第44話 母としての後悔 ―アデライードSide―
グランディア帝国。
皇宮の一室で、一人の女性が窓辺に立っていた。
アデライード・フォン・グランディア。
かつて皇妃として皇宮に暮らしていた彼女は、今は静かな部屋で一人、古い肖像画を見つめていた。
そこに描かれているのは、まだ幼い少女。
長い髪。
優しい瞳。
そして、どこか気の強そうな表情。
「……エヴァ」
アデライードは、そっと名前を呼んだ。
もう何度、この肖像画を見つめただろう。
けれど、何年経っても忘れることはできなかった。
あの日のことも――。
◇◇◇
エリンが十五歳になった頃。
アデライードは、娘の瞳に変化が現れたことに気づいた。
金色の輪。
金環眼。
それを見た瞬間、アデライードは言葉を失った。
古くから皇族に伝わる、皇位継承者の証。
金環眼を持つ者が皇帝となれば、帝国は大きく発展する。
だが――。
それは同時に、皇族の中に大きな争いを生む可能性もあった。
エリンには兄がいる。
その兄には、金環眼が現れていない。
このまま帝国内でエリンの瞳が知られれば、皇位継承を巡る問題が起こる。
アデライードは悩み続けた。
そして、決断した。
エリンを守るために。
まだ誰にも知られていないうちに、皇妃である自分の故郷――エンターナル国へ送る。
誘拐されたように見せれば、帝国内で余計な疑いを持たれることもない。
エンターナル国では、事情を知る者たちがエリンを守る。
そう考えていた。
けれど――。
エリンには、その計画を何も伝えなかった。
だから娘は、自分が本当に誘拐されたのだと思った。
そして逃げ出した。
それを知った時、アデライードは崩れ落ちた。
「エヴァ……」
守るつもりだった。
なのに。
自分の手で娘を傷つけてしまった。
アデライードは皇帝にもすべてを打ち明けた。
エリンの瞳に金環眼が現れたこと。
自分の判断でエンターナル国へ送ったこと。
そして、エリンが逃亡して行方不明になったこと。
皇帝も驚き、すぐに捜索を命じた。
だが――。
エリンは見つからなかった。
月日だけが過ぎていった。
◇◇◇
現在。
アデライードは肖像画にそっと手を伸ばした。
「私は……間違っていたのでしょうか」
あの時、別の方法があったのではないか。
もっと娘を信じて、すべてを話していれば。
そうすれば、エリンは逃げなかったのではないか。
何度考えても、答えは出ない。
皇帝だった夫は、もうこの世にはいない。
皇宮も、以前とは違う。
けれどアデライードの中では、十五歳の娘を送り出したあの日が、今も終わっていなかった。
「エヴァ……あなたは、今どこにいるの?」
返事が返ってくることはない。
それでも、アデライードは願っていた。
どこかで幸せに暮らしていてほしい。
誰かに愛されていてほしい。
そして――。
自分を恨んでいたとしても、生きていてほしい。
ただ、それだけだった。
アデライードは肖像画を胸に抱くようにして、静かに目を閉じた。
「ごめんなさい……エヴァ」
その声は、誰もいない部屋に消えていった。
アデライードは知らない。
娘がエンターナル国を逃げ出した後、街の
片隅で途方に暮れていたことを。
そして、その場所を商談のために訪れて
いた一人の男――ダンテ・ハーマンと出会った
ことを。
その出会いが、エリンをマクホランド王国
へ導いたことを。
そこで二人が結ばれ、娘が一人の女の子を産
んだことを。
そして――。
その娘が五歳になった頃、病に倒れ、この世を去ったことを。
アデライードが今も待ち続けている娘は、もうこの世にはいない。
けれど。
エリンが残したものは、確かに生きている。
その存在を、アデライードはまだ知らなかった。




