第11話 閉ざされた部屋
モニカが執務室を出ていった。
扉が静かに閉まる。
ダンテは、しばらくその扉を見つめていた。
「……明日も、食事はある」
先ほど自分が口にした言葉が、頭の中に残っている。
あんな当たり前のことを伝えただけだった。
それなのに――。
モニカは、心の底から安心したように笑った。
その笑顔が、エリンにそっくりだった。
「……」
ダンテは目を伏せた。
十年前。
エリンが亡くなってから、ダンテは仕事に逃げた。
妻を失った悲しみから逃れるように、屋敷のことも、モニカのことも人に任せた。
けれど今日、初めて真正面から娘を見た。
細すぎる身体。
古びた制服。
そして――。
朝、廊下で見た姿。
両手いっぱいに抱えた茹で芋。
「……あれが、昼食だったのか」
考えれば考えるほど、胸が重くなる。
伯爵令嬢であるモニカが、なぜ芋を抱えて歩いていたのか。
なぜ、あんなにも痩せているのか。
そして先ほどの食事で、モニカが口にした言葉。
『次は、いつ食べられるか分からないから……』
「……」
ダンテは拳を握った。
自分は一体、何をしていたのだろう。
その時、別の疑問が浮かんだ。
「……金は?」
モニカには、伯爵令嬢として生活するための金が与えられていたはずだ。
衣服も。
学用品も。
食事も。
必要なものを不自由なく揃えられるよう、ダンテは金を用意させていた。
だが――。
クラリッサから聞いていた話では、モニカはドレスを作っている。
宝石も買っている。
だから、特に問題はないと思っていた。
しかし。
今日、目の前にいたモニカの姿は、その話とはあまりにもかけ離れていた。
「……おかしい」
ダンテは呟いた。
モニカに渡されていたはずの金は、いったいどこへ消えた?
「ローレンス」
「はい」
傍に控えていたローレンスが返事をする。
「モニカに関する支出を、十年分すべて確認したい」
「承知しました」
「衣服、学用品、生活費……すべてだ」
「かしこまりました」
ローレンスが一礼する。
ダンテはしばらく黙っていた。
そして、ふと顔を上げる。
「……それと」
「はい」
「エリンの部屋を開ける」
ローレンスの表情が変わった。
「……奥様の?」
「ああ」
十年前。
エリンが亡くなった直後、ダンテは妻の部屋を閉ざした。
誰にも入らせなかった。
自分自身も、ほとんど足を踏み入れていない。
あの部屋には、エリンがいた頃の時間が残っている。
だからこそ、見ることができなかった。
「鍵を」
「はい」
ローレンスが鍵を取りに行く。
二人は屋敷の奥へ向かった。
やがて、十年間閉ざされていた扉の前に立つ。
ダンテは鍵を差し込んだ。
カチャリ。
静かな音が廊下に響く。
扉を開く。
「……」
冷たい空気が流れてきた。
ダンテは、ゆっくりと部屋へ足を踏み入れる。
「……エリン」
自然と名前がこぼれた。
だが――。
「……?」
ダンテは眉を寄せた。
違和感があった。
部屋が、あまりにもがらんとしている。
「……ドレスは?」
エリンが着ていたはずのドレスがない。
宝石もない。
伯爵夫人として持っていた装飾品や小物も、ほとんど残っていない。
「……こんな部屋だったか?」
ローレンスも周囲を見回した。
「私の記憶では……もう少し品があったかと」
「そうだ」
ダンテも覚えている。
エリンは派手な女性ではなかった。
それでも、夫人として必要な衣装や宝石を持っていた。
なのに――。
「……何もない」
ダンテは部屋を見回した。
そして、窓辺に置かれた小さなオルゴールに目が止まった。
「……これ」
ゆっくりと近づく。
見覚えがある。
エリンがよく聴いていたオルゴールだった。
何か嬉しいことがあった日。
エリンはこのオルゴールを鳴らしていた。
音色を聴きながら、穏やかに微笑んでいた。
「……まだ残っていたのか」
ダンテは、そっと蓋を開けた。
小さな音色が、静かな部屋に流れ始める。
十年ぶりに聴く旋律。
胸の奥が締めつけられる。
エリンの笑顔が浮かぶ。
そして――。
先ほど見たモニカの笑顔も重なった。
「……」
ダンテは、オルゴールをそっと裏返した。
その時だった。
「……これは?」
裏側に、小さな紋章が刻まれている。
王国の紋章ではない。
見覚えのある意匠。
ダンテの表情が変わった。
「……グランディア帝国」
ローレンスも息を呑む。
「帝国の紋章……ですか?」
「ああ」
なぜだ。
なぜ、エリンの部屋に。
なぜ、妻が大切にしていたオルゴールに――。
グランディア帝国の紋章が刻まれている?
ダンテはオルゴールを見つめたまま、動けなかった。
十年間、閉ざされていた部屋。
失われた妻の記憶。
そして――。
自分が知らなかった、妻の過去。
「……エリン」
ダンテは、もう一度その名を呟いた。
今度は、問いかけるように。
まるで十年越しに、妻へ答えを求めるように。
その手の中で、オルゴールだけが静かに音を奏で続けていた。




