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不機嫌オーラを周囲に放出しなくなったグローリアを見て、やっとひやひやとしながら身からとグローリアのやり取りを見ていた三人は肩の力を抜く。
「……ミケラ、すごいな」
「うん」
「ですね……。グローリアさんもミケラにほだされたおかげで苛立ちも鳴りを潜めたようですし。これで、当分は大丈夫でしょう」
「俺もああいう才能がよかったぜ」
頬に描かれているスートを掻きながらビルは呟く。
ビルの『才能』はグローリアを楽しませることはできないし、グローリアの機嫌を好転させることもできない。
言ってしまえば、ビルの『才能』はビルの趣味の域を超えない。
そのことを後悔したことは今までなかったが、今日は少しだけもどかしかった。
「……にしても、ミケラの描いている絵。見たくねぇ?」
ミケラは下書きが終わったようで、パレットに絵具を垂らしている。
こういう画材類はそう言うのを専門に扱っているギルドがあるのだが、ミケラの場合は大体自作している。
この絵具も自分で鉱石を砕いて色を抽出したものだ。
といっても、鉱石の収集まではできないのでグローリアが直接山まで行って取ってくるか、リテラエが購入してくるのだが。
絵具として直接買うよりも、ミケラが自作したほうが安く上がる。
それに、市販品よりもきれいに作れるのだから、買ってくるメリットなど皆無だった。
絵具の準備を終えたミケラは慣れた手つきで彩色を開始する。
見た限り、その筆遣いに迷いも躊躇いも一切ない。絵具を混ぜて色を作る作業ですら迷いなく行っている。
その姿はどの絵具をどれだけの量混ぜればどのような色ができるのか。それを完璧に把握しているような手つきですらあった。
グローリアは煩わしさを覚えて隣に視線を向ける。
さっきまでは完璧な姿勢だった月夜はミケラが絵を描き始めてからずっとそわそわとしている。
「……月夜」
「はひっ!」
「……らしくもねぇな。慌てて声を裏返らすなんて」
「そ、そんなことはないですよ、旦那様。私は至っていつも通りです」
「声、震えてんぞ」
「っ!」
月夜は恥ずかしそうに顔を赤くしながら俯いてしまった。
本当に……こいつは面倒臭い。それだけは昔から一片たりとも変わっていない。もう少し柔らかい思考を持てばいいのに。
そう思うが、それはそれで月夜らしくもないかという結論に達する。
普段の月夜は何を考えているかわからないが、今日はわかりやすすぎる。
「……みたいなら見てくればいい。隣で監視なんかしなくとも、テメェは何処にもいかねぇよ」
「監視など! ……監視などではありません。私が旦那様の横に侍っているのは私が好きでやっていること。旦那様がご不快でないのなら、ずっとそばに侍っていたいのです」
「……そう言いつつも、視線はミケラのほうに行っているわけだが」
「……はっ!」
今日の月夜は面白いなぁ。
いつもは完璧であろうとすることが多い月夜のこういうところは本当にレアだ。
抜けている方が子供らしくていいと思うが、そうもいかないのだろうな。月夜は不器用だし。
子供は子供らしく。大人は大人らしく。
グローリアはグローリアらしく。月夜は月夜らしく。
それぞれらしく生きればいいのだ。
そのうちに月夜だって年を取れば大人らしくもなってくる。その時に子供らしさなど出しようもないのだ。子供のうちから大人を気取ると言うのは、実に疲れることでもあるし、勿体ないことでもある。
「……まぁ、テメェが口を出すことでもないとは思うがな」
「? 何かおっしゃりましたか、旦那様?」
「いや……あと、そんなに見たいなら見てこい。テメェは雨が止むまでここから動く気力もない。隣でそんなにそわそわされては、気も休まらん」
「……申し訳ございません」
「謝ってほしいわけでもない。気になるならさっさと行け」
「……解りました。お言葉に甘えさせていただきます」
口をついて出る言葉こそ不本意であると言うニュアンスを含むものばかりではあったが、その言葉に含まれた感情はグローリアにも理解できた。
その証拠に、ミケラの後ろに回り込もうとしている月夜の尻尾は楽しそうにゆらゆらと左右に振られている。
獣人種は感情が外から見て分かりやすいから好みだ。
と言っても、同じ獣人種であるはずのプリスなどは解りづらいが。
ミケラの後ろに回って、ミケラの絵を見た月夜は感嘆の声を上げる。
