第58話 もう一つの真実
皇太后宮。
静かな部屋の中で、アデライードは目の前に座る孫――アダムを見つめていた。
長い年月、胸の奥にしまい続けてきた記憶。
今こそ、話さなければならない。
「アダム……」
「はい」
「エヴァンジェリンのことを、どこまで聞いているのです?」
アダムは、これまでにダンテから聞いたことを伝えた。
エンターナル国でエヴァンジェリンと出会ったこと。
その後、二人でマクホランド王国へ向かい、結婚したこと。
そして――十年前に亡くなったこと。
「……そうですか」
アデライードは静かに目を伏せた。
エヴァンジェリンの名を聞くだけで、今でも胸が痛む。
「では、私から話しましょう」
アデライードはゆっくりと息を吐いた。
「エヴァに……金環眼が現れたのです」
アダムの表情が変わる。
「金環眼……」
「ええ」
アデライードは頷いた。
「皇族には、十五歳から十六歳の間に金環眼が現れることがあります」
「誰に現れるのかは、分からない……」
「そうです」
アデライードは静かに続けた。
「生まれた時から分かっているものではありません。皇族であっても、現れる者もいれば、現れない者もいます」
「叔母上には現れた」
「ええ」
アデライードは頷いた。
「そして、ルドルフには現れませんでした」
アダムは黙って祖母を見つめる。
アデライードは膝の上で手を握りしめた。
「だから私は……怖くなったのです」
「怖く……?」
「エヴァが、皇位継承争いに巻き込まれてしまうのではないかと」
その声には、当時の苦悩が滲んでいた。
「私は、あの子を政治の道具にしたくありませんでした」
アデライードは目を伏せる。
「皇位を巡る争いから、エヴァを遠ざけたかったのです」
「それで、エンターナル国へ?」
アダムが尋ねる。
「ええ」
アデライードは頷いた。
「私はエンターナル国の出身です。あの国なら、エヴァを守ってくれると思いました」
アダムは、少し考えてから尋ねた。
「叔母上には、その理由を説明したのですか?」
アデライードは首を横に振った。
「いいえ」
「なぜです?」
「詳しく話せば、エヴァは帝国を離れることを拒むと思ったからです」
アデライードは苦しそうに微笑んだ。
「だから私は、あの子にこう言いました」
一度、言葉を止める。
「『少し遠くへ行きましょう』と」
それだけだった。
なぜ帝国を離れるのか。
なぜエンターナル国へ行くのか。
金環眼が何を意味するのか。
エヴァンジェリンは、何も知らされていなかった。
「エンターナル国へ着いた後、エヴァは御者の隙をついて逃げ出しました」
「……逃げたのですか?」
「ええ」
アデライードは小さく頷いた。
「何も知らされず、知らない国へ連れて行かれたのですもの。自分が誘拐されたと思ったのでしょう」
その瞬間、アデライードの瞳に涙が浮かんだ。
「私は……あの子を守りたかった」
一筋の涙が頬を伝う。
「けれど、あの子には……それが分からなかったのでしょうね」
アダムは何も言えなかった。
自分を守るためだったと知らないまま、エヴァンジェリンは逃げた。
そして、その後の人生を帝国とは遠く離れた場所で生きることになった。
「その後、帝国ではどうしたのですか?」
アダムが尋ねる。
「皇帝には、私がしたことをすべて話しました」
アデライードは涙を拭った。
「エヴァをエンターナル国へ送ったこと。そして、そこで消息が分からなくなったことも」
「帝国は、叔母上を探したのですね」
「ええ」
アデライードは頷く。
「追っていたのではありません。探していたのです」
けれど、見つけることはできなかった。
エヴァンジェリンは、自分が帝国に探されていることさえ知らなかった。
その後、エンターナル国でダンテと出会い、マクホランド王国へ向かった。
そして――エリン・ハーマンとして生きた。
「私は……あの子がどこで、どんなふうに生きているのか、何も知りませんでした」
アデライードの声が震える。
「ただ、いつか見つかると……そう思っていたのです」
アダムは黙って聞いていた。
「そして今になって、叔母上が生きていたことを知った」
「……ええ」
「でも……もう十年前に亡くなっている」
アデライードは目を閉じた。
頬を、また涙が伝う。
「……生きていてくれたのね」
小さな声だった。
「エヴァ……ちゃんと生きていたのね」
悲しみの中に、ほんの少しの安堵が混じっていた。
「そして……娘もいた」
「はい」
アダムが答える。
「モニカ・ハーマン嬢です」
「モニカ……」
アデライードは、その名前をゆっくりと口にした。
「エヴァの娘……」
涙を拭いながら、ほんの少しだけ微笑む。
「あの子が……母親になっていたのね」
「はい」
「幸せに暮らしていたのでしょうか……」
「それは……」
アダムは言葉を選んだ。
モニカがハーマン伯爵家でどのような扱いを受けてきたのか。
それを、帝国側はまだ知らない。
「叔母上は、娘を残してくれました」
アダムは静かに答えた。
「……そう」
アデライードは目を伏せた。
「それなら……よかった」
静かな声だった。
「エヴァに、娘がいてくれたのなら……」
しばらく、部屋には沈黙が流れた。
アデライードは何度も涙を拭った。
そして、ようやく顔を上げる。
「アダム」
「はい」
「私は……エヴァを守りたかったのです」
「……はい」
「それが正しかったのか、今でも分かりません」
アダムは、祖母の苦しそうな表情を見つめた。
「祖母上」
「……何です?」
「一つ、私からもお伝えしなければならないことがあります」
アデライードが顔を上げる。
「モニカについてです」
「モニカ……?」
アダムは一度、深く息を吸った。
ここまで話を聞いた今、もう隠しておくことはできない。
「モニカ嬢にも……金環眼が現れています」
「…………」
アデライードの表情が止まった。
「……今、何と?」
「モニカ嬢の瞳に、金色の輪が現れました」
アダムは、祖母の目を真っ直ぐに見つめた。
「私は、この目で確認しています」
アデライードは言葉を失った。
やがて、震える手を口元に添える。
「……エヴァの娘に……?」
「はい」
「モニカに……金環眼が……」
アデライードの瞳から、再び涙がこぼれ落ちた。
エヴァンジェリンに現れた金環眼。
そして、その娘であるモニカにも現れた金環眼。
長い年月を隔てて――。
二人の運命が、再び一つの線で繋がった瞬間だった。




