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モニカ・ハーマン物語~虐げられた伯爵令嬢は、亡き母の秘密と金環眼に導かれて  作者: 紅しょうが


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第16話 モニカの日常

翌朝。


 モニカはいつもと同じ時間に屋敷を出た。


 昨日までと変わらない朝。


 門を出て、学園へ向かう道を歩く。


 けれど――。


 モニカの心は、昨日までとは少し違っていた。


 夕食を食べた。


 今日も食べられる。


 そんな当たり前のことが、ほんの少しだけ嬉しかった。


「おはよう、モニカちゃん!」


 聞き慣れた声に顔を上げる。


 パン屋のおじさんが、店先から手を振っていた。


「おはようございます」


 モニカも笑顔で頭を下げる。


「今日も元気そうだな」


「……そうでしょうか?」


「ああ。昨日より顔色がいいぞ」


 そう言われて、モニカは少しだけ頬を緩めた。


「昨日、夕食を食べたから……かもしれません」


「そりゃ良かった!」


 おじさんは嬉しそうに笑った。


「しっかり食べて、しっかり寝るんだぞ」


「はい」


 その言葉が、なぜだか胸に温かく残った。


 少し歩くと、今度は食堂の女将さんが店先を掃除していた。


「あら、モニカちゃん。おはよう」


「おはようございます、女将さん」


「今日も学園かい?」


「はい」


「気をつけて行っておいで」


「ありがとうございます」


 また一つ、笑顔をもらう。


 モニカにとって、この街を歩く時間はいつの間にか大切なものになっていた。


 屋敷では、誰かに声を掛けてもらうことなどほとんどない。


 けれど街では違う。


 名前を呼んでくれる人がいる。


 笑顔を向けてくれる人がいる。


 そして、帰ってくると「おかえり」と言ってくれる人もいる。


 モニカは、そんな街の人たちが好きだった。


 * * *


 その日の授業も終わり、モニカは学園を出た。


 いつものように、歩いて帰ろうとした。


 ――その時。


「お嬢様」


「……?」


 声を掛けられて振り向く。


 そこには、ハーマン伯爵家の馬車が停まっていた。


「……馬車?」


 モニカは目を丸くする。


 御者が馬車から降り、恭しく頭を下げた。


「旦那様より、お嬢様をお迎えに上がるよう申し付かっております」


「……私を?」


「はい」


 モニカは馬車を見つめた。


 なぜ、馬車が?


 すると、御者が続けた。


「旦那様より、学園からの帰りは馬車を使うようにとのことでございます」


「……帰りだけ?」


「はい」


 モニカは、少しだけほっとした。


 朝はいつも通り歩いて学園へ行ける。


 街の人たちにも会える。


 それなら――。


「……分かりました」


 モニカは馬車へ乗り込もうとした。


 けれど、ふと足を止める。


 振り返る。


 いつも歩いている街道。


 パン屋。


 食堂。


 八百屋。


 今日はもう、皆に会えない。


「……」


 少しだけ寂しくなる。


 けれど、その寂しさを打ち消すように、昨日のことを思い出した。


 ダンテの言葉。


『明日も、食事はある』


 そして今日。


 自分のために馬車を用意してくれた。


「……伯爵様が」


 自分のことを気に掛けてくれている。


 そう思うと、不思議と胸が温かくなった。


「ありがとうございます」


 モニカは御者に小さく頭を下げ、馬車へ乗り込んだ。


 * * *


 屋敷へ向かう馬車の中。


 モニカは窓の外を眺めていた。


 歩いている時とは違う景色。


 いつも挨拶をしている人たちが、少しずつ遠ざかっていく。


 パン屋のおじさんの姿が見えた。


 モニカは思わず小さく手を振った。


 おじさんも気づいて、笑顔で手を振り返してくれた。


 モニカは嬉しくなって、もう一度手を振った。


 そして、ぽつりと呟く。


「……明日は、また歩いて行こう」


 朝なら、きっと会える。


 そう思いながら、モニカは窓の外を眺め続けた。


 * * *


 その頃。


 執務室では、ダンテが書類に目を通していた。


「旦那様」


 ローレンスが声を掛ける。


「何だ?」


「お嬢様は、本日も徒歩で学園へ向かわれました」


「……そうか」


「そして、先ほどお迎えの馬車に乗られました」


「そうか」


 ダンテは書類から顔を上げた。


「……何か気になることでも?」


 ローレンスは少し考えてから答えた。


「お嬢様は、朝の登校を楽しみにしておられるようです」


「……登校を?」


「はい」


「学園が好きなのか?」


「それもあるかと存じますが……」


 ローレンスは微笑んだ。


「街の皆様と挨拶を交わすことを、楽しみにしておられるようです」


「……街の人たちと」


 ダンテは、しばらく黙った。


 また一つ。


 自分が知らなかったモニカの一面を知った。


 モニカには、屋敷の外に大切にしている場所がある。


 そして、モニカを温かく見守ってくれている人たちがいる。


「……そうか」


 ダンテは小さく呟いた。


「なら、朝は今まで通りでいい」


「はい」


「帰りは遅くなることもある。そこは馬車を使わせよう」


「承知しました」


 ローレンスが一礼する。


 扉が閉まる。


 ダンテは再び書類へ目を落とした。


 けれど、その口元には――。


 ほんの僅かな笑みが浮かんでいた。

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