第23話 10年ぶりに呼ばれた「お父様…」
新しい部屋で着替えを終えたモニカは、食堂へ向かった。
扉の前で、少しだけ緊張する。
昨日まで、自分がこの食堂で父と食事をすることなど、ほとんどなかった。
扉が開く。
「来たか」
「……伯爵様」
ダンテが席から顔を上げる。
新しい服を着たモニカを見て、ほんの少し目を細めた。
「よく似合っている」
「……ありがとうございます」
モニカは少し恥ずかしそうに笑った。
「座りなさい」
「はい」
モニカが席につく。
ほどなくして、夕食が運ばれてきた。
温かな料理が、次々と並べられていく。
モニカは目を輝かせた。
今日も、こんなにたくさん食べられる。
「いただきます」
二人で食事を始める。
しばらくは静かな時間が流れた。
けれど、不思議と気まずくはなかった。
「学園はどうだった?」
「楽しかったです」
「そうか」
「今日は朝ごはんを食べてから行ったので、いつもより元気でした」
「……それは良かった」
ダンテが小さく笑う。
モニカも笑った。
こんな普通の会話が、少し嬉しかった。
食事が一段落すると、ダンテが静かに口を開いた。
「モニカ」
「はい」
「これからのことだが……何かしたいことはあるか?」
「したいこと……?」
モニカは考え込んだ。
そんなことを聞かれたのは初めてだった。
「……分かりません」
正直に答える。
何かをしたいと思う前に、毎日をどうやって過ごすかで精一杯だった。
ダンテは、そんなモニカを見つめた。
「そうか」
少しだけ間を置いてから、穏やかな声で続ける。
「なら、これからゆっくり考えればいい」
「……はい」
モニカは小さく頷いた。
そして、ふと口にする。
「……会いたい人がいます」
「会いたい人?」
「はい」
モニカは少し俯いた。
「お母様に……会いたいです」
ダンテの表情が静かに変わった。
「……そうか」
「それと……」
モニカは少し迷ってから続けた。
「シルビーにも、会いたいです」
「シルビーか……」
ダンテは静かに頷いた。
モニカが幼い頃、ずっとそばにいた乳母。
そして5歳の時、屋敷を追われた女性。
シルビーが自分に手紙を託してきたことも、まだ記憶に新しい。
その手紙には、エリンの言葉が綴られていた。
「シルビーは……今、どこにいるのですか?」
「分からない」
ダンテは正直に答えた。
「だが、探すことはできる」
「……本当ですか?」
「ああ」
モニカの顔が少し明るくなる。
「ありがとうございます」
その笑顔を見て、ダンテは静かに頷いた。
そして、少し迷うように黙った。
「モニカ」
「はい」
「お前の母には……もう会えない」
「……」
モニカの表情が曇る。
ダンテは静かに続けた。
「だが、お前に託されたものがある」
「私に……?」
「ああ」
ダンテは席を立つと、傍に置いてあった小箱を持ってきた。
蓋を開ける。
中には、一通の手紙が入っていた。
「これは、お前の母が残した手紙だ」
「……お母様の……」
モニカの目が大きくなる。
「読むか?」
「……はい」
震える手で手紙を受け取る。
そこには、母の字があった。
モニカは一文字ずつ、大切に読み進めていく。
母が自分を想っていたこと。
自分を愛していたこと。
そして――。
いつかこの手紙を読む日が来ることを、エリンが願っていたこと。
モニカの瞳から、涙が一粒こぼれた。
「……お母様」
手紙を胸に抱く。
「……ありがとうございます」
ダンテは何も言わなかった。
ただ、静かにモニカを見つめていた。
しばらくして、ダンテはもう一つのものを取り出した。
「これも、エリンが大切にしていたものだ」
「……?」
小さなオルゴール。
モニカはそっと手を伸ばした。
「綺麗……」
「聴いてみるか?」
「はい」
ダンテが蓋を開ける。
静かな旋律が、食堂に流れ始めた。
モニカはオルゴールの中を覗き込む。
小さな人形が、ゆっくりと回っている。
王冠をかぶった少女。
「……可愛い」
モニカはしばらく見つめていた。
その時だった。
「……あれ?」
モニカは胸元に手を当てた。
「どうした?」
「この子……と同じ?」
「この柄……」
モニカはペンダントを取り出した。
それは、母エリンの葬儀の日。
幼かったモニカが、誰にも見つからないようにそっと外して以来、ずっと大切に身につけていたもの。
モニカはペンダントとオルゴールを見比べる。
「……同じ」
小さな声が漏れた。
オルゴールに刻まれている紋章。
ペンダントに刻まれている紋章。
「同じ紋章が……」
ダンテは息を呑んだ。
「そのペンダントは……エリンの……」
そこまで言って、ダンテは言葉を止めた。
なぜモニカが持っているのか。
それを聞く必要はなかった。
それよりも――。
オルゴールとペンダント。
二つに刻まれた、同じ紋章。
エリンは一体、何を残したのだろう。
何を伝えようとしていたのだろう。
ダンテにも、まだ分からない。
モニカはペンダントを握りしめた。
そして、手紙とオルゴールを大切そうに見つめる。
「……ありがとうございます」
ダンテが顔を上げる。
「……お父様」
「……」
一瞬。
ダンテは、言葉を失った。
「今……なんと?」
モニカは少し恥ずかしそうに笑った。
「……お父様、と」
ダンテは何も言わなかった。
ただ、目を伏せる。
十年間。
父親として娘を見てこなかった。
そんな自分を、娘が初めて父と呼んでくれた。
「……ああ」
それだけを、静かに返した。
けれどその声には、隠しきれない喜びが滲んでいた。
モニカの新しい生活。
そして――。
父と娘の、新しい時間が始まった。




