第19話 ダンテの決意
翌朝。
ダンテは、いつもより早く執務室へ入った。
机の上には、昨日エリンの部屋で見つけた手紙とオルゴールが置かれている。
その隣には、分厚い帳簿が何冊も積まれていた。
「ローレンス」
「はい、旦那様」
ダンテの向かいに立ったローレンスは、いつになく緊張した表情をしていた。
「昨日話した通り、モニカに関する十年分の記録を調べたい」
「かしこまりました」
「食費、衣服、学用品、生活費。モニカのために使われた金をすべて確認する」
「承知いたしました」
ローレンスは一礼した。
だが、ダンテはそれだけでは終わらせなかった。
「それと……この屋敷で、この十年間に何があったのかも調べてほしい」
「この屋敷で、ですか?」
「ああ」
ダンテは帳簿へ視線を落とす。
「使用人の入れ替わり。モニカ付きだった侍女。食事の管理。衣服の管理。そして、クラリッサが屋敷の金をどのように扱っていたのかもだ」
「……」
ローレンスの表情がわずかに曇った。
「何かあるのか?」
「いえ……」
ローレンスは少し迷った後、口を開いた。
「私も、以前から気になっていたことがございます」
「何だ?」
「モニカお嬢様に関する支出が、帳簿上では確かに存在しているのです」
ダンテの目が細くなる。
「……それはどういうことだ?」
「食費も、衣服代も、学用品も。毎年、一定の金額が計上されています」
「だが、実際のモニカは……」
「はい」
ローレンスは言葉を濁した。
古びた制服。
細すぎる身体。
そして、食事を与えられていなかった日々。
帳簿に記された金額と、モニカの現実は明らかに噛み合っていない。
「……誰が管理していた?」
「奥様です」
ダンテの手が止まった。
「……奥様?」
ローレンスが不思議そうに顔を上げる。
「はい。クラリッサ様が――」
「違う」
「……え?」
ダンテは静かに言った。
「クラリッサは、私の妻ではない」
ローレンスの目が大きく見開かれる。
「……ですが」
「私はエリンと結婚した時に、クラリッサとの婚約を破棄した」
「……」
「クラリッサは、この家の夫人ではない」
ローレンスは言葉を失った。
これまでずっと「奥様」と呼んできた。
クラリッサ自身も、当然のように伯爵夫人として振る舞っていた。
それが――。
「……では、私は今まで……」
「君が悪いわけではない」
ダンテはローレンスを責めなかった。
「私が何も言わなかった。それが原因だ」
ダンテは目を伏せた。
エリンを失った後。
何も考えたくなかった。
屋敷のことも。
モニカのことも。
すべてを人に任せ、自分は仕事に逃げた。
その結果が――今だ。
「……私が目を背けていた十年間だ」
ダンテは静かに呟いた。
ローレンスは帳簿を開いた。
「では、改めて確認いたします」
「ああ」
「モニカお嬢様の生活費として計上されている金額は、決して少なくありません」
「……」
「それにもかかわらず、お嬢様の衣服は古く、食事も十分ではない」
ページをめくる。
「さらに、こちらをご覧ください」
ローレンスが別の帳簿を差し出した。
「ドレス、宝飾品、装飾品……かなりの額が支出されています」
「誰のものだ?」
「クラリッサ様とアリシア様のものが多いようです」
ダンテは黙った。
胸の奥に、冷たいものが広がっていく。
モニカに与えられるはずだった金。
その一方で、豪華なドレスや宝石を身につけていたクラリッサ。
そして、伯爵令嬢のように育てられているアリシア。
「……調べろ」
「はい」
「十年間、すべてだ」
「承知しました」
ダンテは窓の外を見つめた。
モニカは、この屋敷で十年間を過ごした。
母親を失った五歳の頃から。
自分に見捨てられたと思いながら。
それでも――。
昨日、夕食の席で見せた笑顔。
『明日も、食事はあるんですね』
あの言葉が、胸に突き刺さる。
「……私は、父親失格だな」
思わず漏れた言葉に、ローレンスは何も答えなかった。
だが、しばらくして静かに頭を下げる。
「旦那様」
「何だ?」
「これからは……私も、見て見ぬふりはいたしません」
ダンテはローレンスを見る。
「頼む」
短い言葉だった。
けれど、その声には強い決意が込められていた。
「モニカを守る」
そのために。
まず、この屋敷で何が起きていたのか。
十年間のすべてを洗い出す。
誰が何をしたのか。
誰が何を見ていたのか。
そして――。
誰がモニカから、奪っていたのか。
ダンテは、積み上げられた帳簿へ視線を戻した。
十年間の真実を知るために。




