っても、グローリアは真にロリアーネを理解することなどできていない。
ロリアーネにとっては、《セレーノ》の本拠地以外は、すべて敵地だ。《セレーノ》に所属している人間以外は全員敵だ。
そんなロリアーネはグローリアに注意されても、不満げな表情をするだけである。
表情からロリアーネの胸中を十分に理解できたグローリアは、軽くため息をつくだけだ。
もう幾度もこれに関しては話を重ねた。
だが、現状からその話し合いの結果については察しが付くだろう。
グローリアは時間を大切にする。人間の時間と言うのは、この世の中でも最も尊いものである。
時間は流れゆく川のようにとどまることを知らず、それと同じように人も一瞬たりとも同じ存在でいられることはできない。一瞬一瞬ごとに違う自分になっていく。それを成長と言うのだ。
別に無理に大人になろうとしなくても、子供は生きてさえいればいつか大人になる。
ならば、大人になるまでは子供と言う尊い時間を楽しむべきなのだ。
そう、グローリアは考える。
「……これについては平行線だな。ま、警戒するのは良いが、適度に気を抜く習慣をつけろ。いつもいつも警戒していても疲れるだけだ」
「…………善処はします」
「今はそれでもいいがな。それで、お前はこれからどうするんだ? テメェたちは食事に呼ばれているが?」
「ここで待っています。行ったとしても、私の分の料理は用意されていないでしょうし、料理が前に並べられても美味しいとは思えませんので」
「そうか。喉は乾いていないのか?」
「…………少しだけです。問題はありません」
「ん、そうか。なら、後でやるよ。だから、待っとけ」
「了解いたしました、主」
グローリアは後ろ手にプラプラと手を振りながら、部屋から出て行ってしまった。
自分一人しかいなくなってから、やっとロリアーネは口元を覆っていた覆面を外す。
もう慣れてはいるので、いつも着けていることについて違和は感じないのだが、やはり若干つけていないほうが空気を吸いやすくていい。
覆面の下から現れた顔の下半分には別段異常は見受けられない。
ロリアーネも別に気にした様子もない。
覆面を外したロリアーネは壁に背を預け、そのまま足の力が抜けたようにズルズルと座り込んでしまう。
膝を抱え込みながら、ロリアーネは天井を見上げる。
「……ハァ。意外に寂しいものです」
ロリアーネはそんなことを呟く。
一人と言うのには慣れているつもりだった。
自分の今の主であるグローリアとかいう奇特な男の下に行くまでは、ロリアーネの唯一の友人と呼べるのがこの孤独だけだった。
友などいない。安らげるような場所などない。気を休める暇などない。
そんな生活を物心ついたときから送ってきたロリアーネにとって集中を途切れさせるというのは、即ち死を意味した。即ち地獄を意味した。
「そんな私が寂しいなどと……随分と『人間』らしくなったものですね」
自嘲的な笑みを漏らす。
そして、腰の両側に差している短剣を引き抜く。
くすみひとつない刀身には、それぞれ違う文が刻まれていた。
『善、即ち悪なり』
『悪、即ち善なり』
この言葉の意味は解らない。
グローリアに一度聞いてみた時もあったが、グローリアはその短剣と刀身に刻まれた文字を読んで楽しそうに微笑んだのを覚えている。
珍しいな。だが、良い言葉だ。意味は……そのうち解るさ。
ロリアーネの頭をポンポンと叩きながらグローリアはそんなことを言った。
その笑顔の意味も、グローリアの言葉の意味も今ですらわからない。
だが、そのうち解ると言うのなら、変に今々調べることもないだろうとは思っている。
両手に持っている短剣を鞘にしまう。
「今は……主に言われたとおり休みますか」
警戒心は維持したままに目を閉じる。
眠気は襲ってこなかったが、喉に渇きを覚える。
「…………喉が、渇きましたね」
「そうなのか?」
ポツリと漏れた言葉に反応されて、ロリアーネはビクッと飛び上がる。
即座に口元を覆面で隠す。そして、すぐに今さっきしまった短剣を構える。
この間、二秒。とっさの事だっただろうに、ここまで反応できるというのは素直に感嘆に値することだ。条件反射と言う面も強いかもしれないが。
敵の存在は声の発生源からして入口。近づくために気配と存在感を希釈する。
これで、敵は自分の存在を認識しづらくなるはずである。それで迷いが生じている間に首を刈り取る。
一瞬で声の主のもとまで駆けよったロリアーネは首元に刃を当てる。
「おいおい。止めてくれよ」
「……主ですか。驚かせないでください」
自分に声をかけたのはグローリアだった。
要するに、今首元に刃を当てている相手もグローリアだ。
月夜でもいたならば面倒なことになっていただろうが、幸いなことに月夜はまだ食事中だ。
