生きるために
「奥様……ようやく決断してくださったのですね」
リシテアは目に涙を浮かべ、胸の前で両手を合わせながら安堵したように微笑んだ。
「やった! これで毎日たくさんニーナさんと一緒にいられるぞ!」
シルは子どものように飛び跳ね、隠そうともせず喜びを爆発させている。
二人の姿を見つめながら、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
私が屋敷を出るという決断が、こんなにも二人を喜ばせるなんて思ってもみなかった。
それだけ、今まで心配をかけ続けてしまっていたのだろう。
「……ごめんね」
思わず零れた謝罪に、リシテアは首を横に振る。
「どうして謝るのですか!? 奥様が謝罪なさる必要など、どこにもございません!」
いつになく強い口調だった。
「奥様はこれまで、公爵家のことを、そして旦那様のことを思って、この屋敷を離れずにいらしたのでしょう? もちろん……旦那様への情を捨てきれなかった、というお気持ちもあったのでしょうけれど」
「ええ……そうね」
静かに頷く。
公爵家のため。
それも嘘ではない。
けれど、一番大きかったのは──やはり、セルディオ様への想いだった。
どれほど冷たく突き放されても。裏切られても。
いつかまた、学生時代のように笑い合える日が来るかもしれない。
もう一度、あの優しい瞳で私を見つめてくれる日が来るかもしれない。
そんな淡い希望を、私はどうしても捨てることができなかった。
……でも、その希望は今日、音を立てて砕け散った。
離縁という言葉を口にしたのは、セルディオ様自身。
だからもう、私は前を向かなければならない。
「いつまでも縋りついていても……鬱陶しいだけだものね」
「奥様……」
それに、リンカ様がセルディオ様のお子様を身籠っている以上、これから先、セルディオ様が私に目を向けることは、ますますなくなるだろう。
「また来ると仰っていたけれど……どうせなら、その前にこの屋敷を出てしまいましょうか」
もう一度会って、また心を抉るような言葉を投げつけられたら。
先ほどよりも、もっと残酷な言葉を浴びせられたら。
その時こそ、私の心臓は耐えられないかもしれない。
痛みに押し潰され、本当に動きを止めてしまうかもしれない。
以前の私なら、それでも構わないと思っていた。
セルディオ様に拒絶され、その果てに命を落とすのなら、それも私の運命なのだと。
でも、今は違う。
私のために涙を流してくれる人がいる。
私のために怒ってくれる人がいる。
私に、生きてほしいと願ってくれる人がいる。
その人たちの想いを知ってしまった今、もう自分の命を軽んじることはできない。
だから──。
これ以上、セルディオ様に傷つけられる前に。
この心が、二度と元に戻らないほど砕け散ってしまう前に。
私は、この屋敷を出よう。
生きるために。




