↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
モニカ・ハーマン物語~虐げられた伯爵令嬢は、亡き母の秘密と金環眼に導かれて  作者: 紅しょうが


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/76

第9話 夕暮れの帰り道

 昼を過ぎた頃。


 ダンテは屋敷を出た。


 向かった先は、王都の下町。


 昨日、古い使用人の記録を調べていて見つけた女性――マルタのもとだった。


 エリンが生きていた頃から、ハーマン伯爵家に仕えていた侍女。


 十年前に屋敷を去った彼女なら、あの頃のことを知っている。


 そう思った。


* * *


「……旦那様?」


 扉を開けたマルタは、目の前に立つダンテを見て目を見開いた。


「久しぶりだな、マルタ」


「どうして……今さら」


 マルタの表情には、驚きと戸惑いが入り混じっていた。


「聞きたいことがある」


「……モニカお嬢様のことでしょうか」


 ダンテの胸が、ずきりと痛んだ。


「なぜ分かる?」


「旦那様が私を訪ねて来られる理由なんて……」


 マルタは小さく息を吐いた。


「きっと、ようやく気づかれたのだと思いました」


「……」


 ダンテは何も言えなかった。


「エリン様がお亡くなりになってから、屋敷は変わりました」


「どう変わった?」


「エリン様を慕っていた使用人たちは、次々と辞めていきました」


 ダンテは黙って聞いている。


「そして……モニカお嬢様の周りにいる者も変わりました」


「モニカに、何があった?」


 マルタはしばらく黙っていた。


「……どんどん痩せていかれました」


「……」


「食事も、十分ではありませんでした」


 ダンテの手が強く握られる。


「私は何度も、旦那様にお伝えしようと思いました」


「……だが、届かなかった」


「はい」


 マルタは俯いた。


「私は……モニカお嬢様を置いていくことが、とても心配でした」


「なら、なぜ辞めた?」


「……辞めさせられたのです」


 その一言が、ダンテの胸に突き刺さった。


「誰に?」


 マルタは答えなかった。


 ただ、悲しそうに目を伏せる。


「……あの頃の私は、何もできませんでした」


 ダンテは、それ以上問い詰めなかった。


 シルビーの手紙に書かれていたこと。


 そして、マルタの証言。


 どちらも同じ方向を示している。


 十年前。


 自分が見ようとしなかった場所で、何かが起きていた。


「マルタ」


「はい」


「話してくれて、ありがとう」


 ダンテは立ち上がった。


「もう一度、来てもいいか?」


 マルタは驚いたように顔を上げた。


「……もちろんでございます」


 ダンテは小さく頷き、家を出た。


* * *


 屋敷へ戻ったのは、午後四時頃だった。


 玄関を入ったところで、ちょうど別の馬車が止まる。


「ただいま戻りましたわ」


 クラリッサだった。


 今日は子爵家の茶会に出ていたらしい。


「あら、あなた。もうお帰りになっていたの?」


 クラリッサはダンテの顔をろくに見ないまま、侍女に荷物を渡した。


「今日は少し疲れましたわ。着替えて参ります」


 そう言うと、そそくさと自室へ向かっていく。


「……」


 ダンテは、その背中を黙って見送った。


 クラリッサは気づいていない。


 自分が茶会へ出ている間に、ダンテが何を知ったのか。


 何を調べ始めたのか。


 ローレンスも、何も言わない。


 ダンテから固く口止めされているからだ。


 クラリッサの姿が見えなくなると、ダンテは時計へ目を向けた。


「……四時か」


 そして、ふと気づいた。


「……モニカは?」


 近くにいた使用人が答える。


「まだお戻りではございません」


「……まだ?」


 ダンテは眉を寄せた。


「学園からの馬車は?」


 使用人が戸惑う。


「……馬車、でございますか?」


「モニカの迎えだ」


「……」


 答えられない。


「御者を呼べ」


「はい!」


 ほどなくして、御者の一人がやってきた。


「旦那様、お呼びでしょうか」


「モニカの送迎について聞きたい」


「はい」


「今日、迎えには行ったのか?」


「……いいえ」


「なぜだ?」


 御者は困ったように答えた。


「モニカお嬢様のお迎えには……もう何年も上がっておりません」


「……何年も?」


「はい」


 別の御者にも確認した。


 答えは同じだった。


「私も、ここ数年はお迎えしておりません」


 ダンテは言葉を失った。


「では……」


 早朝に見た光景が、脳裏に浮かぶ。


 小さな身体。


 両手いっぱいに抱えた茹で芋。


 そして、自分に気づくことなく歩いていた少女。


「……モニカは、毎日歩いて学園へ?」


 誰も答えられない。


 だが、その沈黙が答えだった。


 伯爵家の令嬢が。


