恋愛未来予想図
グレーのイタリア製スーツに身を包む。ワイシャツはパリッとアイロンをかけた白、首元を飾るネクタイはネイビーのストライプ。磨いた革靴はあちこち走り回っているせいか、少しかかとの部分が減りかけている。
そんな俺の姿を見て、ジャージを着た後輩が大笑いした。
「魅上先輩、すっかりその格好が似合うようになったっすね。おっさん、ざまぁ!」
ま、嵐山には窮屈なネクタイなんて似合わないかもな。なんて言葉は置いておいて、拳を軽く前に突き出す。
「おう、元気そうだな。嵐山……久しぶり」
「お久しぶりっす!」
コツンと目の前の男の拳がぶつけられ……俺達は互いの顔を見合わせて笑った。
赤提灯に誘われるように、おでんが美味しいと評判の居酒屋に入る。壁には手書きのメニューが張り出され、カウンターには日本酒の空き瓶が林立している。四角く区切られた鍋には大根やハンペン、ちくわにこんにゃくなどが、ぐつぐつといい音を立てながら揺れていた。
美味そうだ。土産にいくつか買って帰るのも良いかもしれない。
「おやっさん、生中2つ。あ、俺ごぼ天と牛すじね」
カウンターの席に陣取りながら嵐山が注文しはじめたので、俺も付け加えるように中へ向かって注文する。
「じゃあ大根と玉子」
あいよ、と無愛想な親父が中ジョッキにビールを注ぎながら返事した。
3月に入ったのに、今日はまだ寒さが残っている。そのおかげか客も結構いるようだった。
「ね、あそこに座ってる人イケメン」
「どこどこ? うわ、テレビに出てる人かな」
……俺の呪い(ギフト)はまだ解けていない。
嵐山は俺の予想をはるか斜めに裏切って、A学園中等部の教師になった。他の誰が教師になったと聞いても納得できるが、こいつだけは想像だにしなかった。
「俺が何を教えてるか当てられるっすか?」
「体育以外ねーだろ」
「ぶぶーっ。国語っすよ!」
「悪夢だ! 生徒が可哀想だ!」
よく味が染みたちくわを噛み締めながら天井を仰げば、嵐山はそーっすよねと笑った。
「反面教師というか、生徒達に支えられながらやってるって感じっすよ」
「そもそもなんでお前が先生なんだよ」
ビールをぐいっと飲み干した新米教師は、過去を懐かしむような目をする。
「辛いこともあったけど、一番楽しかったのも中学だったから……かな」
そういう意味では俺、まだ中学卒業できてないのかなと付け加える嵐山に、「あー、なんか分かる」と答えたら、大根を半分もっていかれた。
「くくっ。お前くらい肩の力が抜けた奴を見りゃ、生徒も気楽に大人になれそうだ」
「そーっすよね」
大根を頬張りながら嵐山は「サッカーも顧問という立場で続けてるっすよ」と付け加えた。
俺もビールを飲むと、ほんの少しの苦味と炭酸が舌の上ではじける。昔はこの苦味があまり得意ではなかったけれど、今じゃ逆にこの苦味がないと満足できないというのだから、おかしな話だ。
「そういえば、醍醐先輩は今スペインで試合でしたっけ」
「ああ。本当にサッカー選手になっちまうんだもんな。しかも日本代表って、ブレないよな」
醍醐はあれからも地道に練習を重ね、言葉通りサッカーの道へ進んだ。と、言ってしまえば一文で済んでしまうのだが、そこへ至るまでに色々な苦労があったことを知っている。最近は忙しいのか、ほとんど連絡を取れていないが、テレビの中で元気にプレーしているあいつを見れば十分な気もする。
「本当に雲の上の人になっちゃったっすねー」
本当ならコイツもあの舞台に立ってておかしくなかったのに、人生は不思議なものだと思う。でも、何が幸せなのかなんてこと分からないから、曖昧に頷くだけに留めた。
「環はメンテナンスのためにちょくちょく呼ばれているから、メールのやり取りをしているみたいだぞ」
「まじっすか。手が空いたらサッカー部に特別ゲストに来てくれないっすかねー」
こいつのことだから醍醐とサッカーしていたことを大々的に広めているに違いない。……なんて想像したら、中学のときから変わってないなぁなんて思えてしまって、思わず口元が緩んでしまう。
「言うだけなら無料だから、忘れてなけりゃ伝えとく」
「そういう魅上先輩は何やってんすか?」
「あー、俺は……」
俺は工学部にある建築学科へ進んで一級建築士の資格を取った。みんなで建物を作る……そして、それが残るってのは面白そうだという思いつきだった。インテリアデザインのようなお洒落な方面よりも、基礎的な構造系を重点的に学んだのは、それが根底にあったからかもしれない。
