第57話 祖母への報告
皇帝執務室。
ルドルフは、目の前に座るアダムをじっと見つめていた。
「お前が聞いた話を、もう一度最初から詳しく聞かせてくれ」
「はい」
アダムは頷いた。
そして、ハーマン伯爵から聞いたことを一つずつ語り始めた。
エリン・ハーマン。
彼女がエンターナル国でハーマン伯爵と出会ったこと。
その後、二人でマクホランド王国へ向かい、結婚したこと。
そして――。
「エリン・ハーマンは、エンターナル国にいた頃、かなり怯えていたそうです」
「……怯えていた?」
「はい。何かに怯えているようだったと」
ルドルフの表情が曇る。
「何に?」
「それは、ハーマン伯爵にも分からなかったそうです」
「……そうか」
ルドルフは目を伏せた。
妹がエンターナル国で何かに怯えていた。
だが、その理由を誰も知らない。
「エリンは……自分がエヴァンジェリンだと、伯爵に話していたのか?」
「いいえ」
「では、なぜ伯爵は……」
「エリン本人からではありません」
アダムは静かに答えた。
「伯爵が知ったのは、ずっと後のことです」
「……」
ルドルフは黙り込んだ。
妹は、自分の正体を隠して生きていた。
なぜなのか。
何があったのか。
まだ分からない。
「そして……」
アダムが続ける。
「エリンは、十年前に亡くなっています」
ルドルフは小さく息を吐いた。
「……そうか」
何度聞いても、その事実は重かった。
生きていた。
けれど、もう会えない。
「娘は……モニカ嬢は?」
「現在、王立学園へ通っています」
「そうか……」
ルドルフは目を閉じた。
妹の娘。
自分にとっては姪にあたる少女。
どんな顔をしているのだろう。
どんな人生を送っているのだろう。
知らないことばかりだった。
「父上」
「ああ」
「私は、祖母上に話を聞くべきだと思います」
ルドルフは顔を上げた。
「……そうだな」
「エヴァンジェリン皇女殿下が帝国を離れた理由を知っているのは、祖母上しかいないかもしれません」
「……母上なら」
ルドルフは静かに呟いた。
「何か知っているだろう」
◇◇◇
その日の午後。
アダムは皇太后宮を訪れていた。
「アデライード様にお取り次ぎを」
侍女が中へ入り、しばらくすると戻ってきた。
「どうぞ、お入りください」
扉が開く。
「祖母上」
「アダム……?」
アデライードは、突然訪ねてきた孫を見て少し驚いた。
「どうしたのです? 学園は……」
「少し、お話があります」
アダムの真剣な表情を見た瞬間。
アデライードの胸に、嫌な予感が走った。
「……何かあったのですか?」
「はい」
アダムは、ゆっくりと口を開いた。
「エヴァンジェリン叔母上のことです」
「…………」
その名前を聞いた瞬間。
アデライードの表情が固まった。
「エヴァ……」
長い年月、口にすることさえ避けていた名前。
それを孫の口から聞くとは思わなかった。
「なぜ……今、その名前を?」
「私は、叔母上がマクホランド王国で生きていたことを知りました」
「……」
アデライードの瞳が揺れる。
「エリン・ハーマンという名で」
「…………エリン」
その名前を聞いた瞬間。
アデライードの目に、涙が浮かんだ。
「エヴァは……」
声が震える。
「生きていたの……?」
「はい」
アダムは静かに答えた。
「ですが――」
そこで一度、言葉を止める。
「十年前に亡くなっています」
「…………」
アデライードは目を閉じた。
一筋の涙が頬を伝う。
「……そう」
小さな声だった。
「そうなのね……」
涙を拭おうとする。
けれど、次から次へと溢れてくる。
「エヴァ……」
アデライードの脳裏に、最後に見た娘の姿が蘇った。
あの日。
自分は娘に言った。
――少し遠くへ行きましょう。
それが、娘との最後になるとも知らずに。
「……生きていたのね」
震える声で呟く。
「ちゃんと……生きていたのね……」
その言葉には、安堵が滲んでいた。
けれど同時に。
もう二度と会えないという現実が、胸を締めつける。
「祖母上……」
「ごめんなさい……」
アデライードの口から、思わず言葉が漏れた。
「……あの子に、会えなかった」
アダムは黙っていた。
何を言えばいいのか分からなかった。
「エヴァは……どんな人生を?」
「ハーマン伯爵と結婚し、娘を一人もうけています」
「……娘」
「モニカ・ハーマン嬢です」
アデライードは涙を拭った。
「モニカ……」
知らない名前。
けれど、その少女はエヴァンジェリンの娘。
「……あの子に、娘が……」
アデライードは、ほんの少しだけ微笑んだ。
涙に濡れたその顔には、嬉しさと悲しさが入り混じっていた。
「エヴァは……幸せだったのでしょうか」
アダムは答える前に、少しだけ間を置いた。
「少なくとも、ハーマン伯爵はエリンを大切にしていたようです」
「……そう」
アデライードの目から、また涙が零れた。
「それなら……よかった」
小さく呟く。
「本当に……よかった」
しばらく、静かな時間が流れた。
やがてアダムが尋ねる。
「祖母上」
「……何です?」
「叔母上は、なぜ帝国を離れたのですか?」
アデライードの動きが止まった。
「……」
「そして、なぜエンターナル国へ?」
アデライードは答えなかった。
ただ、膝の上で両手を強く握りしめる。
「叔母上は、エンターナル国でかなり怯えていたそうです」
「……」
アデライードの瞳が揺れた。
その言葉を聞いた瞬間。
あの日のことが、鮮明に蘇る。
娘の目。
怯えた表情。
そして――。
自分が娘を送り出した、あの日。
「……あの子は」
アデライードの声が震えた。
「……怖かったのね」
また、涙が頬を伝う。
アダムは何も言わず、祖母を見つめていた。
「祖母上……」
しばらくして、アデライードは涙を拭った。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「アダム」
「はい」
「あなたに……話さなければならないことがあります」
アデライードの瞳には、深い悲しみと決意が宿っていた。
長い間、胸の奥に閉じ込めていた真実。
それを今――。
孫に伝える時が来たのだった。




