リンカの誤算 2
ノックもせず、アタシは勢いよく扉を開け放ち、部屋の中へと飛び込んだ。
「セルディオ!」
せっかく手に入れた今の居場所を、奥様に奪われたくなかった。
今更、セルディオと奥様が仲直りするなんて、絶対に嫌だった。
けれど──。
がらんとした部屋の中央で、膝をついているセルディオの姿を目にした瞬間、アタシは息を呑んだ。
「セルディオ……? 何をしているの? 奥様はどこ?」
たとえ出掛けていたとしても、ベッドの上はあまりにも綺麗すぎる。
まるで少し席を外したのではなく、最初から誰もいなかったかのように。
──いや、違う。
これは、出掛けたというより……出ていったのだ。
「まさか……奥様、いなくなっちゃったの?」
込み上げる喜びを抑えきれず、自然と口元が緩む。
私の吐いた嘘を真に受けて、本当に出て行ってしまうなんて。
「セルディオ、大丈夫よ。あなたにはアタシが──」
ついている。
そう言おうとして、彼へと歩み寄った、その時だった。
「僕に触るな!」
怒声とともに、セルディオが凄まじい勢いでアタシの腕を振り払う。
「きゃっ……!」
あまりの力強さに、アタシは尻もちをつき、そのまま床へと倒れ込んだ。
「な……何するのよ! 酷いじゃない!」
怒りに任せて声を荒げると、セルディオが冷え切った瞳でアタシを見下ろした。
その視線に、背筋がぞくりと震える。
なに……? どうしたっていうの……?
今まで見たこともない、底知れない恐ろしさがそこにはあった。
思わず息を呑み、口を閉ざしてしまう。
すると、セルディオがゆらりと立ち上がった。
そして、一歩、また一歩と、ゆっくりアタシへ近づいてくる。
「な、なによ……。言いたいことがあるなら──ひゃっ!」
目の前に勢いよくしゃがみ込まれ、思わず目を閉じた。
次の瞬間、強い力で顎を掴まれる。
「痛っ……」
ぐい、と顔を上向かされ、否応なくセルディオの顔が視界いっぱいに映り込んだ。
恐ろしい。
怖い。
それなのに──やはり彼は、誰よりも美しかった。
整った顔立ちに、吸い込まれそうな紫の瞳。
こんなにも近くで見つめられるのは、愛人としてこの屋敷へ迎えられる前以来のことだった。
その懐かしさに、ほんの一瞬だけ恐怖を忘れ、彼の顔に見入ってしまう。
けれど。
「……お前、ニーナに何を言った?」
耳元で響いたのは、凍えるほど低く、怒りを押し殺した声だった。
「何って……アタシは別に……」
けれど、言葉はそこで途切れてしまう。
本当のことなど、口が裂けても言えるはずがなかった。
セルディオとアタシの間に子どもができた──そんな大嘘を、勝手にでっち上げたなんて。
きっとセルディオは、そこまで望んではいなかった。
それどころか、その嘘が原因で奥様が屋敷を出ていったのだと知れば……。
──許してもらえるはずがない。
そう思った瞬間、全身から血の気が引いた。
何か言わなければ。
上手い言い訳をしなければ。
そう焦れば焦るほど、頭の中は真っ白になり、何一つ言葉が浮かんでこない。
喉がひくりと震える。
額にはじわりと冷や汗が滲み、指先まで冷たくなっていく。
逃げ場なんて、もうどこにもなかった。
──アタシは、完全に追い詰められていた。




