第70話 学園祭と新しい眼鏡
翌朝。
朝食を終えたモニカが席を立とうとすると、ダンテが声を掛けた。
「モニカ」
「はい、お父様?」
振り返ったモニカに、ダンテは穏やかに尋ねた。
「昨日、リリア嬢には話せたのか?」
モニカは少し驚いたように目を瞬かせ、それから小さく笑った。
「はい。お母様のことを……話しました」
「そうか」
ダンテも安心したように頷いた。
「リリア嬢は、何と言っていた?」
「驚いていました。でも……『モニカはモニカでしょう』って」
「そうか」
ダンテの表情が柔らかくなる。
「良い友人だな」
「はい。私も……そう思います」
モニカは嬉しそうに笑った。
以前なら、父親に学校の友人の話をすることさえなかった。
けれど今は違う。
こうして自然に話せることが、モニカには嬉しかった。
「それと、もう一つ話がある」
「はい?」
ダンテは少し真剣な顔になる。
「学園祭のことだ」
「学園祭……」
モニカは思い出したように頷いた。
「もうすぐですね」
「ああ。学園祭には、普段より多くの人が学園へ来るそうだな」
「はい。生徒の家族や、街の方も来ると聞いています」
「ならば、念のためこれを使いなさい」
ダンテが机の上に置いたのは、小さな眼鏡だった。
「……眼鏡?」
モニカは不思議そうに手に取った。
「普通の眼鏡だ。特別なものではない」
「どうして……?」
「学園祭では人が多い。普段よりも、お前の顔を見る者も増えるだろう」
ダンテはモニカの瞳を見る。
「金環眼を知られる危険は、できるだけ減らした方がいい」
「……はい」
モニカは眼鏡を見つめた。
「掛けてみてもいいですか?」
「もちろんだ」
モニカは眼鏡を掛ける。
少し戸惑いながら、近くの鏡を覗き込んだ。
「……どうでしょう?」
ダンテは娘を見つめた。
「よく似合っているぞ」
「……本当ですか?」
「ああ」
モニカは鏡の中の自分をもう一度見た。
眼鏡を掛けただけなのに、少しだけ雰囲気が変わった気がする。
「なんだか……いつもの自分じゃないみたいです」
「そうか?」
「はい」
モニカは眼鏡の位置を直す。
「でも……これなら安心して学園祭に行けそうです」
その言葉に、ダンテはほっとしたように微笑んだ。
「そうだな」
そして少し間を置いてから尋ねる。
「モニカ」
「はい?」
「学園祭……楽しみか?」
モニカは一瞬、きょとんとした。
それから、ゆっくりと笑った。
「……はい」
その答えを聞いたダンテの胸に、温かなものが込み上げる。
かつてのモニカは、楽しみを口にすることすらなかった。
ただ毎日を生きることだけで精一杯だった。
そんな娘が今、
「楽しみ」
と言っている。
それだけで、ダンテには十分だった。
「それなら、思い切り楽しんでおいで」
「はい、お父様!」
モニカは嬉しそうに返事をした。
そして眼鏡を掛けたまま、もう一度鏡を見る。
「……リリア、何て言うかしら」
その呟きに、ダンテは思わず笑った。
「きっと、似合っていると言うだろう」
「ふふ……そうですね」
モニカも笑った。
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学園へ到着すると、校門の前にはいつも以上に生徒たちが集まっていた。
学園祭まで、あと数日。
校舎のあちこちには飾り付けが施され、廊下からは楽しそうな声が聞こえてくる。
「モニカ!」
聞き慣れた声がした。
振り返ると、リリアがこちらへ駆けてくる。
そしてモニカの姿を見た瞬間、足を止めた。
「……え?」
「リリア?」
リリアはモニカをじっと見つめる。
「その眼鏡……!」
モニカは少し恥ずかしそうに眼鏡に触れた。
「お父様が用意してくださったの」
「すごく似合ってる!」
リリアの顔がぱっと明るくなる。
「本当に?」
「うん! なんだかいつもより大人っぽい!」
「そうかしら……」
「うんうん。素敵!」
モニカは頬を少し赤くした。
「ありがとう」
「これなら学園祭も安心だね」
その言葉に、モニカは頷いた。
「うん」
二人は並んで校舎へ向かう。
「今日は何の準備からするんだっけ?」
「私たちのクラスは、教室の飾り付けよ」
「じゃあ、早く行こう!」
「ふふ。リリア、張り切ってるわね」
「だって学園祭だよ? 楽しみじゃない!」
その言葉を聞きながら、モニカも笑った。
――楽しみ。
父にも同じことを聞かれた。
以前の自分なら、そんなふうに答えられただろうか。
家で一人で過ごしていた頃には、考えたこともなかった。
友達と一緒に準備をして。
笑って。
学園祭の日を待つ。
それは、モニカにとって初めての経験だった。
教室へ入ると、すでに何人もの生徒が準備を始めていた。
「モニカ、こっち手伝って!」
「はい!」
モニカは返事をして、リリアと一緒に飾り付けを始める。
色紙を切り、壁に飾りを付ける。
少し高い場所には手が届かず、背伸びをするモニカ。
「モニカ、危ないよ!」
「大丈夫……!」
「もう、無理しないの!」
リリアが笑いながら代わってくれる。
「ありがとう」
「どういたしまして!」
そんな何気ないやり取りが、楽しかった。
ふと、窓の外を見る。
青い空。
校庭では、別のクラスの生徒たちも準備をしている。
モニカは眼鏡越しにその景色を眺めた。
そして、そっと微笑む。
母が亡くなってから十年。
ずっと一人だと思っていた。
けれど今は――。
隣には父がいる。
そして、親友もいる。
まだ知らないことはたくさんある。
母の故郷。
グランディア帝国の歴史。
金環眼の秘密。
自分自身の未来。
それでも今は、そのすべてを急いで知る必要はない気がした。
「モニカ!」
「え?」
「ぼーっとしてるよ!」
「ご、ごめんなさい!」
リリアの声に、モニカは慌てて振り返る。
「ほら、ここ。もう少し飾り付けよう!」
「うん!」
モニカは笑って、リリアの隣へ戻った。
学園祭まで、あと数日。




