第32話 エリンの日記 ③
モニカは、日記の続きを開いた。
執務室には、モニカとダンテの二人だけ。
静かな部屋の中で、モニカはエリンが残した文字を一文字ずつ追っていく。
『私はエンターナル国で、しばらく身を隠した。
誰も信じられなかった。
自分を連れ去った人たちも。
母も。
皇宮も。
何もかもが怖かった。
そんなある日、私は一枚の新聞を拾った。』
モニカはページをめくった。
『新聞には、グランディア帝国の記事が載っていた。
私は最初、何気なく目を通しただけだった。
けれど、ある言葉が目に入った。
――金の輪。
私は、その言葉から目を離せなくなった。』
「金の輪……」
モニカが小さく呟く。
ダンテも黙って日記を見つめている。
『記事には、こう書かれていた。
グランディア帝国では、古くから金色の輪を持つ瞳の者が皇帝となった時、帝国は大きく繁栄すると伝えられている。
皇位を継ぐ資格を持つ者には、成長すると瞳の中に金色の輪が現れる。
それは皇族の血を引いているだけでは得られない、特別な証。
そして、二代続けて金の輪を持つ皇帝は現れていない。
現在の皇帝にも、その金色の輪はない。
次代を担う皇太子に、その証が現れるのか。
帝国中が、その行方に注目している――。
そんな内容だった。』
モニカは息を呑んだ。
「……二代も、金の輪を持つ皇帝が現れていなかったんですね」
「ああ」
ダンテが静かに答える。
「それだけ、金の輪を持つ者が特別だということだろう」
モニカは頷き、再び日記へ目を落とした。
『記事の隣には、皇族の写真が載っていた。
皇帝。
皇妃。
兄。
そして――私。
私は、その写真を見つめた。
懐かしかった。
もう二度と戻れないと思っていた場所。
もう二度と会えないと思っていた家族。
その姿が、そこにあった。
私は新聞を畳もうとした。
その時だった。
ふと、自分の瞳のことを思い出した。
母が私の瞳を見つめていたこと。
あの日の母の表情。
そして、金の輪という言葉。
私は、鏡を探した。
鏡を見つけると、窓から差し込む光の下へ移動した。
そして、自分の瞳を覗き込んだ。
そこで、私は初めて気づいた。
虹彩の内側に――。
細い金色の輪が浮かんでいた。』
「……」
モニカは言葉を失った。
ダンテも、日記から目を離さない。
「お母様は……ここで初めて、自分の瞳に金の輪があることを知ったんですね」
「ああ」
ダンテが頷いた。
『私は、鏡の中の自分を見つめた。
そして、母の言葉を思い出した。
「エヴァ(エリン)……あなたの瞳を、よく見せて」
あの時、母はすでに気づいていたのだ。
私の瞳に、金の輪が現れたことを。
だから、あんなにも動揺していた。
私は、今まで起きたことを一つずつ思い返した。
突然変わった侍女たち。
増えた護衛。
母の様子。
そして、何も知らされないまま連れ出されたこと。
私は、ようやく一つの答えにたどり着いた。
――私は、この金の輪を持っていたから帝国から出されたのではないだろうか。』
モニカは顔を上げた。
「……だから、お母様はエンターナル国へ送られたのかもしれない」
「そう考えるのが自然だな」
ダンテも頷く。
モニカは再び日記へ目を落とした。
『もし、この金の輪が本当に皇位を継ぐ者の証なら。
私が帝国に戻れば、何か大きな問題が起きるかもしれない。
兄には、金の輪がない。
けれど、私にはある。
私は皇族の血を引く者。
そして、金の輪を持つ者。
もし、このことが帝国内に知られたら……。
兄と私。
どちらが皇帝になるのだろう。
私は、そんなことを考えたくなかった。
兄と争いたいわけではない。
皇帝になりたいわけでもない。
ただ、私は家族と普通に暮らしたかった。
それなのに、私の瞳に現れた金色の輪が、すべてを変えてしまったのだ。』
モニカは胸の奥が締め付けられるような気持ちになった。
「お母様……」
小さく呟く。
エリンは、自分の存在が家族や帝国にどんな影響を与えるのか、まだ分からない。
ただ、自分の瞳に現れた金色の輪が、普通の皇女にはない意味を持つことだけは理解した。
『私は、新聞をもう一度見た。
そこに写っている家族を見つめた。
父。
母。
兄。
そして、私。
私は、この写真を捨てることができなかった。
だから、皇族が勢揃いしている写真の部分だけを切り取った。
そして、その裏に自分の名前を書いた。
エヴァンジェリン・フォン・グランディア。
いつか誰かがこの写真を見た時、この少女が誰なのか分かるように。
私は、その小さな写真を大切にしまった。』
モニカはページをめくる。
『帝国を出る時、私は一つだけ、自分の物を持って出ていた。
母が幼い頃の私に贈ってくれた、小さなオルゴール。
他の荷物は、ほとんど持たされなかった。
けれど、このオルゴールだけは手放したくなかった。
だから私は、それだけを抱えて帝国を出た。
今も私の手元にある。
私は、切り取った写真をオルゴールの中へ隠すことにした。
ここなら、誰にも簡単には見つからないだろう。
私はオルゴールを閉じた。
そして、写真に写る家族の顔を思い出した。
もう一度、みんなに会いたい。
そう思った。
けれど――。
私は、どうすればいいのか分からなかった。』
モニカは、そこでページをめくる手を止めた。
「……」
ダンテも何も言わない。
エリンは、自分がなぜエンターナル国へ送られたのか、その理由に気づいた。
けれど――。
それを知ったところで、エリンには帰る場所がなかった。
帝国へ戻れば何が起きるのか。
自分が戻ることで、家族に何が起きるのか。
何も分からない。
ただ、手元に残った小さなオルゴールだけを抱えて、異国の街で途方に暮れていた。
モニカは、そっと日記を閉じかけた。
けれど、まだ続きがある。
その先には――。
エンターナル国で一人になったエリンが、ある人物と出会った時のことが記されていた。




