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モニカ・ハーマン物語~虐げられた伯爵令嬢は、亡き母の秘密と金環眼に導かれて  作者: 紅しょうが


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第5話 父が見たもの

まだ空が白み始めたばかりの早朝。


 ハーマン伯爵家は、静まり返っていた。


 使用人たちも、クラリッサも、アリシアもまだ眠っている時間だ。


 ダンテ・ハーマンは喉の渇きを覚え、目を覚ました。


「……水がないな」


 枕元を見る。


 本来なら、寝室には水差しとグラスが用意されている。


 だが、今日は何もなかった。


 最近、こういうことが増えた。


 使用人を呼べばいい。


 けれど、こんな早朝に呼びつけるのも面倒だった。


「自分で行くか……」


 ダンテは寝室を出た。


 廊下を歩いていると――。


 廊下の角から、小さな人影が現れた。


「……?」


 ダンテは足を止める。


 まだ薄暗い廊下。


 その人影は、両手に何かを抱えていた。


 よく見ると、小さな茹で芋だった。


 いくつかの芋を、落とさないように両手で大切そうに抱えている。


 ダンテは最初、幼い使用人の子供かと思った。


 しかし――。


 近づいてきた顔を見て、息を呑んだ。


「……モニカ?」


 娘だった。


 間違いない。


 けれど――。


「……」


 ダンテは言葉を失った。


 モニカは十五歳。


 王立学園に通う年齢だ。


 それなのに、あまりにも小さく見えた。


 細い腕。


 華奢な身体。


 艶のない髪。


 顔色も良くない。


「……十五歳、だよな?」


 思わず呟く。


 モニカはダンテに気づかない。


 そのまま廊下を歩いていく。


 そして、小さな声で呟いた。


「今日は食べるものがあったわ」


 ダンテの足が止まった。


「……食べるもの?」


 モニカは知らない。


 背後から父親が見ていることを。


「これだけあれば、学園に行く前に食べられるわね」


 嬉しそうな声だった。


 ダンテは眉を寄せる。


 十五歳の娘が、早朝に厨房へ行き、茹でた芋を自分で持ってきている。


 しかも――。


「食べるものがあった……?」


 その言葉が頭から離れない。


 昨日、夕食の席にモニカがいなかった。


 だからダンテは、


「モニカは?」


とクラリッサに聞いた。


 クラリッサは、


『今日は部屋で召し上がるそうですわ』


と答えた。


 ダンテは、それを疑わなかった。


 だが――。


「……おかしい」


 初めて、そう思った。


     *


 執務室へ戻ったダンテは、机の前に座った。


 しかし、仕事を始める気にはなれなかった。


 頭の中に、先ほどのモニカの姿が浮かぶ。


 細い身体。


 小さな背中。


 そして、両手いっぱいに抱えた茹で芋。


「……私は、何を見ていた?」


 十年前。


 エリンが亡くなった。


 妻を失った悲しみで、ダンテは仕事に没頭した。


 屋敷のことは使用人たちに任せていた。


 モニカのことも。


「……モニカには、乳母がいたはずだ」


 ふと思い出す。


 エリンが生きていた頃。


 いつもモニカのそばにいた女性。


 乳母であり、専属侍女でもあった。


「……シルビー」


 名前が口からこぼれた。


「シルビーは……どうした?」


 ダンテは立ち上がった。


 使用人の記録を取り出す。


 古い記録を一つずつ確認していく。


 十年前。


 九年前。


 八年前――。


「……」


 エリンが亡くなった後、屋敷を去った使用人が多い。


 侍女。


 庭師。


 料理人。


 そして――。


「シルビー……」


 記録には、


モニカ付き乳母兼専属侍女


と記されていた。


 退職時期は、エリンが亡くなった直後。


「なぜだ?」


 ダンテは眉を寄せる。


 さらに記録を調べる。


 すると、シルビーだけではない。


 エリンが生前から信頼していた使用人たちが、次々と屋敷を去っている。


「……こんなに?」


 十年間。


 自分は何も知らなかった。


「一体、何があった?」


 その時だった。


 ダンテの目が、机の奥の引き出しに止まった。


「……?」


 何気なく引き出しを開ける。


 そこには、一通の古びた封筒が入っていた。


 宛名には――。


『旦那様へ』


 ダンテは封筒を手に取った。


「これは……」


 筆跡に見覚えがある。


「……シルビー?」


 胸の奥に、嫌な予感が走った。


 しかし、ダンテはまだ封を切らなかった。


 まず、自分の目で確かめたいことがあった。


 モニカのことを。


     *


 ダンテは執務室を出た。


 向かったのは二階。


 娘の部屋を探すためだった。


 だが――。


 ある扉の前で、ダンテは足を止めた。


 そこは、アリシアの部屋だった。


 扉を開ける。


「お父様!」


 アリシアが嬉しそうに振り返った。


 ダンテは答えず、部屋を見回した。


 可愛らしい家具。


 綺麗なカーテン。


 本棚には何冊もの本。


 ドレスも何着も並んでいる。


 そして、部屋の隅にはアリシア付きの侍女がいた。


 ダンテは、その侍女を見る。


「……この部屋は?」


「はい?」


「ここは、以前モニカの部屋ではなかったか?」


 侍女は一瞬、戸惑った。


 だが、すぐに答える。


「私がこちらへ配属された時には、すでにアリシアお嬢様のお部屋でした」


「……そうか」


 ダンテは侍女を見つめる。


「お前は、ここへ来て長いな」


「はい。もうすぐ十年になります」


「……何?」


 ダンテの表情が変わった。


「十年だと?」


「はい」


 侍女は不思議そうに頷く。


 ダンテは、ゆっくりと部屋を見回した。


 十年前。


 エリンが亡くなった頃。


 そして――。


 モニカの乳母であるシルビーが辞めた頃。


 すべてが重なる。


「……では」


 ダンテの声が低くなる。


「モニカの部屋は、どこだ?」


 誰も答えない。


 ダンテはもう一度、屋敷の中を見渡した。


 自分の娘。


 十五歳になるモニカ。


 その娘が、今どこで暮らしているのか。


 父親である自分は――。


知らなかった。


 ダンテの胸に、初めて強い不安が込み上げてきた。


「……モニカの部屋は、どこだ?」


 静かな屋敷に、ダンテの声だけが響いた。

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