第4話 クラリッサ・フォーン
ハーマン伯爵家。
モニカが自室で、アダムからもらったサンドイッチを食べている頃。
クラリッサは自分の部屋で鏡の前に座っていた。
鏡に映る自分の姿を、じっと見つめる。
「……私は、ハーマン伯爵夫人」
そう呟き、胸を張る。
自分はこの屋敷の主の妻。
そうであるはずだった。
けれど――。
今日届いた手紙を思い出すと、クラリッサの眉間に皺が寄った。
伯爵家の茶会への招待状。
……ではない。
子爵家よりも下位の貴族から届いた、ささやかな茶会への招待状だった。
「どうして……」
クラリッサは手紙を握りしめる。
自分はハーマン伯爵夫人なのだ。
本来なら、伯爵家や侯爵家、公爵家から招待されてもおかしくない。
それなのに――。
伯爵以上の家から、招待状が届くことはない。
自分から招待状を送っても、返ってくるのは決まっている。
『申し訳ございませんが、当日は予定がございまして』
『また別の機会に――』
丁寧な言葉。
けれど、その意味をクラリッサは知っている。
――あなたを伯爵夫人とは認めていません。
「……私を馬鹿にしているのね」
クラリッサは唇を噛んだ。
それでも、下位貴族の茶会へ行けば違う。
「まあ、ハーマン伯爵夫人!」
そう呼ばれる。
その瞬間だけは、胸を張っていられる。
「ええ。ハーマン伯爵夫人ですわ」
そう答える。
それが、クラリッサにとって唯一の慰めだった。
けれど、本当は分かっている。
自分は正式なハーマン伯爵夫人ではない。
ダンテとは婚姻していない。
籍も入っていない。
ダンテ本人から「妻だ」と公に認められたこともない。
それでも――。
クラリッサは、この屋敷にいる。
かつては、ダンテの婚約者だった。
そう。
クラリッサとダンテは、もともと婚約していた。
誰もが、このまま結婚すると思っていた。
ところが――。
ダンテがエリンと出会った。
そして、ダンテはクラリッサとの婚約を破棄した。
原因を作ったのは、ダンテ。
つまり、婚約破棄の責任はダンテにあった。
それでも、クラリッサの心に残ったのは屈辱だった。
自分ではなく、エリンを選んだ。
その事実が、何年経っても消えない。
そしてエリンが亡くなった。
クラリッサは悲しみに暮れるダンテのそばに寄り添った。
「お辛いでしょう……」
優しい言葉をかけた。
慰めるように、そっと寄り添った。
そして――。
気がつけば、クラリッサはハーマン伯爵家に住み着いていた。
ダンテも追い出そうとはしなかった。
それどころか、何も言わなかった。
だからクラリッサは、自分に都合のいいように考えた。
――私は、ここにいていい。
――私は、この家の女主人なのだ。
けれど、この家には一人だけ。
どうしても消すことのできない存在がいた。
モニカ。
エリンの娘。
正式なハーマン伯爵家の令嬢。
クラリッサがどれだけ「伯爵夫人」と名乗っても、モニカは本物の令嬢だった。
「……あの子さえいなければ」
クラリッサの口から、低い声が漏れた。
モニカがいる限り、自分は正式な伯爵夫人にはなれない。
モニカがいる限り、エリンの存在を思い知らされる。
クラリッサは鏡の中の自分を見る。
「私は……ハーマン伯爵夫人よ」
もう一度、言い聞かせる。
誰かに認めてもらうためではない。
自分自身に言い聞かせるために。
その時、部屋の扉がノックされた。
「お母さま?」
アリシアの声だった。
「入りなさい」
扉が開く。
アリシアが顔を出した。
「お母さま、このドレスに合う髪飾りが欲しいわ買ってくれる?」
「ええ。もちろんよ」
クラリッサは笑顔を作った。
「あなたはハーマン伯爵家の令嬢なのですもの」
「うん!」
アリシアは嬉しそうに笑う。
その笑顔を見ながら、クラリッサも微笑んだ。
――この子こそ、この家に相応しい。
そう思いながら。
クラリッサは、鏡の中の自分をもう一度見つめた。
そして、小さく呟く。
「私は……ハーマン伯爵夫人なのよ」
その言葉だけが、静かな部屋に残った。