「流石ミケラですね。ここまで旦那様の凛々しさを出せるなんて……」
「ふふ~ん。すごいでしょ~。と言うか、ミケラはこれ以外出来ないんですけどね~」
「いえ、ミケラのこれは十二分に誇っていいものです。それこそ、私やウルヴァーンの持っている『才能』などよりもずっと役に立つと思いますよ」
「え~? そうかな~? パパを護れる月夜さんのほうがすごいよ~」
「そうですか? 直接的に旦那様の身を護るものではないのですけれどね。そう言ってもらえると嬉しいですが……『才能』に貴賤なんてないのかもしれませんね。異能に代表されるように、皆持っている『才能』と言うものは違うものですから」
「そうですよ~。それぞれにできることをそれぞれですればいいんですよ~」
笑って話しながらも、ミケラはキャンパスから視線を外さない。
瞬く間にミケラの描いたグローリアに色がついて、ただの線から色のついた温かみのある絵に昇華されていっている。
体を塗り終わって、顔の色塗りに入ろうとしたところでミケラの彩色筆が止まる。
話している間にもとまらなかった筆が止まったことに、月夜は若干の違和を感じる。
ミケラは、一回絵を描き始めると手を一度も止めずに描ききる。
そんなミケラの筆が止まるところを見るのは、月夜としても初めての事だった。
「う~ん……」
筆をおいたミケラは腕を組んで唸り始める。
何か、構図に納得がいっていないらしい。天才肌のミケラには珍しいことだ。
「……パパ~」
「あ?」
「一つだけお願い聞いてもらってもいいですか~?」
「……内容にも依る。できる範囲でなら聞いてやる」
「ありがとうございます~。なら……その眼帯取ってくれませんか~?」
ミケラの言葉と共に、月夜の表情が凍りついた。ミケラたちの背後にいる三人も凍りつく。
グローリアは雨以上に付けている眼帯について触れられることを嫌う。だから、《セレーノ》ではグローリアの眼帯については触れないのがルールとなっている。
このルールだけはリテラエも含めた《セレーノ》全員が守っている。
それを破ったことで、グローリアの機嫌がまた急降下するのではないか。
月夜を含めた四人はグローリアに視線をおくり、即座に視線を向けたことを後悔した。
グローリアの機嫌は急降下どころではない。完全に直角に落ちていた。そして、止まるべき最低ラインを通り越して地面を抉りぬいていた。
「……………………何でだ?」
「え~? いつものパパならそれがあってもいいんですけど~、今日のパパは眼帯がない方が映えるかな~、って思ったんです~」
「…………却下だ」
「何で~。聞いてくれるって言ったじゃないですか~」
「テメェは内容に依ると言ったはずだ。他の事なら大体は飲んでやる。……だが、眼帯を外すのだけは御免だ」
「む~……絶対ですか~?」
「あぁ。絶対だ」
グローリアは不機嫌を募らせている。
口調こそ、それほど変わっていないが、その言葉の端々には苛立ちが見え隠れしている。
ミケラはミケラでこれに関して言えば退く気はないようだ。
芸術に関して言えば、妥協を好まないミケラの性格が今この場においてはマイナスとなっている。
「……駄目ですか?」
「ああ。それ以外なら、今日に限っては本当にヤバいやつ以外は飲んでやる。今日はそれだけで勘弁しろ」
「む~…………。なら、お願いです」
「何だ」
「シャツ脱いでください」
唐突なセクハラ発言にミケラの背後の月夜が噴き出す。他の三人はポカンとしてしまっている。
だが、ミケラの表情は真剣そのもので、冗談を言っているような雰囲気はない。
「わかった」
グローリアもその言葉に対して何か気にした様子もなく、黒のシャツを脱ぎ捨てる。
出てきたのは、つきすぎではないが、適度に筋肉がついて引き締まった肉体。腹筋はもちろんのことながら六つに割れている。その肉体はよく鍛え上げられていて、日本刀のような鋭さを持っていた。
これはハイボールと呼ばれる交渉方法だ。きっとミケラのことだから狙っているわけではないのだろうが、狙っていないのにそんな交渉術を素で使うミケラは立派な天然悪女の才能があるのかもしれない。
ミケラの背後で何かが噴き出す音がした。それと共に、どうと何かが倒れこむ音も続く。
「月夜さん? 月夜さーん!」
「鼻血」
「これ不味いですよ!? この量だと出血多量によるショック死もあり得ますよ!?」
「わが生涯に一片の悔いもないです……」
