第31話 エリンの日記 ②
モニカは、ページをめくった。
『あの日から、母の様子はますます変わっていった。
私の周りにいる侍女が入れ替わり、以前は自由に行けた場所にも、なぜか護衛がつくようになった。
何度母に聞いても、母は何も教えてくれなかった。
「心配しなくても大丈夫よ」
そう言って、私の頭を撫でるだけだった。
けれど、その笑顔はどこか悲しそうだった。』
モニカはページをめくる。
『そして、ある日のこと。
母が私の部屋へやって来た。
いつものように微笑んでいたけれど、その顔は少し青ざめていた。
「エヴァ(エリン)。少し遠くへ行ってみない?」
「遠く?」
「ええ。しばらくの間だけ」
私は驚いた。
皇宮の外へ出ることはあっても、帝国の外へ行くなど考えたこともなかった。
「どこへ行くの?」
母は少し黙ってから答えた。
「エンターナル国よ」
母の故郷。
私は以前から、その国の話を母から聞いていた。
けれど、なぜ突然そんな話をするのか分からなかった。』
モニカは顔を上げた。
「エンターナル国……」
「皇妃の故郷だったんだな」
ダンテが静かに呟く。
モニカは頷き、再び日記へ目を落とした。
『私は母に尋ねた。
「どうして?」
すると母は、少し困ったように笑った。
「あなたのためよ」
「私のため……?」
「ええ」
それ以上、母は何も言わなかった。
私は納得できなかった。
けれど、その翌日から、何かがおかしくなった。』
モニカの指が止まる。
ダンテも黙って続きを待っている。
『その日の夜。
私は部屋にいるよう命じられていた。
けれど、夜遅くになって突然、侍女が部屋へ入ってきた。
「エヴァンジェリン(エリン)様。こちらへ」
「どこへ行くの?」
「分かりません。私たちも詳しいことは知らされておりません」
侍女の顔は強張っていた。
私は不安になった。
そして、皇宮の外へ連れ出された。
用意されていた馬車には、見知らぬ者たちが乗っていた。
母の姿はなかった。
「お母様は?」
誰に聞いても、答えてくれなかった。
私はますます怖くなった。
そして、馬車が皇宮を離れた時――。
私はようやく気づいた。
私は連れ去られているのだ、と。』
モニカが息を呑んだ。
「……お母様は、誘拐されたと思っていたんですね」
「ああ」
ダンテは日記を見つめた。
「だが……実際は違った」
モニカは黙って頷いた。
皇妃はエリンを守るため、秘密裏にエンターナル国へ送った。
誘拐に見せかけて。
けれど――。
日記の中のエリンは、その真実を知らない。
モニカは続きを読み始めた。
『私は必死に逃げようとした。
何度も馬車の扉を開けようとした。
けれど、外から鍵がかかっていた。
「お願い! ここから出して!」
叫んでも、誰も答えてくれない。
怖かった。
母にも会えない。
父にも会えない。
兄にも会えない。
私は、本当に帝国から連れ去られてしまったのだと思った。』
モニカの胸が締め付けられる。
母が、どれほど怖かったのか。
その時のエリンには、自分が守られているなど知る由もなかった。
『馬車は何日も走り続けた。
そして、ようやくエンターナル国へ入った。
私はそこで隙を見つけた。
馬車が止まった時、御者が扉を開けた。
私は夢中で飛び出した。
走った。
ただ、走った。
誰かに追われていると思っていた。
だから振り返らなかった。
母が私を守るために送り出したことも。
私を待っている人がいたことも。
あの時の私は、何も知らなかった。』
モニカはそこでページから目を離した。
「……お母様」
小さく呟く。
ダンテも、苦しそうな表情を浮かべていた。
「エリンは……本当に何も知らされていなかったんだな」
「はい……」
モニカは日記を撫でる。
母は、捨てられたと思っていた。
自分が愛されていなかったから、帝国から追い出されたのだと思っていたのかもしれない。
けれど、実際は違う。
皇妃は娘を守ろうとしていた。
ただ、その思いを伝える時間がなかった。
モニカは再びページをめくった。
『私はエンターナル国で、しばらく身を隠した。
誰も信じられなかった。
自分を連れ去った人たちも。
母も。
皇宮も。
何もかもが怖かった。
そして私は、ある日、一枚の新聞を拾った。
そこには――』
そこで文章が途切れていた。
モニカとダンテは顔を見合わせた。
「……新聞?」
「ああ」
ダンテが呟く。
「それが、エリンが自分の瞳の意味を知るきっかけになったのかもしれない」
モニカは、次のページへ手を伸ばした。
けれど、その先を読む前に、一度深く息を吸った。
母が見つけた新聞には、一体何が書かれていたのか。
そして――。
なぜ、母の瞳に現れた金色の輪が、エリンの人生を変えることになったのか。
二人はまだ、その答えを知らなかった。




