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モニカ・ハーマン物語~虐げられた伯爵令嬢は、亡き母の秘密と金環眼に導かれて  作者: 紅しょうが


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第61話 初めての祖母


 グランディア帝国から戻ったアダムとともに、アデライード皇太后がハーマン伯爵家を訪れていた。


 応接室へ向かう廊下を歩きながら、モニカは小さく息を吐いた。


「……緊張します」


 隣を歩くダンテが、娘を見る。


「そうか」


「だって……グランディア帝国の皇太后様ですから」


 モニカは少し困ったように笑った。


 そんな娘を見て、ダンテは穏やかに言う。


「無理に何か話そうとしなくていい。いつも通りのお前でいればいい」


「はい、お父様」


 モニカは頷いた。


 以前なら、こういう場に立つだけで不安になっていただろう。


 けれど今は違う。


 自分には、守ってくれる父がいる。


 そのことが、モニカにとって何より心強かった。


 やがて応接室の扉が開く。


 中にはアダムと、その隣にアデライード皇太后が立っていた。


 モニカは一瞬だけ足を止めた。


 ――この方が、お母様のお母様。


 自分にとって、初めて会う祖母だった。


 モニカは緊張しながらも、一歩前へ進み、丁寧にカーテシーをする。


「初めまして、皇太后陛下。モニカ・ハーマンと申します」


 その瞬間だった。


 アデライードの目が、大きく見開かれた。


 濃い茶色の髪。


 それはエヴァとは違う。


 けれど――。


 顔立ちが、あまりにも娘に似ていた。


 目元。


 鼻筋。


 そして、少し緊張しながらも相手を真っ直ぐ見つめる、その表情。


 まるで、幼い頃のエヴァンジェリンを見ているようだった。


「……」


 アデライードは言葉を失った。


 そして、ゆっくりと目に涙を浮かべる。


「……皇太后様?」


 モニカが戸惑ったように声をかける。


 アデライードは慌てて涙を拭った。


「ごめんなさい……」


 それでも声は震えていた。


「あなたを見ていたら……娘を思い出してしまって」


 モニカはアデライードを見つめた。


 悲しそうなのに、どこか嬉しそうな瞳。


 その表情を見ていると、不思議と怖くはなかった。


「……お母様に、似ていますか?」


 モニカが尋ねる。


「ええ……」


 アデライードは静かに頷いた。


「とてもよく似ています」


 モニカは少し照れたように笑った。


「そうですか……」


 その笑顔を見て、アデライードの目から再び涙がこぼれた。


 モニカはどうしていいのか分からず、少しだけダンテを見る。


 ダンテは何も言わず、ただ優しく頷いた。


 モニカも小さく頷き返す。


 しばらくして、アデライードはダンテへ視線を向けた。


「……伯爵」


「はい」


「エヴァは……」


 アデライードは言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。


「こちらで……幸せだったのでしょうか」


 ダンテは静かに息を吐いた。


 そして、迷うことなく答えた。


「はい」


 その返事には、少しの迷いもなかった。


「エリンは、私と出会ってから幸せでした」


 アデライードが静かにダンテを見つめる。


「私がエリンと出会ったのは、エンターナル国でした」


「エンターナル国……」


「私は商談のために、あの国を訪れていました。その時に、エリンと出会ったのです」


 ダンテの脳裏に、あの日の記憶が蘇る。


 初めてエリンと出会った時。


 言葉を交わした時。


 そして、一緒にマクホランド王国へ向かった日のこと。


「その後、私たちは二人でマクホランド王国へ戻りました」


 アデライードは黙って聞いている。


「そこから、私たちの生活が始まりました」


 ダンテは少しだけ微笑んだ。


「エリンと過ごした時間は……七年ほどです」


 その言葉とともに、ダンテの中に様々な思い出が蘇る。


 何気ない会話。


 一緒に食事をした日。


 笑い合った日。


