第2話 王立学園の中庭
王立学園。
昼休みの中庭には、たくさんの生徒たちが集まっていた。
木陰に置かれたベンチに、モニカは一人で座っている。
手にしているのは、今朝、街の食堂の女将さんからもらったパン。
「いただきます」
小さく呟いて、モニカはパンを一口かじった。
朝から何も食べていなかった身体に、パンの素朴な味が染みていく。
「……美味しい」
自然と頬が緩んだ。
ゆっくり、ゆっくりと食べる。
少しでも長く、この幸せな時間を味わっていたかった。
半分ほど食べたところで、モニカはパンを手の中に残した。
「午後も頑張らなくちゃ」
その時だった。
中庭の入口が、にわかに騒がしくなった。
「まあ、いらっしゃったわ!」
「皇子殿下よ!」
「アダム殿下!」
何人もの令嬢たちが、嬉しそうな声を上げる。
その中心にいたのは、一人の少年だった。
整った顔立ち。
落ち着いた物腰。
そして、周囲の令嬢たちとは明らかに違う気品。
彼の名は――
アダム・フォン・グランディア。
グランディア帝国の皇子。
王立学園へ留学してきたばかりの皇族だった。
「殿下、こちらの庭園は王都でも有名なんですの」
「よろしければ、私がご案内いたしますわ」
令嬢たちはアダムを取り囲み、次々と話しかける。
アダムは穏やかに応じながら歩いていた。
そのため、少し離れたベンチに一人で座っているモニカには気づいていない。
モニカも、皇子の周囲が騒がしくなったことをちらりと見ただけだった。
「……皇子殿下なのね」
けれど、それ以上の興味はない。
モニカは再び手元のパンへ視線を戻した。
その時――。
「きゃっ!」
一人の令嬢が、モニカの横を通り過ぎる。
次の瞬間。
ドンッ。
「……!」
カバンをぶつけられた。
モニカの手からパンが落ちる。
コロコロ……。
パンは地面を転がり、そのままアダムたちの方へ向かっていった。
「あ……」
モニカは慌てて立ち上がる。
そして、転がったパンを見つめた。
地面に落ちたパン。
砂が少し付いている。
モニカはしばらく黙っていた。
やがて、小さな声で呟く。
「……まだ、食べられるかしら?」
その声は、誰にも聞こえないほど小さかった。
けれど――。
「……」
アダムだけが、足を止めた。
聞こえた。
確かに聞こえた。
周囲の令嬢たちは、誰一人として反応していない。
「……今の声は?」
アダムが振り返る。
そこにいたのは、一人の少女。
細い身体。
艶のない髪。
サイズが合ってない制服。
そして、地面に落ちたパンを見つめている。
「……」
モニカはしゃがみ込み、パンへ手を伸ばした。
「待て」
「え?」
突然声をかけられ、モニカが顔を上げる。
目の前に立っていたのは、先ほどまで令嬢たちに囲まれていた少年だった。
「それを食べるつもりか?」
モニカは少し困ったように笑う。
「……はい」
「地面に落ちたものだぞ」
「でも……」
モニカはパンを見る。
「今日の食事なんです」
「……何?」
アダムの表情が変わった。
「今日の……食事?」
「はい」
モニカは小さく頷いた。
「今朝、食堂の女将さんがくださったんです。とても美味しいパンだったのに……」
残念そうにパンを見る。
その言葉に、アダムは言葉を失った。
皇子である自分にとって、食事とは当然用意されるもの。
それを――。
この少女は、一つのパンを昼食にしている。
「……君は」
アダムは改めて少女を見る。
「名前は?」
「モニカです」
「モニカ……?」
「モニカ・ハーマンです」
「!」
周囲にいた令嬢の一人が、慌てて口を挟んだ。
「殿下、この方はハーマン伯爵家のご令嬢ですわ」
「ハーマン伯爵家……?」
アダムは目の前の少女を見つめる。
伯爵令嬢。
それなのに、昼食はパン一つ。
しかも、地面に落ちたパンまで食べようとしている。
「……君が?」
思わず、そんな言葉が漏れた。
モニカは少し首を傾げる。
「はい」
アダムは何も言えなかった。
その時、彼は気づいた。
「……そういえば」
名前に聞き覚えが有る。
「君……僕と同じクラスでは?」
「え?」
モニカも驚いたようにアダムを見る。
「そうだったんですね」
あまりにもあっさりした返事。
周囲の令嬢たちは、目を丸くしている。
帝国の皇子と同じクラス。
普通なら、もっと驚くはずだ。
けれどモニカは、落ちたパンを見つめたままだった。
「……パン」
小さく呟く。
アダムはその声を聞き逃さなかった。
「新しいものを用意させよう」
「え?」
「そのパンは食べない方がいい」
モニカは目を丸くした。
「でも……」
「大丈夫だ」
アダムはそう言って、初めてモニカに向かって微笑んだ。
「昼食くらい、ちゃんと食べろ」
その日。
モニカ・ハーマンとアダム・フォン・グランディア。
二人の運命が、初めて交わった。