「建築家っすか」
「駆け出しだけどな。結構面白いぞ」
実は1人でパソコンに向かって図面を引くイメージだったが、実際にはまったく違った。勿論図面も引けば、模型を作ったり壊したりすることもあるのだが、どちらかというと対人関係の仕事が多いのだ。クライアント(依頼者)の希望を聞きに行ったり、現場との調整や地元住民との話し合い、行政への申請だけでなく、同じ事務所のスタッフともかなり話しこむ。
おまけにクライアントがいるのは日本ばかりと限らない。コンペに参加するため、世界中を飛びまわることも日常だ。ある日パリにいたら、翌日はエジンバラ、そしてその日のうちにニューヨークへ飛ぶこともある。
「へー、忙しいっすね」
「色々建てたぞ。個人住宅から事務所ビル、美術館なんてのもあったな」
「ぶはっ! 魅上先輩に芸術とか似合わさなすぎ」
「笑うなよ。でも、オランダに行くことがあったら見てみろよ。アムステルダム空港から近いから」
「忘れてなけりゃ、ね」
おやっさん、がんもとこんにゃく追加ーと嵐山が声をかけると、すぐに鉢が出てきた。
「嵐山、日本酒飲むか?」
「飲む、飲む。俺、辛口がいいっすね」
メニューの一覧を見ながら二人で1つずつ注文する。
それからも話は尽きず、2時間だけのつもりだったのに、気づけばタクシーじゃないと帰れない時間になっていた。
◇◇◇
「ただいまー」
「あ、おかえりー。随分盛り上がったみたいね」
家の玄関を開けると、丁度風呂上りの環が通りかかったところだった。少々よろける体をなんとか制御しながら、折に詰められたおでんと、なぜか途中で購入していたロールケーキを渡す。
「嵐山元気だったぞー」
ろれつが怪しい俺を見て彼女は嬉しそうに笑った。
「楽しかったみたいね」
ホカホカした手で鞄とジャケットを剥ぎ取られ、そのまま顔を洗ってくるようにと押し出される。
「ん。なんか嬉しくて」
その手ごと包み込むように環を抱きしめた。
俺も環も仕事で海外へ行くことが多いが、日本にいる間はできるだけスケジュールを合わせて一緒に過ごすようにしている。というか最近、日本での仕事をもぎ取れば日本にいられるということを覚えた。デビルスマイルが有効活用できてなによりである。
「環、環」
「なーに?」
「魅上 環さん」
「はい」
自分で呼んでみて照れた。
「環も『みかみん』になったなー」
ふわふわと浮きそうな体で揺れる。あー、俺、今、酔っ払ってる自覚がある。
「なっちゃったね」
「うん。おそろいだ」
はじめて会ったときは、まさか結婚するなんて思ってもみなかった。いや、それ以前に恋愛関係になるなんて、……そもそも俺が恋するなんて思わなかった。
でも、相手が環で良かったと思う。
……離れ離れになってからも想い続けて良かった。
本当に。
それだけは自分を誉めてやりたい。
時々、ふと思うんだ。
『格好わりぃ』
俺、この言葉を何回呟いたかわかんね―けど、
見栄張ったり、
自分を誤魔化したり、
格好良く生きてやろうなんて思っていたら、環とは会えなかっただろうなって。
俺が俺で良かった。
「そういえば、将がフットサルやろうって誘いに来てたよ」
「お、久々に俺の本気を見せるときがきたな!」
不思議……だよな。
将来が見えなくて不安になったことがあるだなんて、今じゃ想像もつかない。
その頃の自分に「心配すんな」と言えるものなら言ってやりたいほど、あの時どうしてあんなに苦しかったのか分からない。
忘れちまってるのかもな。
だとしたら、人間ってのは便利な生き物だ。
――幸せだった記憶はしっかり覚えているのだから。
「あまり気合入れすぎると筋肉痛で動けなくなるわよ」
「なーに言ってんだ。コレでも元A学園司令塔だぜ?」
「へー」
「わっ……笑うなよな」
今この瞬間も、きっと後々まで覚えているに違いない。
そして、そっと思い出しては、泣きたくなるくらい愛しい気持ちを宝物のように抱くのだ。
「――愛してる」
ぎゅっと腕に力を入れる。
シャンプーの香りが鼻をくすぐった。
「私もよ」
……愛してる。
言葉で言うよりも、
ずっと、
ずっと、
深く。
いつまでも。
誰よりも。
「環に出会えてよかった」
好きになって、良かった。
そして、
好きになってくれて、ありがとう。




