第12話 モニカの1日
朝。
モニカは、いつもより少し軽い足取りで学園へ向かっていた。
昨日の夕食。
久しぶりに食べた、温かい食事。
ほんの少ししか食べられなかったけれど、それでも嬉しかった。
そして、父から言われた言葉。
『明日も、食事はある』
その言葉を思い出すと、胸の奥がほんのり温かくなる。
「……今日も、食べられる」
モニカは小さく呟いた。
昨日までより、ほんの少しだけ足取りが軽い。
街へ入ると、いつものように声を掛けてくれる人たちがいた。
「あらっ、モニカちゃん」
食堂の女将さんが手を振る。
「おはようございます」
「おはよう。……あら?」
女将さんが、モニカの顔をじっと見る。
「今日は顔色が良いわね」
「そう?」
モニカは首を傾げる。
「ええ。昨日よりずっといいわ」
「……そうかしら」
モニカは少し考えた。
そして――。
「昨日、お夕飯を食べたからかしら?」
「……」
言った瞬間、モニカは「あっ」と口元を押さえた。
女将さんは何かを察したように、一瞬だけ表情を曇らせる。
けれど、何も聞かなかった。
「そうかい」
ただ、優しく笑う。
「ちゃんと食べたんだね」
「……はい」
「それなら良かった」
女将さんはそれ以上何も言わず、いつものようにモニカを送り出した。
「気をつけて行っておいで」
「ありがとうございます」
モニカは小さく頭を下げ、学園へ向かった。
* * *
学園では、いつも通り授業を受けた。
文字の書き取り。
歴史。
算術。
モニカはどの授業でも真面目に取り組んだ。
成績は悪くない。
むしろ、勉強だけなら学年でも上位に入る。
けれど休み時間になると、一人だった。
それも、いつものこと。
誰かと話したいと思っているわけではない。
そう思わないようにしているだけなのかもしれない。
そんなモニカに声を掛けたのは――。
「モニカ」
「……殿下」
振り返ると、アダムが立っていた。
「今日は顔色がいいな」
「……そうでしょうか?」
「ああ」
アダムはモニカをじっと見る。
「昨日より、ずっといい」
モニカは少し驚いた。
昨日。
街で会った皇子に送ってもらった。
そのことを思い出す。
「……お夕飯を食べたからかもしれません」
「夕食?」
「はい」
モニカは何気なく答えた。
けれど、アダムは黙った。
「……」
夕食を食べた。
ただ、それだけのこと。
なのに、モニカは嬉しそうに笑っている。
アダムは、その小さな違和感を覚えた。
だが、何も聞かなかった。
「そうか」
それだけを言う。
けれど、その疑問は消えなかった。
* * *
昼休み。
モニカは教室を出ようとした。
「モニカ」
再びアダムに呼び止められる。
「はい?」
「昼食は?」
「……」
モニカの足が止まった。
「今日は……ありません」
「そうか」
アダムは静かにモニカを見る。
「昨日は?」
「昨日も……ありません」
少しの沈黙。
「朝は?」
「……」
モニカは答えに迷った。
けれど、嘘をつく理由もなかった。
「何も……」
アダムの眉がわずかに動く。
朝も。
昼も。
そして、夕食を食べたことをあんなに嬉しそうに話す。
普通ではない。
明らかに何かがおかしい。
けれどアダムは、問い詰めなかった。
「なら、一緒に食べよう」
「え?」
「僕の昼食を分ける」
「そんな……」
モニカは慌てて首を横に振る。
「殿下のお食事をいただくなんて……」
「気にするな」
「でも……」
「僕一人では食べきれない」
アダムはそう言って、モニカを食堂へ促した。
「……本当に、よろしいのですか?」
「ああ」
「……ありがとうございます」
モニカは小さく頭を下げた。
* * *
食堂。
運ばれてきた昼食を前に、モニカは少し緊張していた。
「いただきます」
小さく手を合わせる。
そして、一口。
ゆっくりと食べる。
二口目。
三口目。
決してがっつくわけではない。
むしろ、ほんの少しずつ。
けれど、一口一口を大切にするように食べている。
アダムは黙って見ていた。
モニカは気づいていない。
食事を残してしまえば、次にいつ食べられるか分からない。
だから、無理をしてでも食べる。
それが、モニカにとって当たり前になっていた。
「……美味しいです」
モニカがぽつりと言う。
「そうか」
アダムは短く答えた。
けれど、その胸の内では疑問が大きくなっていた。
――この子は、今までどんな生活をしていた?
皇子として、様々な人間を見てきた。
けれど、こんな令嬢は見たことがない。
* * *
放課後。
モニカはいつものように学園を出た。
帰り道も徒歩。
それがモニカにとって当たり前だった。
しばらく歩いたところで――。
「モニカ」
聞き覚えのある声。
振り返る。
そこには、馬車から降りたアダムがいた。
「殿下……?」
「また歩いて帰るのか?」
「はい」
モニカは頷く。
「いつものことですから」
アダムは少し考える。
「今日は屋敷まで送ろう」
「えっ?」
「昨日は途中までだったからな」
「でも……」
「構わない」
「ですが……」
「僕がそうしたいだけだ」
モニカは困ったように眉を下げた。
何度も断ることもできず、やがて小さく頭を下げる。
「……では、お言葉に甘えます」
「それでいい」
モニカは馬車へ乗り込んだ。
* * *
やがて、ハーマン伯爵家が見えてくる。
「殿下、ここまでで大丈夫です」
「いや」
アダムは窓の外を見る。
「今日は屋敷まで送る」
馬車はそのまま進み、玄関前で止まった。
モニカが降りる。
「ありがとうございました、殿下」
「ああ」
アダムも降りる。
「また明日」
「……はい」
モニカは微笑んだ。
その笑顔を見て、アダムは一瞬だけ目を細める。
やはり気になる。
なぜなのかは分からない。
ただ――。
放っておけない。
「では」
アダムは馬車へ戻った。
* * *
玄関先には、ダンテが立っていた。
今日は、モニカの帰宅時間に合わせて馬車を用意させていた。
昨日、徒歩で帰ってきたモニカを見て思ったのだ。
明日からは、せめて帰りだけでも馬車を使わせよう、と。
だが――。
その馬車より先に、皇子の馬車が到着した。
ダンテは去っていく馬車を見つめる。
「……」
そして、確かに聞いた。
『また明日』
「……また?」
ダンテはモニカを見る。
「……モニカ」
「はい」
「皇子殿下とは……いつから、あんなに親しくなった?」
モニカは首を傾げた。
「……親しい、のでしょうか?」
その言葉に、ダンテは何も返せなかった。
親しいという自覚すらない。
それなのに皇子は、娘を屋敷まで送り届けている。
ダンテは、静かにモニカを見つめた。
――自分は、何も知らない。
昨日まで、その事実に気づきもしなかった。
娘がどんな毎日を過ごし。
何を食べ。
誰と話し。
どんな思いで生きてきたのか。
何一つ知らない。
その事実が、また胸に重くのしかかった。