 そして、モニカが生まれた日のこと。


「七年間は、私にとってかけがえのない時間でした」


 アデライードの頬を、また涙が伝う。


「エヴァも……幸せだったのでしょうか」


「はい」


 ダンテは、はっきりと答えた。


「少なくとも私は、そう信じています」


 少しだけ間を置いて、ダンテは続けた。


「エリンは、よく笑っていました」


 モニカは黙って父の話を聞いていた。


 自分が知っている母の記憶は、ほんのわずかだ。


 母に抱きしめてもらったこと。


 優しく名前を呼ばれたこと。


 一緒に過ごした短い時間。


 それくらいしか、はっきりとは覚えていない。


 けれど――。


 父には、こんなにもたくさんの母との思い出がある。


「モニカが生まれてからは、特に幸せそうでした」


 ダンテが娘を見る。


「エリンは、お前のことを本当に大切にしていた」


 モニカは静かに父を見つめた。


 そして、ふと思う。


 ――お父様は、お母様が亡くなってから十年間……ずっと、この思い出を抱えていたんだ。


 自分は今まで、自分自身の辛さばかりを見ていた。


 母を失った悲しみを、父も抱えていたこと。


 そのことを、モニカは初めて知った。


「……お父様」


「どうした?」


「お母様のこと……ずっと覚えていたんですね」


 ダンテは少しだけ目を細める。


「忘れられるはずがないだろう」


 その言葉を聞いて、モニカの胸が温かくなった。


「……お母様は、幸せだったんですね」


「ああ」


 ダンテは頷いた。


「私も、幸せだった」


 モニカは父の手に、そっと自分の手を重ねた。


「……ありがとうございます」


「何がだ?」


「お母様を、大切にしてくれていて」


 ダンテは一瞬だけ目を見開き、それから優しく微笑んだ。


「こちらこそ、ありがとう」


 その二人を見つめながら、アデライードは静かに涙を拭った。


 自分が知らなかった娘の人生。


 エヴァンジェリンが帝国を離れた後、エンターナル国でダンテと出会ったこと。


 そして二人でマクホランド王国へ行き、そこで七年間を過ごしたこと。


 娘には、自分の知らない幸せな時間があった。


「……エヴァは、幸せだったのですね」


 アデライードが呟く。


「はい」


 ダンテは迷いなく答えた。


「幸せでした」


 その言葉を聞いて、アデライードは目を閉じた。


 長い間、胸の奥に抱えていた問い。


 娘は、あの後どう生きたのか。


 幸せだったのか。


 その答えを、ようやく知ることができた。


 やがて、アデライードはモニカを見る。


「モニカさん」


「はい」


「……あなたに会えて、本当に嬉しいです」


 モニカは少しだけ緊張した表情を残しながらも、柔らかく微笑んだ。


「私も……嬉しいです」


 初めて会った祖母。


 まだ少し緊張する。


 けれど、アデライードが自分を見つめる瞳からは、温かな気持ちが伝わってくる。


 それが、モニカには嬉しかった。


「……また、お母様のお話を聞かせていただけますか?」


 アデライードは涙を拭いながら、微笑んだ。


「もちろんです」


 モニカも嬉しそうに笑った。


 そして――。


 ほんの少しだけ迷ったあと、モニカはアデライードを見つめた。


「……お祖母様」


 その一言に、アデライードの瞳が大きく揺れる。


 頬を涙が伝った。


 けれどモニカは泣かなかった。


 ただ、嬉しそうに微笑んでいた。


 今日、モニカは初めて祖母に出会った。


 そして同時に、母を失ってからの十年間――。


 父がどれほど母を大切に想い続けてきたのかも知った。


 母の記憶は、モニカの中には少ない。


 けれど、父が覚えている母の姿を聞くことで、その存在は少しずつ鮮やかになっていく。


 そしてアデライードもまた知った。


 自分の知らない場所で、娘には幸せな七年間があったことを。


 その七年間から生まれた少女が――今、目の前にいる。


 モニカ・ハーマン。


 エヴァンジェリンの娘。


 そして、自分の孫。


 こうして三人の想いは、少しずつ繋がり始めた。

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