第54話 ハーマン伯爵の覚悟
翌日。
ハーマン伯爵邸。
応接室では、ダンテが一人の客を待っていた。
昨日、突然届いたアダムからの面会の申し出。
理由は記されていなかった。
ただ――。
嫌な予感だけが消えなかった。
「失礼いたします。アダム殿下がお見えになりました」
「お通ししてくれ」
扉が開く。
アダムが一人で入ってきた。
「突然の訪問をお許しください、ハーマン伯爵」
「いえ。殿下のお申し出ですから」
二人は向かい合って座る。
しばらくの沈黙。
先に口を開いたのはアダムだった。
「単刀直入にお聞きします」
「……はい」
「モニカ嬢の母君――エリン・ハーマン夫人についてです」
ダンテの表情が僅かに強張った。
「エリン夫人のことを調べていました」
「……そうですか」
「マクホランド王国の記録には、夫人の出身に関する記録がほとんどありませんでした」
ダンテは黙っている。
「ですが、帝国側の記録を調べることで、一人の皇女に行き着きました」
アダムは、ゆっくりと言葉を続けた。
「十五歳で行方不明になった皇女――」
一瞬、空気が止まる。
「エヴァンジェリン・フォン・グランディア」
ダンテの瞳が揺れた。
その反応を、アダムは見逃さなかった。
「……やはり」
ダンテは小さく息を吐いた。
もう隠し通すことはできない。
いや――。
隠す必要もないのかもしれない。
アダムは、モニカの金環眼を見ている。
エヴァンジェリン皇女の肖像画も見ている。
ここまで辿り着いたのなら、いずれ真実を知ることになる。
「……殿下のおっしゃる通りです」
ダンテは静かに答えた。
「エリン・ハーマンは――」
一度言葉を切る。
「エヴァンジェリン・フォン・グランディア皇女殿下です」
アダムは黙ってその言葉を受け止めた。
やはり、そうだった。
予想していた答え。
それでも、実際に本人の口から聞くと重みが違う。
「エンターナル国で……エリンと出会ったのですか?」
「はい」
ダンテは頷いた。
「私は商談のため、エンターナル国を訪れていました。その時に、エリンと出会ったのです」
「その時、エリンは……皇女だったのですか?」
「いいえ」
ダンテは首を横に振った。
「私が出会った時の彼女は、ただ一人の怯えた少女でした」
「怯えていた……?」
「はい」
ダンテの脳裏に、あの日のエリンの姿が蘇る。
道の片隅で、途方に暮れていた少女。
何かから逃げるように。
何かに怯えるように。
それでも、自分のことを何も話そうとはしなかった。
「何に怯えていたのかは、最後まで詳しく話してくれませんでした」
「……そうですか」
「私は無理に聞きませんでした」
ダンテは静かに続ける。
「ただ、彼女を一人にしてはいけないと思った」
そして二人は、マクホランド王国へ向かった。
やがて結婚し、モニカが生まれた。
「私が知っているのは、これだけです」
ダンテはアダムを見つめた。
「エリンがなぜエンターナル国にいたのか。誰から逃げていたのか。なぜ皇女という身分を捨てたのか――それについて、私は詳しいことを知りません」
「……分かりました」
アダムはしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「では、モニカ嬢が皇女の血を引いていることは……」
「知っています」
即答だった。
「ですが――」
ダンテの声が低くなる。
「私は、モニカを政治の道具にするつもりはありません」
アダムが顔を上げる。
「皇女の娘だからといって、あの子の人生を誰かに決めさせるつもりもありません」
ダンテの目には、父親としての強い決意が宿っていた。
「モニカは、モニカです」
「……」
「私は父親として、あの子が普通に生きられる人生を守りたい」
しばしの沈黙。
「必要なら――」
ダンテは真っ直ぐにアダムを見る。
「私は自分の人生を懸けても、モニカを守ります」
アダムは何も言わなかった。
ただ、ダンテの言葉を静かに受け止めていた。
やがて、アダムは小さく息を吐く。
「……安心しました」
「え?」
「あなたがモニカ嬢を守ろうとしていることは、分かりました」
アダムは立ち上がった。
「私は、モニカ嬢を帝国へ連れて行くために来たわけではありません」
ダンテが驚いたように顔を上げる。
「ただ……」
アダムは少しだけ視線を伏せた。
「祖母には、会わせてあげたいのです」
「……祖母?」
ダンテの表情が変わる。
アダムは静かに頷いた。
「アデライード・フォン・グランディア」
その名を聞いた瞬間――。
ダンテの脳裏に、エリンの過去が蘇った。
エンターナル国。
怯えていたエリン。
そして――。
まだモニカには話していない、もう一つの真実。
ダンテは、ゆっくりと目を閉じた。