 十五歳の少女が。


 毎日、王立学園まで歩いて通っている。


「……」


 ダンテは窓の外を見た。


 夕暮れには、まだ少し早い。


 けれど――。


「……帰ってくるはずだ」


 なぜか、胸騒ぎがした。


* * *


 その頃。


 王立学園を終えたモニカは、一人で王都の街を歩いていた。


 いつもの帰り道。


 もちろん、馬車ではない。


 歩き慣れた道を、今日も自分の足で帰っていく。


 少し疲れてはいた。


 それでも、モニカの顔には笑顔が浮かんでいる。


「こんにちは!」


 パン屋の前を通れば、


「モニカちゃん、今日もお疲れさん」


 店主が笑って手を振る。


「はい!」


 モニカも嬉しそうに手を振り返す。


 食堂の前を通れば、女将さんが店先から声をかけてくれる。


「モニカちゃん!」


「女将さん!」


「今日も気をつけて帰るんだよ」


「ありがとうございます!」


 モニカは笑顔で頭を下げる。


 屋敷では、誰も自分の帰りを待っていない。


 けれど――。


 街には、声をかけてくれる人がいる。


 それだけで、モニカは少し嬉しかった。


 その時だった。


 街を走っていた一台の馬車が、ゆっくりと速度を落とした。


 馬車の中から、少年が街を眺めている。


 王立学園の留学生。


 グランディア帝国の皇子――アダム・フォン・グランディア。


 学園を終えた後、王都の様子を知るため、護衛を伴って街を視察していた。


 その時。


「……ん?」


 アダムの目に、一人の少女が映った。


 見覚えのある姿。


「……モニカ?」


 昼間、中庭で出会った少女だった。


 アダムは思わず窓の外を見る。


 モニカは街の人々に笑顔で挨拶をしながら、一人で歩いている。


「……こんな時間に、何をしている?」


 アダムは時計を見る。


 もう夕方だ。


「馬車を止めてくれ」


「殿下?」


「いいから」


 馬車がゆっくりと止まる。


「モニカ!」


「……え?」


 呼ばれて振り返ったモニカは、目を丸くした。


「アダム殿下?」


「君、今から帰るのか?」


「はい」


「屋敷までは?」


「歩いて帰ります」


「……歩いて?」


「はい。いつもそうしていますから」


 あまりにも自然に答えるモニカ。


 アダムは黙った。


 昨日


 地面に落ちたパンを食べようとしていた少女。


 そして今。


 夕方になっても、一人で歩いて帰ろうとしている。


 伯爵令嬢なのに。


「……君は、いつも一人なのか?」


「はい」


 モニカは少し首を傾げた。


「慣れていますから」


 アダムは、静かに息を吐いた。


 聡い彼には、それだけで十分だった。


 これは「本人が望んで徒歩で帰っている」のではない。


 きっと――。


 そうするしかないのだ。


「……ならば、今日は僕が送ろう」


「えっ?」


 モニカは慌てて首を横に振った。


「いえ、大丈夫です!」


「大丈夫には見えない」


「でも……」


「屋敷の中まで送るつもりはない」


 アダムは穏やかに言った。


「近くまでだ。それなら問題ないだろう?」


「……」


 モニカは困ったようにアダムを見る。


「でも、殿下にそんなことをしていただくなんて……」


「僕がそうしたいんだ」


 優しい笑顔だった。


「……では、お言葉に甘えてもいいでしょうか」


「ああ」


 モニカは小さく微笑んだ。


「ありがとうございます」


 アダムは馬車の扉を開けた。


 モニカは何度も遠慮しながらも、断りきれずに馬車へ乗り込んだ。


 夕暮れの王都を、馬車がゆっくりと進んでいく。


 しばらくすると、モニカが窓の外を見ながら言った。


「街の皆さん、とても優しいんです」


「そうなのか?」


「はい。パン屋さんも、食堂の女将さんも……いつも声をかけてくださいます」


 モニカは嬉しそうに笑った。


「私、街を歩くのが好きなんです」


「……そうか」


 アダムは笑顔を返した。


 だが、その胸には別の疑問が残っていた。


 伯爵令嬢が。


 なぜ、こんなにも街の人々に支えられているのか。


 そして――。


 なぜ、家からは誰も迎えに来ないのか。


 やがて、ハーマン伯爵家の屋敷が見えてきた。


「ここで大丈夫です」


「本当に?」


「はい。ここからなら一人で帰れます」


 モニカは馬車を降りると、深く頭を下げた。


「送ってくださって、ありがとうございました」


「気をつけて帰れ」


「はい!」


 モニカは笑顔で答えると、屋敷へ向かって歩き出した。


 アダムは馬車の窓から、その小さな背中を見つめていた。


「……やはり、おかしい」


 馬車はゆっくりと走り去る。


 一方――。


 ハーマン伯爵家では。


 ダンテが、まだ帰らぬ娘を待っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。