「アホなこと言ってる場合ですか! ヘキル、郭さん呼んで来い! 俺たちじゃ、この月夜さんの対処は手に余る」
「わかりました! 今だったら、たぶん厨房にいますよね?」
「たぶんな!」
「こんなに鼻血って出るんだ」
「セキル、テメェはのんきに見てる場合か! 月夜さんの鼻に詰め物でもつめとけ!」
「了解」
ミケラの後ろでは、鼻血を出して倒れた月夜の処置に追われてビルたちが右往左往している。
こういう時に適切な指示を飛ばせるあたり、普段からいろいろなことに気を回しているビルらしい。その指示も概ね適切なものばかりだ。
ヤバい時の対応力では、ビルは《セレーノ》内でも相当に優秀だ。
そんな背後には欠片も意識を飛ばさず、ミケラはグローリアの体を眺めることに集中する。
両手の人差し指と親指を使って、ファインダーのようなものを作って、グローリアの体をレタリングして色々と眺めている。
矯めつ眇めつと少し眺めた後に、幾度か頷き、ミケラはさっきの絵を完成させる。
ミケラとしては納得のいくようなものではなかったようだが、それでも絵に別段おかしいところなどない。眼帯だって、それほど異質な存在感は放っていない。
一般人の感性から言ってしまうと、何が問題なのかは全くわからなかった。
その描きあがった絵を脇に置くと、新しいキャンパスをイーゼルの上に置いた。
「もう一枚良いですか~? パパの裸なんて見る機会滅多にありませんから~」
「……少し恥ずかしいがな」
「え~? ミケラに裸見られて恥ずかしいんですか~?」
「そりゃあな。ミケラだって、テメェに裸見られたら恥ずかしいだろ?」
「? ミケラはパパに裸見られたって恥ずかしくないですよ~? だって、パパですもん~」
「……喜びゃいいのか、慎みを覚えろと叱責するべきなのか。判断がつかんな」
「あはは~。ミケラだって、ビルに裸見られたら恥ずかしいですよ~? パパだけが特別なんですよ~」
「それは、ありがとよ」
上半身裸になるのは別にいいのだが、ミケラが描いている間は手持無沙汰でいけない。
この場から離れるわけにもいかないと言うのは少しばっかり暇だ。
気分が悪いから何もする気が起きなかったさっきとは違って、今はもう気分もそれなりに良くなってきている。
そのせいか、暇を覚え始めてしまった。
久しぶりに本でも読むか。……と言っても、今手元に本はないか。
「月夜……って、大丈夫か?」
「だ、大丈夫れ……ぴゅー」
「ま、また鼻血出した! もうグローリアさんのほう見ないでください」
ミケラの後ろにいるであろう月夜に声をかけると、鼻に綿を詰めていて、少しだけ間抜けな姿になっている……いや、いた。
グローリアのことを見た月夜はまた鼻血を出して仰向けに倒れてしまった。
そんな月夜に本など頼めるはずもない。頼んだとしても、またグローリアを見た瞬間に鼻血を出して本を汚してしまうだろう。
どうしたものか。
そう考えていると、部屋に誰かが入ってきた。
「あら、グローリア様。お久しぶりですね」
入ってきたのは、妖艶な空気を見に纏う女だった。南特有の服である着物と呼ばれる民族衣装に似たものを着ている。と言っても、正しく来ているという訳ではなくて、襟元をはだけさせて肩を出している。胸が無かったら着物がずり落ちてしまっただろうが、豊かな胸のお蔭で着物はずり落ちずに済んでいる。
そんな彼女の姿で特徴的なのは両腕だろう。いや、それは両腕と呼んでもいいのだろうか? 彼女に両腕と呼べるようなものはなく、鳥のような大きな翼となっていた。着物の袖の先からは腕代わりの翼の先だけが見えている。
「本当に久しいな、郭。お前も元気だったか?」
「えぇ。月夜やグローリア様と会えなかったのは寂しかったですが、元気ですよ? ですが、最近は一人寝が寂しくて……。誰かいい殿方がいればいいのですけれど」
そう言いながら、グローリアに流し目を向けてくる。
その仕草は妖艶で、普通の男であれば生唾でも飲み込んだり、鼻の下を伸ばしたりしてしまうような色香があった。
しかし、グローリアは何かを感じた様子はなく、苦笑をうかべている。
郭の言葉に反応したのは月夜だった。
月夜は郭のもとまで移動すると、郭の着物の裾を引っ張って部屋の隅に連れて行く。
「何で郭は旦那様を取ろうとしてるの!?」
「良いじゃない。たまには、あなたの旦那様を貸してよ」
「ダメ! 旦那様は私の旦那様なの! 郭にも上げないんだから!」
