小さな幸せ
「だったら、リシテアさんもしばらくは外に出ない方がいいよ。買い物は俺と先生で何とかするから、二人には医院の中で大人しくしていてもらって……」
突然、シルが水を得た魚のように次々と言葉を紡ぎ始めた。
あまりの勢いに、私とリシテアはただ目を瞬かせる。
「このこと、当然先生にも話したんだよね? だったら、先生もきっと協力してくれるはずだし──」
「ちょ、ちょっと待って!」
そこで、リシテアが慌てたようにシルの言葉を遮った。
何を言うつもりなのだろう。
私が首を傾げていると、彼女はシルを落ち着かせるように両手を前へ出す。
「シルの申し出は、本当にありがたいわ。でも、私達はすでにここでお世話になっている身なの。これ以上ご迷惑をおかけするわけには──」
「何言ってるんだよ!」
今度はシルが、思わずというように声を荒らげた。
「今は、ニーナさんが旦那さんに見つからないことが一番大事だろ? 俺たちに迷惑をかけたくないからって、リシテアさんが外へ出て、もし捕まりでもしたらどうするんだよ!」
ぎゅっと拳を握りしめ、シルは真っ直ぐにリシテアを見つめる。
「そんなことになったら、ニーナさんはきっと自分を責める。心配しすぎて、今度こそ本当に倒れちゃうかもしれないんだぞ……!」
「そ、それは……」
答えに詰まったのだろう。リシテアが困ったように私の顔を見た。
そんな彼女の視線を受け、私は穏やかに微笑んだ。
「リシテア、あなたの気持ちは私にもよく分かるわ。私だって、先生やシルには申し訳ない気持ちでいっぱいだもの。だけど、ここは先生とシルの意見を尊重しましょう? 私のところへ来る前に、先生とお話をしてきたのよね? 先生は何と仰っていたの?」
私のところへ来るのが遅かったことからしても、リシテアは先生にことの次第を話しているはずだ。
その時、先生がリシテアに何を告げたのか──それを聞いてから答えを出しても遅くはないと思った。
「……先生は」
リシテアが小さく息を吸い込み、ぎゅっと拳を握りしめる。
「奥様の身を最優先に考えるべきだと仰いました。公爵様が本気で捜しておられる以上、今は誰一人として不用意に外へ出るべきではない、と……」
「そう……」
やはり先生も、同じ考えだったのね。
聡明な先生が私と同じ考えでいてくださったことに、私はほっと胸を撫で下ろした。
けれど、それならどうしてリシテアは、あのようなことを言ったのだろう。
そう考えていると、彼女はなおも言葉を続けた。
「それから……もし私が捕まって、奥様の居場所を知られてしまったら……その時は、一生後悔することになる、とも。ですが私は……ただ、何もできない自分が情けなくて……」
震える声に、思わず胸が締めつけられる。
「奥様をお守りすると決めたのに、こうして先生やシルに頼りきりで……。せめて買い物くらいは私がしなければと思ったのです」
「リシテア……」
私はそっと彼女の手を包み込んだ。
「あなたは何もできていないなんてことないわ。むしろ、あなたがいてくれたから私はここまで来られたの」
「奥様……」
「屋敷を出る決心ができたのも、こうして今も心細くないのも、全部あなたのおかげよ。だから、これ以上自分を責めないで」
「……っ」
ぽろり、と一粒の涙がリシテアの頬を伝う。
「私は……ただ……奥様に幸せになっていただきたいだけなのです……」
「ええ。ありがとう」
私が微笑むと──。
「俺も!」
そこへシルが勢いよく割って入ってきた。
そして、私達の手の上に自分の手を重ねる。
「四人で一致団結して、ニーナさんの旦那をやっつけようぜ!」
「ふふ……」
元気よく拳を突き上げるシルの姿が、なんとも子どもらしくて愛らしい。
そんな彼を見て私がくすくすと笑っていると、
「……公爵様をやっつけてしまって、本当に大丈夫なのでしょうか」
隣で、リシテアが小さく不安げに呟いた。
どこまでも元気なシルと、心配性なリシテア。
そして、私達を温かく見守ってくださる優しい先生。
素敵な人達に囲まれていることが、今はただ、幸せだった。




