自由
セルディオ様の言葉は鋭い刃となって私の胸を深く抉り、その痛みに耐えきれず、私は思わず身体を丸めた。
「奥様……大丈夫ですか?」
耳元で、リシテアの心配そうな声が聞こえる。
大丈夫よ──そう答えたいのに、胸を締めつけるような痛みが強く、すぐには声が出なかった。
私はゆっくりと顔を横へ向け、せめて安心させようと力なく微笑む。
けれどリシテアは、その笑みに悲しげな表情を返すだけだった。
「なんだよ、あいつ! あれがニーナさんの旦那なわけ!? あんな最低なやつ、俺、初めて見た!」
シルは怒りが収まらない様子で、悔しそうに地団駄を踏む。
「なんであんなのが旦那なんだよ!」「あんなやつ、人間じゃない!」「人の皮をかぶった悪魔だ!」
次から次へと悪態をつくその姿は真剣そのものなのに、どこか子どもらしくて。
思わず、胸の奥が少しだけ温かくなった。
張り詰めていた心がゆっくりとほどけていき、それに合わせるように胸の痛みも少しずつ和らいでいく。
……本当に不思議。
どんな薬よりも、シルがこうして私のために怒ってくれて、笑わせようとしてくれることの方が、ずっと私の心を癒してくれるのだから。
もっとも、シル本人に私を笑わせようというつもりはないのだろう。それでも今の私にとって、彼の存在は何よりの救いだった。
「ねぇ、ニーナさん。やっぱり先生のところに行こうよ。ニーナさんみたいに症状の酷い患者さんは、病院に引き取って面倒を見るのが先生のやり方なんだ。こんな心臓に悪い場所にいるより、絶対先生のところに行った方がいいって」
真っ直ぐな瞳でそう訴えるシル。
その言葉に、リシテアははっとしたように彼へ視線を向けると、諭すように静かに口を開いた。
「でもね、シル。奥様は──」
公爵夫人。
その立場を捨てることは、公爵家の名に泥を塗ることになる。
だからリシテアは、私が屋敷を離れられない理由を伝えようとしたのだろう。
けれど──。
セルディオ様は、離縁すると仰った。
もう私は、この屋敷にいる理由を失ってしまったのではないだろうか。
それなら、いっそのこと……。
「私……行こうかしら」
ぽつりと零れたその一言に、部屋の空気が静まり返る。
途端に、リシテアとシルが弾かれたように私を見つめた。
「お、奥様……今、なんと仰いましたか?」
「ニーナさん、今、もしかして……」
二人とも目を大きく見開き、信じられないものを見るような表情を浮かべている。
そんな二人を見ていると、少しだけ笑いたくなった。
私は小さく微笑み、ゆっくりと頷く。
「この家を出て……シルの先生のところに身を寄せようと思うの」
そう口にした瞬間、不思議なほど胸が軽くなった。
つい先ほどまで、胸を締めつけていた苦しさが少しだけ薄らいでいく。
きっと私は、ずっとこの言葉を口にしたかったのだ。
公爵夫人という立場に縛られ、自分の気持ちに蓋をして。
それでも今日、セルディオ様は自ら離縁という言葉を口にした。
だったらもう──私がこの屋敷に縛られ続ける理由は、どこにもない。