「ふふっ。慌てなくても取らないわよ。あなたの大事な旦那様ですものね」
「……むぅ。からかったのね」
「たまに会った時ぐらい良いじゃない。あなたもめっきり私のところに顔を見せてくれないんだから。寂しいのよ?」
「そ、それは……ゴメン」
「悪いと思っているのなら、今夜は付き合ってね?」
「今夜も旦那様と……」
「月夜?」
「……わかった」
郭と月夜は名前からもわかるとおりに同じ南の出身だ。
そのおかげか、二人はとても仲が良い。年齢は郭のほうがいくつか上だったと思うが、対等な友人関係は成り立っているようだ。いつも敬語でしゃべる月夜も郭に対してだけは敬語ではなく、普通に年頃の女の子らしい口調でしゃべれている。
郭にからかわれて赤面したりと、手玉に取られている姿からは、対等な友人関係と言うよりは年の近い姉妹の様だった。
どちらが上かは言うに及ばずだろう。
月夜がグローリアに頭を下げる。
「……旦那様、今夜は郭の下で寝ることとなりました。申し訳ございません……」
「いや、たまには羽を伸ばせ。いつも、テメェのそばにいては気も休まらんだろう」
優しい言葉を掛けられた月夜はついという感じで頭をあげてしまう。
そして、未だ上半身が裸のままのグローリアの姿を視界に入れてしまう。
月夜は鼻の頭が熱を持ったのを感じるが、自分では止めることができない。
また鼻血を出してしまうんだろうなぁ。そんな風に漠然と自分の未来を察していると、郭が月夜の鼻を上から緩く抑えた。
「だーめ。折角、グローリア様が選んでくださった着物を汚さないでね」
郭に言われたので、月夜も流されずに意思の力で鼻血が出そうになるのをねじ伏せる。
鼻の頭の赤熱感は抜けないが何とかなった。
まだ目は開けてしまっているのでグローリアの裸体を拝んでしまっているわけだが、少し鼻の頭が熱くなるだけで止められている。
「……ふぅ」
「はい。えらーいえらーい」
「撫でないで! 私は子供じゃないの!」
「そう言う風に反抗するところが可愛いのよ」
郭のやわらかな毛質の羽根の生えた翼で頭を撫でられる月夜。
反抗するが、郭は頭を撫でるのを止めようとはしない。
郭の撫で方は慈しむ心にあふれているものなので、嬉しかったが、テレから反抗してしまう。郭もそれを解っているから頭を撫でるのを止めないのだ。
誰よりも人の心を読むのが上手い郭は、相手が本当に嫌がっていることを強制したりはしないのだ。
そんな二人をグローリアは遠くの景色を眺めるような心持で眺めていた。
自分の前に、透明な板を一枚挟んでいるかのような感じ。その板は、奥の景色を見せてはくれるのに絶対に届かせないというような拒絶を感じさせる。
実際にはそんな板などないのだと言うことはグローリアにも理解できている。
だが、無いと分かっていても手を伸ばすことはできない。
伸ばしかけた手を途中で引っ込め、その掌を眺める。
グローリアには、自分の手が血で真っ赤に濡れているような気がした。
「……うん! できました~! ……って、パパ~? 何放心しているんですか~?」
「…………ん? あぁ、できたのか。テメェには見せないでくれよ。恥ずかしいから見たくねぇ」
「え~? 上手く描けたんですよ~?」
「上手く描けたかどうかと、テメェが見たいかどうかは別問題だ」
「む~」
立ち上がってから、腰を捻る。
パキパキと言う音が聞こえてきて、凝り固まった腰が上手く動くようになっていく。
体の関節は固まっているようだったが、これから戦闘をする予定もない。別にいいだろう。
シャツを着こみつつ背後の窓から外を見ると、いつの間にか雨は止んでいたようで、窓から室内に陽光が差し込んでいる。
雲も随分と散ったようで、これからまた降り出すことはなさそうだ。
「さて、これからどうしたものか。晴れると思っていなかったからね」
「それならば、リテラエのところに向かうのはいかがでしょうか?」
「リラ?」
「はい。先ほど、ギルドホールで何事かを旦那様に言おうとしていた様子でしたので、時間があるのでしたらそれを聞きに行くのはいかがでしょうか?」
「……ちょうどいいか」
グローリアは月夜の言の通りにリテラエの話を聞くためにギルドホールに向かうことにした。
どうせ、依頼関連だろうなと思いつつ。
「……ミケラ。その絵、私にもくれませんか?」
「え~? 後で複写したのあげるよ~」
「助かります」
タイトルは「鼻血」です
こういうシリアスとコメディのギャップって難しいですよね




