第15話 閉ざされた部屋 ②
オルゴールの音が、静かな部屋に響いていた。
ダンテは、その音色を聴きながら、じっとオルゴールの裏側に刻まれた紋章を見つめていた。
「……グランディア帝国」
その名を、もう一度口にする。
エリンの部屋にあったもの。
しかも、エリンが大切にしていたオルゴールに刻まれている。
偶然だとは思えなかった。
「ローレンス」
「はい」
「この部屋に、他に何かないか調べてくれ」
「承知しました」
二人は部屋の中を隅々まで調べ始めた。
机。
本棚。
クローゼット。
ベッド脇の小さな棚。
だが、十年間閉ざされていた部屋には、思っていた以上に何も残っていなかった。
「……やはり、おかしい」
ダンテは呟く。
エリンが亡くなった時。
この部屋には、もっと多くの物があったはずだ。
ドレスも。
宝石も。
夫人として使っていた小物も。
それが、ほとんどない。
まるで――。
「誰かが、整理したようですね」
ローレンスが静かに言った。
「……ああ」
ダンテは答えた。
だが、誰が。
そして、なぜ。
その疑問が頭から離れない。
その時だった。
「……旦那様」
ローレンスの声がした。
「どうした?」
「こちらを」
ローレンスが指差したのは、机だった。
古い木製の机。
引き出しがいくつか付いている。
「この一番下の引き出しですが……」
ダンテが近づく。
「鍵が掛かっている」
「はい」
ダンテは引き出しを引いた。
ガチャリ。
確かに鍵が掛かっている。
「鍵は?」
「探してみます」
ローレンスが机の周囲を調べる。
しかし、鍵は見つからない。
ダンテはしばらく引き出しを見つめていた。
すると――。
「……待て」
「はい?」
「これを使えるか?」
ダンテが取り出したのは、先ほどローレンスが持ってきた古い鍵束だった。
その中から一つを選び、鍵穴へ差し込む。
カチリ。
「……!」
鍵が回った。
ゆっくりと引き出しを開ける。
中に入っていたのは――。
一冊の古い日記帳だった。
「……日記?」
表紙には名前すら書かれていない。
だが、ダンテには分かった。
「エリンのものだ」
そっと手に取る。
日記には、エリンの筆跡が残っていた。
最初のページを開く。
何気ない日々の記録。
天気のこと。
庭の花のこと。
そして、モニカの成長。
ページをめくるたびに、ダンテの胸が締めつけられる。
『今日はモニカが初めて自分で歩いた』
『今日は言葉を二つも覚えた』
『モニカが笑うと、あなたにそっくりね、と言われた』
ダンテは、そこで手を止めた。
「……」
知らなかった。
そんなことさえ、自分は知らなかった。
エリンが、娘の一日一日を大切に書き残していたことも。
モニカがどんなふうに成長していったのかも。
自分が仕事に追われている間。
エリンは、この小さな日記帳に娘との時間を残していた。
さらにページをめくる。
すると、文章の雰囲気が少しずつ変わっていった。
『最近、昔の夢を見る』
『あの時のことを、まだ忘れられない』
『いつか、モニカには話さなければならない』
ダンテの眉が寄る。
「……昔?」
さらにページをめくる。
しかし、その先の数ページは破り取られていた。
「……!」
ダンテは息を呑んだ。
「旦那様……」
ローレンスも言葉を失う。
破られたページの跡だけが残っている。
「誰かが破ったのか……?」
「分かりません」
ダンテは日記を閉じなかった。
そのまま最後の方までページをめくっていく。
そして――。
二通の封筒を見つけた。
「……手紙?」
一つ目の封筒には、丁寧な文字で書かれていた。
『モニカへ』
ダンテの指が止まる。
「……モニカ」
そして、もう一つ。
『ダンテへ』
「……俺に?」
しばらく、二人とも動かなかった。
エリンが残した手紙。
しかも、自分とモニカへ宛てたもの。
ダンテは封筒を手に取る。
だが――。
開けることができなかった。
怖かった。
十年間、知らずにいたエリンの過去を知ることが。
そして何より。
自分に宛てた手紙の中に、何が書かれているのか。
「……エリン」
ダンテは封筒を握りしめた。
妻は、何かを伝えようとしていた。
自分に。
そして、娘に。
「ローレンス」
「はい」
「これは……誰にも知られてはいけない」
「承知しております」
ダンテは二通の手紙を見つめた。
モニカには、まだ渡せない。
少なくとも、今は。
そして自分宛ての手紙も――。
今すぐ開く勇気がなかった。
ダンテは二通の手紙を胸元へしまった。
その時。
机の上で、オルゴールが再び小さく音を奏でた。
優しく。
どこか寂しい旋律。
ダンテは振り返る。
そこにあるのは、十年間閉ざされていた妻の部屋。
そして、十年間知らなかった妻の秘密。
「……お前は、一体……何を隠していたんだ」
答える者はいない。
ただ、オルゴールの音だけが静かに響いていた。




