第3話 誰も待っていない家
王立学園を出たモニカは、いつものように歩いていた。
屋敷までの道のりは長い。
昼間はまだ明るかった街も、少しずつ夕暮れに染まっていく。
そして――。
屋敷が見えてきた頃には、空はすっかり暗くなっていた。
「……遅くなっちゃったわ」
モニカは小さく呟いた。
本来なら、伯爵令嬢がこの時間まで一人で歩いて帰ることなどない。
けれど、モニカには迎えの馬車が来ることはない。
今日も一人だった。
屋敷の門をくぐる。
「ただいま戻りました」
返事はない。
モニカは少しだけ周囲を見回した。
けれど、誰も迎えには来ない。
それも、いつものことだった。
モニカはそのまま自分の部屋へ向かった。
その頃――。
ハーマン伯爵家の食堂では、ダンテ・ハーマンとクラリッサ、そしてアリシアが夕食を取っていた。
ダンテは食事をしながら、片手で書類をめくっている。
ふと、ダンテが空いている席に目をやった。
「……モニカは?」
クラリッサが何でもないことのように答える。
「今日は部屋で召し上がるそうですわ」
「そうか」
ダンテはそれ以上、何も聞かなかった。
モニカが本当に帰宅しているのか。
食事をしたのか。
確認することもしなかった。
クラリッサは何事もなかったように食事を続ける。
「お姉さまは、本当にわがままですもの」
隣で食事をしていたアリシアが口を開いた。
「そうね」
クラリッサが微笑む。
「ドレスも欲しいと言っていたでしょう?」
「ああ」
ダンテは書類から目を離さずに答えた。
「そうか。必要なら執事に言ってくれ」
「ええ」
クラリッサはにっこりと笑った。
けれど――。
モニカのためのドレスが用意されることはない。
新しい本が買われることもない。
必要なものを頼んでも、いつの間にか話は消えてしまう。
それが、この家では当たり前になっていた。
エリンが生きていた頃から仕えていた使用人は、もう誰一人として残っていない。
今、この屋敷にいる使用人は、すべてクラリッサが連れてきた者たちだった。
だからモニカには、味方がいない。
食事さえ、毎日用意されるわけではなかった。
死なない程度。
それだけ。
けれど、ダンテはその事実を知らない。
モニカがきちんと食事を取っていると思っている。
モニカが普通に暮らしていると思っている。
そして今日も――。
誰も、モニカがいつ帰ってきたのか気にしていなかった。
モニカは自分の部屋へ戻った。
小さな机の上に鞄を置く。
「……」
少しだけ迷ってから、鞄の中を覗く。
そこに、大切に包まれたものがあった。
「……これ」
今日、アダムからもらったサンドイッチ。
モニカはそっと取り出した。
屋敷に帰れば夕食があると思っていた。
けれど――。
食堂から自分の名前を呼ぶ声はなかった。
だから、これは今日のモニカにとって大切な食事だった。
「皇子殿下……ありがとうございました」
誰もいない部屋で、モニカは小さく呟いた。
そして、サンドイッチを一口食べる。
「……美味しい」
思わず笑顔になった。
パンの間に挟まれた具材は、特別珍しいものではない。
けれど、モニカにはご馳走だった。
ゆっくりと、一口ずつ大切に食べる。
今日、初めてまともな食事をした気がした。
「明日も……学園に行かなくちゃ」
モニカはそう呟いて、空になった包みを大切に畳んだ。
明日もまた、朝早く起きる。
誰にも見送られず。
誰にも迎えられず。
それでもモニカは、王立学園へ向かう。
それが、モニカ・ハーマンの日常だった。