この場に、この程度のことで騒ぐような人間はいない。それ以前に、人もグローリアとロリアーネの二人しかいない。ロリアーネの知覚できる範囲では。
「それで……何でこんなに早いのですか? お食事に行ったのではないので?」
「答えてやる。だから、この首の刃をどっかにやってくれないか? 地味に怖い」
グローリアの首にはクロスする形で二本の短剣が当てられている。
首の下に刃物の鈍い光があると言うのは落ち着かない。
「今見たものを忘れると言うのなら」
さっきの気の抜いた姿と言うのはロリアーネからすると、実に実に恥ずかしいものなのだ。
はっきり言って、裸を見られる方がまだ幾分マシかもしれないと言うレベルで。
しかも、グローリアに気を抜けと言われた直後だ。
言われたから気を抜いていたと思われそうではないか。
だが、グローリアは見当違いのことを言ってくる。
「ん? 口元見られたのが気に入らんのか? 食事すると言うのなら、すぐに見ることになるだろうに」
口元を見られたのも恥ずかしいが、気を抜いたところを見られたのが恥ずかしいのだ。
それを言っても、きっとグローリアは不思議そうな顔をするだけであろう。
そのことを理解した……最初から理解していたロリアーネは短剣をおろし、改めて鞘にしまう。
「それで、主は何故にこんなに早くお戻りなのですか? 食事と言うのはゆっくりととった方が健康には良いと聞きますが?」
「そうだな」
「ならば、何故に?」
「あー……なんだ。少し、疲れがたまっているからな。あまり食事が喉を通らなかった。それだけだ」
「嘘ですね」
確信を持ってグローリアの言葉を切り捨てる。
その確信をどこで得たのかはわからなかったが、グローリアはすぐに白旗を上げる。
「……そうだ。嘘だよ」
「ならば改めて問います。これほど早く戻ってきた理由は?」
「…………言わなきゃダメか?」
「言っていただきたいですね」
「……純粋に、部屋にお前を一人で待たせるってのが気に入らんかったってだけだよ。プラスすると、お前も腹減ってるだろうと思ってな。ほれ、お前はこの移動中一滴も飲んでないだろ? そしたら案の定……な?」
グローリアの言うとおり、この一週間一度も食事していない。
そのせいで、この会話をしている間も喉の渇きが気になってしまう。
だが、それでもまだもう少しは持つはずだ。その程度にはプールしてある。
それでも、一度気になってしまうと気になり続けてしまうと言うのはしょうがないことだ。改めて言われてしまうと、我慢できるかとも思っていた渇きに耐えられなくなってくる。
「ほれ、好きに飲め。……つっても、倒れるほど飲まれても困るがな」
そう言うグローリアは着ているシャツの襟を伸ばして、首元を外気にさらす。
そこまでされたのに食事をしないと言うのも、礼を失する行いだろう。
据え膳喰わぬは……ではないが。
「それでは……いただきます」
「おう」
覆面をさげ、ロリアーネはもう一度口元を晒す。
そして、口を開ける。
口の中には綺麗な白い歯が並んでいるが、犬歯だけが異様に鋭く長い。
その犬歯をグローリアの首に押し当て、にじみ出てきた血を啜る。
久しぶりに吸う血は、我慢していたということもあって、すごく美味しく感じる。
ロリアーネは他者の血液を吸うことによって、その血液を栄養として生活している吸血種と言う種族だ。別に血液以外からでも栄養を補給することもできなくはないが、とてもエネルギー吸収効率が悪い。
具体的には、一日生活するためのエネルギーを補給する場合、血液であれば少しで済むが、それ以外の食物などの場合は、驚くほどの量が必要になる。はっきり言ってしまうと、魔獣であるペロですら凌駕する。
だから、血液を吸ったほうが結果として費用対効果が良いのだ。
栄養も普通の種族よりも体の中に多く溜めこむことができるのも、メリットだろう。
問題は、あまり血液を提供してくれる他者がいないと言うことだろう。
その問題点を解決するために、東大陸にある《常夜》と言う国家では、簡単に血液を摂取するために大量の奴隷を飼っている。
「おぉぉぉ……この命が抜ける感じは慣れないな」
ロリアーネはいつもグローリアから血液をもらっている。
グローリアの血液はロリアーネに合うので、普通の人間の血液よりも美味しく感じるのだ。
食事はほんの一分と少しぐらいで終わった。すぐにロリアーネは口元に残った血液を手で拭うとまた覆面で口元を隠す。
「ありがとうございました。美味しかったです」
「それはどうも……。少しふらつくな」
グローリアは血を吸われた直後ということで顔色は悪く、少しフラフラとしている。
そのまま、ベッドの上に倒れこんだ。




