第62話 帰還の馬車の中で
グランディア帝国へ戻る馬車の中。
アデライードは、窓の外を流れていく景色をぼんやりと眺めていた。
けれど、目に映っているのは景色ではない。
先ほどまで過ごしていた、マクホランド王国のハーマン伯爵家。
そして――
一人の少女の姿だった。
濃い茶色の髪。
穏やかな表情。
どこかエヴァンジェリンを思わせる顔立ち。
十五歳になったばかりの少女。
モニカ・ハーマン。
「……モニカ」
無意識に、その名を口にする。
初めて会った孫。
本来なら、もっと早く出会えていたはずの少女。
けれど、自分は今日までその存在すら知らなかった。
アデライードは、そっと目を閉じた。
すると、先ほどの光景が鮮明に蘇る。
緊張した面持ちで部屋へ入ってきたモニカ。
隣国とはいえ、皇子であるアダムに丁寧に挨拶をしていた。
そして、自分の前に立った少女。
最初は緊張していた。
けれど、時間が経つにつれて少しずつ表情が柔らかくなっていった。
最後には、ほんの少し嬉しそうな顔をしていた。
泣かなかった。
それが、アデライードには少し意外だった。
自分なら、母親の母親だと知った人間を目の前にしたら、もっと複雑な感情を抑えられなかったかもしれない。
けれどモニカは違った。
明るく、穏やかで、優しい。
その姿に、アデライードは亡き娘の面影を見ていた。
「……本当に、エヴァに似ているわ」
顔立ちは驚くほどよく似ている。
けれど、髪はエヴァンジェリンとは違う濃い茶色だった。
その色を見ていると、ハーマン伯爵の姿が浮かぶ。
「……あの子は、ハーマン伯爵の娘でもあるのね」
そう呟いたアデライードの口元に、ほんの少しだけ笑みが浮かんだ。
エヴァンジェリンが愛した人。
そして、その人との間に生まれた娘。
モニカ。
自分の知らない場所で、エヴァンジェリンには確かに幸せな時間があった。
その事実を知れたことが、今は嬉しかった。
けれど――
胸の奥には、消えることのない痛みも残っている。
「……もっと早く、知ることができていたら」
呟きは、誰にも届かない。
もしエヴァンジェリンが生きていると知っていたら。
もしモニカという孫がいると、もっと早く知っていたら。
自分は何かできたのだろうか。
そんな考えが浮かぶ。
けれど、すぐに首を横に振った。
今さら過去を変えることはできない。
それでも――
今日、モニカに会えた。
それだけは変わらない。
「……あの子は、ちゃんと笑っていたわ」
アデライードは、小さく微笑んだ。
エヴァンジェリンが亡くなってから十年。
その十年間、モニカがどんな環境で生きてきたのか。
詳しいことを、アデライードはまだすべて知らない。
けれど、ダンテの話を聞いて分かったことがある。
エヴァンジェリンが亡くなった後も、ハーマン伯爵は娘を大切に思い続けていた。
二人が共に過ごした七年間。
その時間は、確かに幸せだったのだ。
それを知ることができただけでも、アデライードにとって大きな救いだった。
向かいの席では、アダムが静かに座っている。
いつもなら何か話しかけてくる息子だが、今日は珍しく口数が少ない。
アデライードは、そんな孫の顔を見つめた。
「アダム」
「はい」
すぐに返事が返ってくる。
「……今日は、ありがとう」
「何のことですか?」
「私を一人で帰さず、一緒に来てくれたでしょう?」
アダムは少しだけ笑った。
「当然です。皇太后様を一人で帰すわけにはいきません」
「そう……」
アデライードも微笑む。
けれど、二人の間には、まだ言葉にしていないことがあった。
モニカの瞳。
あの金色の輪。
アデライードは、そっと目を伏せる。
「……アダム」
「はい」
「モニカのことだけれど」
アダムの表情が少しだけ変わった。
「はい」
「帝国に戻ったら、まず陛下に話しましょう」
「……そうですね」
二人の間に、短い沈黙が落ちた。
アデライードは窓の外へ視線を戻す。
遠くに、帝国へ続く街道が伸びている。
その先には、皇帝ルドルフがいる。
エヴァンジェリンの兄。
そして、モニカにとっては伯父にあたる人物。
「……ルドルフにも、知らなければならないことがあるわ」
アデライードの声は静かだった。
けれど、その言葉には強い決意が込められていた。
アダムも頷く。
「はい。父上には、僕からもきちんと報告します」
馬車はゆっくりと帝国へ向かって進んでいく。
二人の胸の中には、それぞれ同じ少女の姿があった。
十五歳の少女。
亡きエヴァンジェリンの娘。
そして――
皇族の血を受け継ぐ者として、その瞳に現れた金色の輪。
その意味を、まだ誰も知らない。
ただ一つ確かなのは――
長い間、途絶えていたはずの金環眼が。
今、再び現れたということだった。




